マミチャジナイ とナナカマド

日々だらだらと考えています。

マミチャジナイ とナナカマド

日々だらだらと考えています。

マガジン

  • The Cosmic Bums

    私的解釈の西洋思想と東洋思想の未知との遭遇を物語にしようと思い書き始めました。母なる惑星が滅亡する時、あなたの自己はどこに存在するのか?

最近の記事

  • 固定された記事

家族って自由民主主義?社会・共産主義? 

結婚は国と国とが合わさること。家族は国や共同体と言い表されるのをよく耳にする。 では、ある意味で国の最小単位とも言える家族は、現在のスタンダードである自由民主主義と社会・共産主義のどちらに当たるだろうか? また、その他の理想の国=家族のあり方は存在するのだろうかを考えていく。 ここでの結論は、「これが理想の家族の形だ!」「○○主義以外ありえん!」というような提示とはなりません。 結論だけを求めている方には沿わない内容となるため、いただく時間が申し訳ないのでスルーしてくださ

    • 欲しい情報がわからない。

      情報過多の時代。 無料で様々なコンテンツにあふれている。いつでもどこにいようと消費可能である現代において、探求欲求という生物の基本的な本能がいともたやすく満たされるようになった。 そんな時代の中、私は今情報を欲しているが、何の分野のどのようなことを知りたいのかがわからない。 なにを知りたいのか、わからない。 自分の体が今何を知ろうとしているのか、わからない。 自分に何が足りていないか、わからない。 何が満たされていないか、わからない。 なあなあと常に満たされていて本当に満

      • 虚構・現実/自然

        虚構と現実は、個人の頭の中での空想や認識に過ぎない。 自然は自分の外の物である。 頭の中の虚構と現実を、自然に産み落とすことを表現とする。 頭の中にあることは全て、虚構であり現実である。 外にあるものは自分で表現したものであれそうでないであれ自然である。 自然は他者と否が応でも共有してしまうものである。 頭の外に出た表現、絵画であれ歌であれ彫刻であれ文章であれ言葉は表現により体内から自然(体外)に産み落とされる。 自然は共有され個人に認識される。他者の頭の中で現実にな

        • 現実と虚構

          歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、『サピエンス全史』で、ホモサピエンスという種がなぜ地球の支配者となれたのか、それは虚構を信じる力を得たからだと主張した。 現実と虚構は別のものであるか? 虚構は現実から生まれるものであり、現実も虚構から生まれたものである。これらは二元論的に切り分けられる存在ではない。位置するのはどちらも濃淡のある「あわい」だけだ。 しかし現実は宇宙の法則に乗る。 虚構とは、個人の頭の中で生まれるものである。そのため、宇宙の法則を外れた虚構は存在するが

        • 固定された記事

        家族って自由民主主義?社会・共産主義? 

        マガジン

        • The Cosmic Bums
          8本

        記事

          食べたいご飯がわからない。

          飽食の時代。 安価で食べたいものが、いつでもどこにいようと調達可能である現代において、三大欲求である空腹から生まれる食欲の上位である、食べたいものを決めて食べるという欲求が安易に満たされるようになった。 そんな時代の中、私は今空腹であるが、食べたいご飯が思い浮かばない。 なにを食べたいのか、わからない。 自分の体が今何を欲しているのか、わからない。 何が足りていないか、わからない。 何が満たされていないか、わからない。 なあなあと常に満たされていて本当に空腹か、わからない

          食べたいご飯がわからない。

          木村拓哉がキムタクを演じることは不幸なのか?

          「キムタクって一生キムタクだから大変だよね、」 「キムタクって素に戻る時ってあるのかな?」 「木村拓哉がキムタクを演じることは不幸なのかな?」 先日、友人とこんな話になった。 かなりの余計なお世話だ。 そんなこと言われなくても、キムタクは幸せにやっているだろう。 ただ、疑問にも思ったので、だらだら考えていく。 肉体と精神、現実と虚構(理想)の関係に近いように思う。 現実を木村拓哉とし虚構をキムタクと置く。 木村拓哉はキムタク(理想)を演じることで、日本の誰もが認識する

          木村拓哉がキムタクを演じることは不幸なのか?

          スーパーマン(現実の人物)は、僥倖にも厄災にも成り得る

          スーパーマンとは、普通の人よりかけ離れて優れた能力をもつ人のことを指す。言わば、ただの力を持った個人である。 スーパーマンについて考える。 普通の人という定義は一般には存在しない。個人の今まで会ってきた人を想像した頭の中だけにある。 優れた能力というのも存在しない。他者比較から生まれる物差しである。 捉え方次第で自分が優れた能力を持つ者であるという認識は、誰にでも可能だ。 つまり、誰にでもスーパーマンに成り得る。 また、逆説的にこの世界でスーパーマンを一人でも認めてしまっ

          スーパーマン(現実の人物)は、僥倖にも厄災にも成り得る

          The Cosmic Bums 第7話

          第7話  Straight, No Chaser-2 トムの語る歴史の真実② ~モシーズ星の回想~ トム視点 続き 🔥また災害が起こった🔥 今回の災害ではたまたま怪我を負う人はいなかった。 違和感を覚えた3人は今までやったことがないことをやり始めた。 1人は他者と比べて小さい体であり災害に対して他のものよりも恐怖心が強かった。災害にも負けない、他の者よりも大きく硬い体になることを目指した。 1人は自分の存在意義に絶望し自傷することに走った。精神異常をきたし、この星を放浪し

          The Cosmic Bums 第6話

          第6話 Straight, No Chaser-1 ~バッキー編~ トムの語る歴史の真実 トムはエルとカルにより無理やり捕らえられ、メリー・プランクスターズ号の物資庫の奥に乗せられていた。 バッキーはトムを見つけ介抱する。 バッキーの質問から、トムによりモシーズ星の歴史とモスの策略が語られる。 ~モシーズ星の回想~ トム視点 この星では、不老不死の10人が生活している。全員は平均すると同じ能力値だが、それぞれが違う役割を持っている。 10人は好きな時間に起き、好きな

          The Cosmic Bums  テーマ・疑問・物語背景設定

          ~テーマ~ 母なる惑星が滅亡する時、あなたの自己はどこに存在するのか? ~疑問と投げかけ~ 人間が何者かになりたいというのは、西洋思想的な人間の上位存在となる絶対的な神がいる上での思想であって、それを理解し近づくために成長し何者かになるというものだ。 自己の個別性、自己意識、自己実現が重要視される。自己の特性や能力の発展、成功を追求することが目指される。 人間が、神になる(それっぽいものに近づく)ための条件とは何だろうか? 西洋思想における神は、一般的には至高の存在で

          The Cosmic Bums  テーマ・疑問・物語背景設定

          自己確立やアイデンティティの曲解 

          「カテゴライズ、ジャンル、ハッシュタグ、推し活、○○主義、LGBT、○○派、○○になりたい。」 これらが、蔓延している。 これらは全て、自分を形作るうえでの必要な要素・思想・アイデンティティを持ち、どんな他者から見られても、わかりやすい何者かにならなければいけない。そんな、焦燥感・自己不信の中から逃れるために我々がすがった一本の藁であったが、その実、その場しのぎの劣悪な中毒性のある経済社会からの処方薬であった。 鼻水が服の袖にベッタリと付いていたような時に、1/2成人式と

          自己確立やアイデンティティの曲解 

          東洋思想と西洋思想 地球が滅亡するなら、どう動く?

          ChatGPTに聞いてみた。 Q.東洋思想のような自己を持つ個人が、地球が滅亡することを知った時、どのような行動をとることが予想されますか? A. 1. 現実を受け入れる: 東洋思想では、変化や無常を受け入れることが重要視されます。地球の滅亡は自然の一部として受け入れることができるかもしれません。 2. 真実を見つめる: 東洋思想では、現実を直視し、真実を見つめることが重要視されます。地球の滅亡を受け入れた上で、その事実に向き合い、自己のあり方や意識を見つめ直すかもしれま

          東洋思想と西洋思想 地球が滅亡するなら、どう動く?

          VS 能力至上主義者

          ChatGPTに聞いてみた。 Q.能力至上主義者に対抗する方法はあるのか? A.能力至上主義者とは、能力や才能を重視し、それを基準に他人を評価し、優位性を主張する人々を指します。彼らは個人の能力や実績を重視し、成功や地位の獲得においては個人の能力が最も重要だと信じています。 他人の能力や実績が自分よりも劣っている場合、能力至上主義者はそれを優越感や軽蔑の対象とすることがあります。能力至上主義者は競争を好み、他人との比較によって自己評価を高めようとします。しかし、この思考

          Ryuichi Sakamoto「Opus」にて咽び泣く

          坂本龍一の長編コンサート映画「Opus」を見た。 涙が止まらなかった。音が重視されている映画なのにもかかわらず、周りの観客には非常に申し訳なかったのだが、途中から嗚咽する勢いで泣いてしまった。 この感覚を忘れないために、残しておく。 はじめは、音質が非常に良く、白黒の映像であったため、目をつぶってなり薄目を開けるなりして、この1時間43分間、音の波に浸ろうと考えていた。 非常に心地よかった。 坂本龍一自身が、何かの本で書いていたが「いいコンサートは眠くなる。眠れるコンサ

          Ryuichi Sakamoto「Opus」にて咽び泣く

          創作物を考察するということ

          「創作物を考察する」ということに、今更ながら違和感を感じてきた。 創作物は、個人の頭の中と現実の物とを媒介して、現実世界に具現化したものであるといえる。 そのため創作物の世界は半分現実ではない。現実ではない事柄を考察することにどんな意味があるのだろうか? そんなこと言っているが私個人は、マトリックス全編考察、エヴァンゲリオン全話考察、Radiohead全曲考察、カートヴォネガット考察などなど、時間があれば読んで見てしまうくらいには大好物だ。 そのために「創作物を考察する」と

          創作物を考察するということ

          納豆卵かけご飯と納豆オムレツ

          私の朝ご飯は4パック99円のおかめ納豆とみそ汁が基本で、家には常時納豆が冷蔵庫に入っている。 私には昔からどうしても一つ許せないことがある。 それは、「納豆卵かけご飯」だ。 本来、納豆ご飯・卵かけご飯は各々が独立した立派な一品で、2食分補えるものであるのに対し、納豆卵かけご飯は米量はそのままで1食分にしてしまうという暴挙である。 私が貧乏性なのもあるが、非常にブルジョワジーであり、主観になるが、納豆と卵で相乗効果が出ているようにも思えない。 卵かけご飯のサラサラを食べた

          納豆卵かけご飯と納豆オムレツ