我が家K氏の乾杯。
乾杯とは何か。テーマを挙げている上で、私は必ず知ろうとする。対象について情報がなければ書く事へのマナー違反なのではないかと私的見解を抱く。乾杯は平たく表現すると、主導者の合図により、食事や飲み物(特に酒)に手をつける儀式らしい。起源の古代に神酒を捧げる宗教的儀式が転じた。世界各国において、各々の手順やマナーが乾杯という一動作に細々存在したことにびっくりする。
日本の現在において、酒器を互いに打ち合せる乾杯様式はヨーロッパ文化に依る。フランスルネサンスの代表とされる人文主義者がふざけて打ち鳴らしたことが広まったらしいとか。共に酒をのむ者同士、健康や人生の成功を祈念する祝福の儀礼の義が一般的行為となった。
さて、そのような乾杯を我が家K氏の場合は、酒をのめるとき、必ず乾杯をする。私はいつも「この乾杯なに?記念日だっけ?否、なにもないよね。」その私の疑問に対する父の回答は決まって「酒をのめること自体が嬉しいから。」と幸せそうに呟く。母は乾杯と言ったら結婚式だねとロマンのある回答を見せてくれた。その母は酒がのめない。ぶどうジュースや炭酸ジュースのほうが嬉しそうな母はそれらをもっていつも乾杯に付き合ってくれる。
私はイベントのパーティーで酒を呑むのが好き。酒の銘柄や生産処、製造法を勉強できるいわば酒を知れる会だからである。酒好き同士の乾杯後といったら、酒の話がすぐに始まる。そして酒の話で終わる。そこでふと思ったのは、乾杯で始まったのだから、酒の空いた酒器を打ち合わせて乾杯で終わるのはどうだろうかということ。この思いは酔いの中のことであった。そして、頭が冴えた時には酒が待ち遠しいの意の乾杯であって酒を堪能した後は乾杯ではなくて、強いていうなら潤杯かなどと思った。それはさておき、大勢で酒を呑む。これは酒を呑む喜びが倍になる気がする酒を呑む醍醐味であって、月に一度の贅沢だと予定を組み込んでいた。
その矢先、例のウィルスが世界を脅かす事態となった。当然、イベントは中止されていく。私自身もウィルスとの共生の仕方として、外出自粛を選択した。それからというもの、酒をのむのは核家族の家庭内で、それから親しい友人とのリモート飲みという生活スタイルになった。この生活を続けて分かったのは、乾杯自体は実際に酒器を打ち合わせなくてもよいなら、できるということ。そして何より我が家K氏の乾杯がどれだけ幸せなことか気付く。あれだけ、日ごろから乾杯していてよかったと思えているからだ。大勢で酒をのめない分、大事な少人数での酒を交わす際に、それこそが愛しいとして、乾杯する。酒をのむこと自体に乾杯するのだ。例の父は、龍みたいな麒麟みたいな伝説な生き物が酒から出てくる設定は面白いとぼそっと呟く。要するに、幸せがやってきたモチーフの例えを表現したかったのだろう。私はというと、こそっり”のむ"の表記を三段階に示してみたかった。それには少々”のむ”行為の度合いのニュアンスを読んでほしいという願いを込めた。父と私が天然発言をしていると母と時々姉とともに笑ってくれる。我らも笑う。そして、いつもの乾杯を4人でする。
またいつか来る仲間たちとのリアル酒のみを祈って、、、。