タコは何色なのか

息子の幼稚園の卒園アルバムに息子が描いたというタコの絵。
卒園アルバムを受け取ったとき、息子が自ら描いたようにはみえなかった。なぜなら、赤いクレヨンで描かれたタコだったから。 

息子は、4歳くらいまで 兎に角乗り物が好きだった。いや、まずはタイヤが好きだった。次にはトミカを箱に出し入れするのが好きだった。
その後ようやく。乗り物そのものに興味をもったようだ。

その次に興味をもったのが、生き物だった。
とくに初めは海の生き物だった。きっかけは忘れたけれど。
沖縄のちゅらうみ水族館に行った時には、何度ヒトデとナマコを触ったか。
あの広い水族館を走り回り興奮し何かを見てはタッチ水槽に戻る、ジンベイザメよりナマコ!!ヒトデ!!だった。
水族館を何周も何周も走り回った記憶がある。

海に連れていけば、海から上がらせるのはほぼ不可能。
小さい頃は箱メガネと腕用浮輪、網を駆使し、すさまじい集中力でずっと海の中を覗き、どんな動体視力をしているのか網で魚を獲っていた。
アメフラシ、ウミウシ、カニ、貝…
飼育ケースの中はすぐに満員御礼。
ま、母である私も海は大好きだから、素潜りして生き物をとり、息子に見せてリリースする、、、を一日中繰り返す。
ヒトデなんかは岩の下に上手に隠れてることが多いので潜れない息子に代わり私が捕るのが、わたしの役目。

息子が年長の頃からシュノーケルを使えるようになり、箱メガネで探すより効率がアップした。
…ますます海からあがってこない。

無理矢理休ませたり、海につかりながら水分補給をさせ、ご飯を食べさせたりと四苦八苦。
旦那は言う。「お前たち二人がなかなか海から顔を出さないから心配になる。監視役も疲れる」と。
たしかに私も一度潜れば三十秒以上は海面に顔を出すことはない。当たり前。

石垣島へ連れて行った時は、それはもうこのまま移住しようかと真剣に考えてしまうほどに息子の目が輝いていた数日間だった。
手の届くところにカクレクマノミが住んでいたり、シュノーケリングツアーでは、息子の持つ魚の餌に群がる魚に大興奮。
普段行く海では見れない暖かい海の生き物にとても喜んでいた。

そんな息子である。
もちろん、生き物の図鑑、さらにはそれに付属しているDVDは大好き。
さかな君さんは教祖。(虫も好きなのでハッチー小川さんも教祖だが。)
魚の名前や特徴をよく覚えていた。

「ブルーリングオクトパス!!!」
響きやテンポがいいんだろうと思う。よく、
「ヒョウモンダコ、英語では、ブルーリングオクトパス!!」とDVDの真似を繰り返していた。

タコの絵を描くときは茶色っぽい色のタコか、ブルーリングオクトパスを描いていた。
だから、卒園アルバムの真っ赤なタコは描かされたものだとすぐにピンときた。

なぜ、今このことを思い出したかというと、ある人の本を読んで感銘を受けたからだ。
東田直樹さん。
彼の言葉に、はっとさせられた。
涙がこぼれた。
心にしみて温かくなった。

彼の本を読んで、息子のことを考えた時、あぁ、あのタコを描かされた時どんな気持ちだったのかなぁ、とふと思い出したのだ。
海に真っ赤なタコなんていない。🐙←こんな形のタコを息子は知らない。泳ぐタコか、何かに絡みつくタコ、隠れてひと塊になったようなタコ…
口は八本の足の間にあるはずなのに、頭の横に口が飛び出していた真っ赤なタコ。こんなタコを息子は描かないというか描けないことを知っていた。
ましてや、ブルーリングオクトパスブーム真っ只中。

東田さんの本を読んで、根本的なことに気がつけた。
息子を心から愛している。それが一番大事であるということ。
それしかいらない、と言っても過言ではないのではないだろうか、というくらいに。
息子そのまま、ありのままを愛し、一緒に人生を歩んでいくこと。
そうだよな、それだけでいいんだよなって。

「普通」とか「平均」だとか。そこにとらわれていないつもりでも、すでに私に染み付いてしまっているこの感覚は一生消えないかもしれない。どうしてもそこを目指してしまっているのかもしれない。 
今のわたしは、無意識のうちに肩に力か入っていたのかもしれない。

シンプルなことに気付かせてくれた東田さんの本は、この先も間違いなく私の人生のバイブルになるだろう。
迷ったときは、東田さんの言葉にふれよう。
…そう思った。

出会えて良かった。東田直樹さんの言葉に。

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