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クソみたいな誕生日によせて

2020年10月25日はわたしの34歳の誕生日だった。

わたしはおそらく人よりも誕生日にこだわるタイプで、人の誕生日も聞けばだいたい覚えているし(最近はすこしずつ記憶力が鈍っているけど、記憶力が冴えわたっていた中学時代には「テニスの王子様」に出てくる登場順で氷帝学園までのキャラクターの誕生日は全部覚えていた)、何よりも自分の誕生日が1年のなかで一番好きだ。

「年をとるから年々誕生日がうれしくなくなる」なんて、わたしにはまったくの無関係な話で、この日も日付が変わって、うまれたばかりの息子を寝かしつけて(この3時間後には泣いて起こされるのだけども)、夫から「おめでとう。夜は早めに帰るからお祝いしようね」とハグしてもらい、あぁなんてしあわせなんだろう、と眠りについた。

この10日前に、わたしは息子を生んだ。
退院は20日の予定だったが、新生児黄疸が強いために光線療法を受けることになり退院が延び、22日に自宅へ迎えた息子。
何もかもが初めてで、病院ではすぐに看護師さんや助産師さんになんでも相談できた環境を失い、昼間はひとりで息子のお世話をする日々がいやおうなしに始まった。

新生児は1日に8回ほどの授乳を必要とし、1時間起きては少し寝て、また起きては寝て、をくり返す。親も同じサイクルで生活をするが、新生児より遅く起きるわけにはいかないし、新生児が起きているのに寝るわけにもいかない。

夫は普通に仕事をしているので、夜はしっかり寝てもらいたい。当初の予定通り、私の部屋にベビーベッドを置き、わたしと息子が同室、夫は別室で寝ていた。

わたしがしあわせな気持ちで眠りについてから間もなく、25日の明け方にも息子は起き、新生児特有の「ほにゃあ、ほにゃあ」と途切れることのない泣き声で親を呼んだ。お互いに親子になってまだ10日、一緒に暮らすようになって4日目の新米親子。抱っこも授乳も、新生児室でトラウマになるほど教えてもらったけれど全然うまくいかない。首がすわっていなくてふにゃふにゃなので縦抱っこはできず、授乳のために横抱きにすれば息子は泣いて嫌がり、したたる母乳が自分の服と息子の服を濡らした。
息子の泣き声はやまず、リビングにいては夫の寝室とダイレクトにつながっているので声が聞こえて彼を起こすかもしれない。いや、きっと起きていることだろう。なんとか夫には寝ていてもらうべく、わたしは自室に戻って息子をゆらゆらとあやして、眠りについたところをベッドに置き、自分も横になる。

暗闇の中で、息子がわずかに息をたてる。
起きたのではないか、泣くのではないか、勘弁してくれ、寝てくれ、寝かせてくれ…
祈るような思いで息をひそめ、その願いは天に通じて息子は再び寝入った。
かと思えば「ふえ…」とまた声を上げる。
またか。頼むからしっかり寝てくれ。祈りもむなしく、また息子は泣き出す。結局そこからわたしは一睡もできずに朝を迎えた。

夫を見送り、ほどなくしてまた息子が起きて泣く。ままならない動きをする新生児と悪戦苦闘するが、その日はいつもよりもよく泣くし、寝たと思ってベッドにおいてもものの10分足らずで起きて泣きだす。それもかなり激しく泣く。ミルクの吐き戻しもなんだかいつもより多い。

お昼ごろ、これはなんだか様子がおかしいのではないかと思った。
退院するときに、「何か気がかりなことがあれば連絡するように」と病院の新生児室の連絡先をもらっていた。日曜だけど、電話はすぐにつながった。

「22日に退院した藤堂ですが、なんだか息子の様子がおかしくて。いつもよりも激しく泣くというか…」。このときも息子は泣いていて、寝室からはその声が響いていた。近所迷惑にならないだろうか。

「赤ちゃんが泣くのは普通のことですし、元気に泣いているならまったく問題ないですよ。もしお母さんがしんどかったら、少し離れてても大丈夫です」

電話越しに看護師さんの声を聞き、また向こうからも「その泣き声!なつかしいです~」と声をかけてもらい、なんだかすべての悩みが解消したような気持ちになって、お礼を言って電話を切った。が、現状としては何も解決していない。

そのあとも少し寝ては泣き、授乳、吐き戻し、オムツ替え、泣いて、吐き戻し、寝て、起きて、オムツ替え、授乳、吐き戻し、泣いて、泣いて、泣いて…

絶対おかしい。普段はこんなに泣かないし、授乳して寝かせればもう少しは寝てくれるのに。

夕方になって、また新生児室に電話をかける。なんと日曜は、夕方までで受付を終了するので、対応できる人がいないとのことだった。もしも気になるなら、と救急相談などの連絡先を教えてもらい、区の相談ダイヤルにかけてみる。

区の相談ダイヤル、夜間診療案内、#8000、全部にかけた。答えは全部「そんなもの」「熱がなくて元気そうなら大丈夫」。

そう言われたって、目の前にずっとずっと泣いている息子がいるのだ。

そりゃ確かにちょっとは寝てるし、ミルクも飲む。でもいつもと違う。こんな調子では…。明日もこうかもしれない。

「だめだ、今日めちゃ機嫌悪い…一日泣いとる…」

夫にLINEした。すぐに返信があり「帰ったら俺が面倒みるね」とのことだったが、なんだかもう面倒をみるとかみないとかではなく、何をどうしたらいいのかがまったくわからない状態なのだ、ということを唯一きちんと聞いてくれそうな相手である夫に伝える。

伝えるうちに、なんだかすごく不安だしとにかく疲れていたようで、どんどん心のバランスが崩れていくのを実感していた。涙が次から次へとあふれ出して止まらない。妊婦や産婦はよく「メンブレ」をするけれど、たぶん妊娠して以降初めてのメンブレだったのではないかと思う。

自分も仕事で忙しいはずの夫が細かく返信をくれて、助産師をしているという伯母に連絡をしたから、状況を相談してみるといいよ、と提案をくれる。

わたしはそのときもうぐずぐずに泣いていて、まともにしゃべれる状態ではなかったし、結婚式で一度お会いしただけの夫の伯母に「赤ぢゃんがずっど泣いでで~~~ミルグも飲まなぐで~~~」なんて言えるほど素直ではなかったので最後まで拒否したが、結局電話した(結局)。

息子がミルクを飲まない(飲んでも吐き戻してしまう)こと、いつもよりも眠りが浅いこと、熱はないこと、ずっと泣いていること。

義理の伯母からは「ところで真衣ちゃんはご飯食べてる?」と尋ねられた。
「食べてません…」と返した。何しろずっと息子が気になっていて、そんな時間がなかったのだ。

「食べなさいよ~」と返された。それから「お世話をする大人が不安だと、赤ちゃんはそれをすぐに察知するからね」とも。
それは病院でもよく言われ、ポジティブな言葉がけを心がけてきたけれども、どうやら「言葉」ではなく「心」がバレてしまうらしいということにわたしは気がついていなかった。

「甥くん(夫)は一緒にお世話してくれてる?」と尋ねられた。
「してくれます。でも仕事があるから寝てほしくて」と返した。赤ちゃんの泣き声で夫が起きて舌打ち、なんて話もネットではよく見かける。だからそうならないようにできるだけ自室で寝かしつけをしていた。

「ふたりの子なんだから、甥くんにも一緒に見てもらって。知ってると思うけど、あの子はそういうので怒ったりしない子だからね」と返ってきて、またひとしきり泣いた。知ってる。夫の感情はそれはもうフラットなのだ。まじで怒っているところなんて見たことないし、不平不満も言わない。

最後に、「すごく追い込まれているように感じるから、産後ケア施設を探しておきなさい」と言われた。産後ケア施設。それまで知らなかったのだけど、病院の新生児室のように赤ちゃんを預かってくれて、お母さんは母乳トラブル解消のための施術や育児に関するいろんな相談をしたり、ひたすらに眠ったりして過ごすことができ、赤ちゃんのお世話に追われなくてもいい施設があるのだという。

伯母にお礼を言って電話を切った。義母からも何度か着信が入っていて、あぁわたしはいろんな人に気にかけてもらっていたんだな、とぼんやり考えた。息子はいつの間にか泣き止んで、すよすよと眠っていた。

そうしているうちに夫が帰宅した。伯母との会話をかいつまんで報告し、夫も伯母にお礼の電話をかけた。そこで「一緒に見てあげて」「産後ケアの利用を検討して」と言われたらしい。

遅くなったけどそのあとケーキを食べて、ゆっくりお風呂に入った。お風呂の間だけは物理的に息子のお世話にかけつけることができなくなるので、完全にひとりになれる時間でもあった。夫には申し訳ないけどできるだけ時間をかけて入り、浴室の拭き上げでさらに時間を稼いだ。

「子どもの息の音だけで目が覚める」と話していたら、夫が「息子を一人で寝かせてみよう」と提案してきた。それは無理だろうと思った。赤ちゃんは突然死するって聞いたことあるし、こんなに小さくて弱いのに、何かあったとき少しでも近くにいないと気づけないかもしれない。

とはいえ、わたしが一人で息子の世話をするのは限界だという自覚もあった。息子は2時頃と5時頃の2回起きる。このどちらかを夫が、もう一方をわたしが担当することで落ち着き、わたしはやはりどうしても息子が立てる音が聞こえる範囲では眠れないので、不安ながらも夫婦と息子の寝室を分けることにした。何よりも、夫も息子に意識を向けてくれる、泣き声が聞こえたとき、わたしだけが起きて何かしなければならない状況ではなくなった。
ひとりではなく、ふたりで息子の世話をしている。この状態をつくれたことで、わたしのメンタルはとても安定した。自分だけの責任ではないことを理解できた。

数日ぶりにぐっすり眠れたと思う。もちろん深夜に起こされはするのだけど、断眠することも、入眠できないこともなかった。

あの日から5ヶ月ほどが経ち、今もわたしたち夫婦と息子は別室で眠っている。
息子は生後6ヶ月を控えて夜はぶっ続けで眠るという優秀な赤ちゃんへと成長している。時々寝言泣きをすることはあるけれど、それはもちろんしっかりとわたしたちの部屋にも聞こえているし、少し様子を見ていると自分で再び眠りについている。
ご近所には「え、生まれてたんですか?」と驚かれるくらい息子の声は聞こえていないらしい。それを知ってから、多少泣いても気にならなくなった。
時折泣いてばかりなことがあっても「どうしたの~泣きたいの~~」と焦りもせず抱っこで過ごせるようになった。不思議なことに「寝てほしい」と思っているときほど、息子は寝ないこともわかった。

2020年の誕生日は、クソみたいな誕生日だった。
けれども、これが子どもをもつということなのだろうなとも、同時に思った。
きっと今年の誕生日にも、この日のことを思い出すだろう。
もしかしたら次の誕生日は、1歳児による無限の夜泣きに悩んでいるかもしれない。
もしかしたら、親子3人で寝ているかもしれない。
わたしが35歳になるその大切な一日は、どんな日になるだろうか。

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