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ことばの価値とは

 甲骨文字の時代、王と神官は祈りの言葉を記した亀の甲羅や牛の骨を火に焚べ、亀裂で吉凶を占いました。

東洋文庫ミュージアムにて


 初期は雨乞や戦について神の言葉を請けるため。
 中期以降、文字が増え、広まると、次第に王政の威厳の為の言葉に。
 後期には、すでに決まった事柄や、権威に都合の良い言葉を刻むようになる。
 神聖であった祝告は、王の権威を示す言葉となり、文字は知識になる。秦の始皇帝の時代には、社会を統制し身分を分けるために使われるようになっていく。

 文字が神から伝えられるメッセージから、王位や社会を維持するためのツールになると、さまざまな言葉の力や意味も変わっていく。

 折口信夫によると、「まれびと」は神が常世から姿を変えて現世に現れたものとして、古代の人々に、神の音連れを祝詞で請け、手厚くもてなされていた。
 しかし江戸期には、「まれびと」は蓑笠を被り村々を巡る語り部となった。物語る代わりに食べ物や寝床を与えられる「まれびと」は、次第に物乞いのように扱われることになる。
 科学が発達した近代には、祝詞は寺社仏閣に残るが、一部の人しか知らず、まれびとの存在もほとんど忘れられる。
 現代は、どちらかというと、神がかった言葉は、一つ間違えば霊感商法と呼ばれるくらい、胡散臭いものかもしれない。

 「すずめの戸締り」を見た時、まれびとや常世が出てきて驚いた。
 その後、「サマータイムレンダ」を見た時、常世の世界が描かれていることを知り、
 「もののがたり」というアニメをみていたら、常世から現世へ迷い出たマレビトは、物に憑く付喪神と呼ばれていた。
 物に魂が宿り、妖怪のように人や動物の姿を借り、人の世に現れて悪さをする。
 いつからか、異界は人の怨念やネガティブと言われる感情の渦巻く世界になりつつあるのかもしれません。



 かつて常世は楽園だった。

 「常世に至り。海神ノ神の宮の内辺の美妙なる殿に、老いもせず、死にもせずして、永久にありける」
 万葉集1740

 春の日、澄ノ江にいた浦島の子という男が、水平線の彼方で漁をしていた。その時、海神ノ神の娘と出会い、語り合ううちに、夫婦の契りをかわし、常世にある海の御殿に住むことになる。二人は歳もとらず、死にもせず、いつまでも仲良く暮らしていた。
 ふと男は人の世に生まれたことを思い出し、家にいる両親に話して、また戻ってくるといい出した。妻は、あなたが常世に戻って、元通り逢うのなら、この箱をお待ちになり決して開けないように、と言った。
 男は澄江の浜で家を探したが見つからない。里も見つからない。家を出て三年ほどだから、家が潰れるはずはないと、この箱を開けたら、元通り家が現れるだろうと思い、美しい箱をすこし開いた。
 すると、白い雲が箱から出てきて、常世の方へ棚引いてゆくので.走り回って叫び、袖を振って地団駄を踏んだりしていたが、ついに気を失った。
 そして、若かった肌にシワができ、黒かった髪が白くなり、息が絶え絶えになり、ついに死んでしまった。

 「常世辺に住むべきものを。 
     剣太刀、しが心から、
  おぞや、此君」
      万葉集1741
 結構な常世の国で住んでいられるのに、自分の心から帰ってきて、こんな愚かなことをした、浦島さんの鈍なことよ。
「口語訳万葉集」折口信夫より

 折口信夫は、浦島の子が「人間世界に生を受けた愚かさ」で、常世という楽園を離れたと訳している。返歌も「おぞや」は愚かなことと訳されている。
 おそらく古の人にとって、常世は素晴らしい場所で、現世と常世は約束さえ守れば、行き来できる場所だったのかもしれない。

 今の浦島太郎の童話では、親孝行な息子だから.帰って来たように描かれている。
 人の世からすると、ある日男が海で行方不明になり、帰って来た時には数百年経っていて、箱を開けたら死んでしまった、というのは、事件のようなものかもしれない。
 浦島太郎の童話では、亀を助けて竜宮城に行ったことになっているのも、竜宮城へは善行を積まなければ行けないという、人の世の理が表れているように思う。

 ことばは、神の言葉だった頃からすると、人の世の理にすっかりのまれて、その力は薄まってしまっているように感じる。
 だから、万葉集などを読むと、日本人の言葉の故郷と感じるのかもしれない。

言霊の
八十のちまたに
夕占とふ
占、まさに告れ
妹に逢はむよし
 万葉集2506
(あえるかあえないか、辻占いに問う
 愛しい人に逢えるよう、告げてくれ)


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