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「発災4日後の金沢に行く」ということ。旅行を決行した理由と備えについて。

まずは、このたびの令和6年能登半島地震により、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被災された全てのみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。一日も早く穏やかな日常が戻りますことを祈っています。

タイトルにもあるとおり、私は元々予定していた1月5日~6日の1泊2日の日程で金沢へ行き、無事に帰ってきました。備忘録として、行くうえで考えたこと・やったことを記しておきます。



なぜ決断したか

〈前提〉
・長野県を出発し、比較的健康で一般的な体力のある30代ふたりでの旅行
・同行者であるパートナーが金沢に住んでいたことがあり、現地にも友人知人がいた
・もともと金沢駅から2キロ圏内、パートナーの土地勘があるエリアのみを訪れる予定

私たちにはこうした前提があったため、特殊なケースであったと思う。例えば、災害弱者となりうる乳幼児や高齢者と一緒だったり、まったくゆかりのない場所だったりしたら、旅行計画を見送ろうと考えただろう。

いろいろな選択肢を考えつつ、パートナーは発災直後から金沢在住の友人とコミュニケーションを取っていて、現地の状況を早期から把握していたほか、私もインターネットやX(Twitter)で情報収集を行い、1月3日ごろから金沢駅周辺の店舗は通常営業をしはじめていることを確認した。

また、北陸新幹線は1月2日から運行を再開し、長野駅から金沢駅までは通常通りアクセスができ、金沢駅までの往来は自粛要請がなかった。


というわけで、今回私たちは土地勘のあるエリアをコンパクトに巡るという行程ならば、金沢や能登を経済的に応援することにつながる、と結論づけた。

※金沢市では被害の大きな場所もある
※金沢駅周辺は通常営業を再開している場所が多いだけで、普段通りではない(有名な観光スポットである兼六園や21世紀美術館も被災し、臨時休業していた ※1月5日時点)
※後述のとおり、再び大きな地震が来る可能性を念頭においた


決断するうえでの迷い

被災地を思うということ

とはいえ、もちろん、この決断には迷いも伴った。

いま、被災地で凍えながら避難所に身を寄せている人がいる
いま、被災地で倒壊した家屋で救助を待っている人がいる
いま、被災地で危険をおかしながら救助や復旧に従事している人がいる

半島という地理や複合的な被害により、発災から時間が経っても救援活動は困難を極めており、被災地で苦しんでいる人がいるのに、楽しんでいいのだろうかと、情報収集をしながら胸が苦しい思いでいっぱいになった。

一方で、苦しくて辛い出来事があっても、当事者ではない人間が四六時中、被災地に思いを寄せ続けることには難しい。それでもそれぞれが生きていくための生活があって、災害と適切な距離感を保たないと心がもたない。


それぞれの日常、それぞれの決断がある

ここで突然の自分語りをはさむが、たまたま私は東日本大震災をきっかけとして10年以上災害ボランティア活動を小さなライフワークとしており、会社員をしながら防災啓蒙団体にも4年間所属して、最終的に専従職員にもなった。

あれは2016年の熊本地震のこと。大きな被害があった益城町でのボランティアを終え、熊本市内に移動したところ、繁華街では綺麗な格好をした人々と日常があふれていて、まだ20代だった私は「被災地はあんなに大変で、困っている人がたくさんいるのに!」という正義感に駆られて複雑な思いを抱いたことを覚えている。

今思えば、私は安全地帯の暮らしがある中で、自分がしたいからボランティア活動をしていただけだ。

災害との向き合いかたはそれぞれで、それぞれに背景があり、それぞれがそれぞれに出来ることをやればいいのだと思う。

そしてどの行動にも迷いは少なからずあって、例えば今回の地震によって金沢旅行をやめようという決断も尊重されてほしい


災害救援活動のフェーズ

また、落ち着いて考えたとき、「災害の救援活動にはフェーズがある」という知識があったことも決断の背中を押した。

被災地は、72時間以内の「超急性期」、72時間〜1週間の「急性期」、1週間〜1か月の「亜急性期」、1か月〜3か月の「慢性期」、3か月以降の「復興期」の5つに分けることができる。

救命にかかわる超急性期は訓練を積んだプロの出番。私たちは直接的には何もできず、祈ったり募金をしたりするしかできない。

そして、一般市民による災害ボランティア活動は、急性期や亜急性期に開設される「災害ボランティアセンター」を通じて行うのが一般的だ。通称ボラセンは、地元の社会福祉協議会が行政や関連団体と連携して運営するものだが、職員のみなさんも被災者であり、準備が整うまでに時間がかかる場合がある。

令和元年台風のときの長野市ボランティアセンター

今回、もしボラセンが開設されていたら、計画を変更して災害ボランティアをするという選択肢もあったが、1月4日時点で県外からの災害ボランティアは募集されていなかった。

私たちはこうした迷いを共有しつつ、たまたま「1月5日 金沢駅行き」の切符を手にしている中、情報収集や己の経験値をふまえたうえで、現地に観光し行くという選択を実行することにした。


行くうえでの備え

熊本地震では震度7を2度観測した。石川でも再び大きな地震が発生する可能性があり、私たちが被災することもありえる。応援したいという気持ちがあって現地に行くのに、現地で迷惑となってしまっては本末転倒である。そこで普段の旅行よりも手厚く、災害への備えをおこなった。

防災ポーチの携帯

カロリーメイトの左隣のカードには、自分の携帯番号や家族の携帯番号を書いてある

100円ショップを中心に、寒さ・トイレ・食料の対策ができる防災アイテムを集め、無印良品のポーチにつめて持ち歩いた。(モバイルバッテリーや小銭は普段から持ち歩いているので割愛)


飲み物の携帯

ポーチの考えと同様、何かあった場合に長時間どこかで滞在する場合に困るのは飲料だ。また、コンビニの物流はまだ復活していないというXの投稿も見かけたので、現地調達に依存しないよう、私は長野から水筒に飲み物を入れつつ、水のペットボトルも持ち歩いた。


歩きやすい靴を履く

急いで逃げる必要が出てきたり、瓦礫のうえを歩くことになったりした場合、ヒールのある靴では行動がしにくい。私は、ここ最近ずっとお気に入りで3足目となるメレルのジャングルモックという靴を履いていった。ハイキングシューズメーカーの靴なので、ソールが厚く、たくさん歩いても疲れにくい。


防災アプリのインストール

以下は私の1月1日のツイートで、災害があるたびにおすすめしているのだけど、正しい災害情報を迅速に把握できるのに越したことはないと思っている。

緊急地震速報を通知してくれるYahoo防災アプリ、
映像で情報がわかるNHKニュース防災アプリは
普段からインストールしていたものの、アプリをすぐに開けるようにホームにおいておいた。


定期的に地震が発生したら…を考える

そんなこと考えるなら行かなければいいじゃないと思われそうだけど、わりとこれはただのクセみたいなところがある。

防災の啓蒙団体にいたとき、渋谷で朝活避難訓練とかIngressを使った避難訓練の運営をしていたことがあって、「あの首都高が崩れてきたら怖いな」「エレベーターで閉じ込めにあったらどうする?」みたいなシミュレーションを密していた時期があった。


考えたうえで行かないという選択はしなくて(そのときはそのときだから)、ただ「ここは開けているから何か落ちてくることはないな」「歴史のある建物だから注意が必要だな」と思うだけ思うようにしていた。

*  *  *

ここまで読んでいただきありがとうございました。
実際に行ってみての感想は長くなってしまったので、別の記事にまとめました。


災害からの復興は道のりは長いものになります。
それぞれがそれぞれのかたちで、思いを馳せ続ける。
それがきっとチカラになると信じています。


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