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ワンオペは「保育が必要な状態」だと思う

今日、産後初めてイライラして大声を出した。
息子に対して、ではなく、なんだかもう気持ちがいっぱいいっぱいになってしまって、というほうが正しいだろうと思う。
窓は閉め切ってある、息子のほうは見ないようにしよう、よしやるぞ、

あ゛ーーーーー、 ム カ つ く !!!!!!!!

さっきまでは調子がよかった。
18時から散歩の要求がきたのは予定外だったけど、帰宅が20時前になってしまった先週と比べたらずっとスムーズに歩けたし息子もしっかり手をつないでくれていておりこうだった。
食事の用意のときにまとわりつかれて少しわずらわしかったけど、それはいつものこと。
今日何度目かのお茶をこぼされたけど、それもこの時期ならまだ仕方ないこと。
お昼寝してないから眠いだろうな、早くお風呂に入れて寝させちゃおう。
服を脱ぐのもスムーズになって、ご機嫌で入ってくれるのはとても助かる。
お風呂が終わってドアを開けたら、息子も開けるのを手伝ってくれ…たのはいいけど、勢い余ってわたしのメガネを直撃。
この衝撃でメガネのネジが緩んでしまい、左のツルがガクガクになってしまった。
あぁ、息子に保湿クリームを塗って服を着せて、お茶を飲ませないと。
さて、メガネは修理するか…新しいのを買うか…10年以上前に買ったものだしどこに持ち込むか…そんな時間があるのか…
ん?息子がTVボードで何か塗ってるな?
お茶こぼしてるじゃん…
雑巾を持っていって「こぼしたらすぐに教えてね」と到底わかってもらえなさそうなお願いをしながら床とTVボード、そこにあってふやけてしまった雑誌を拭く。
さぁもう寝ちゃおうか、歯磨きも最近は嫌がらなくて助かるな。
寝かしつけに使っているソファのカバーは今日もたるんでズレてる(しかも破れて穴が開いている)、ずっと買い替えようって言ってるのに全然いいのがないし、探しているヒマもない。
息子がソファに乗りかかっててカバーを直すのにも一苦労だし、穴はまた広がった。
あぁ、もう、ダメだ。
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ワンオペってなんだ?

我が家は夫がサービス業に近い職種でもあり、土日は出勤。
保育園も週末はお休みなので、わたしと息子の二人で過ごしている。
散歩に行ったり買い物をしたり、数ヶ月に一回くらいの頻度ではあるけど隣の駅まで足を伸ばして、Twitterで知り合ったお母さん仲間と「子ども広場」のようなところで子どもたちを遊ばせたりしている。
基本的にはいわゆる「一人の大人が子どもの世話をする=ワンオペ」をしているわけだけど、例えばこれは専業主婦の方が過ごしている平日と同じようなものだと思う。
専業主婦の方は仕事(勤務)をしていないので、基本的には保育園の利用はできず(病気の療養や介護、出産などのためであれば利用が可能)、自宅保育をすることになっている。
保育園を利用するのは、両親が仕事をしていて他にお世話をしてくれる人もいない「保育が必要な状態」の子どもがいる家庭だ。
(調べてみたら、かつて使用されていた「保育に欠ける」という文言は今はなくなり、「保育が必要な状態」に言い換えられているらしい)
保育が必要な状態というのは、いろいろな条件があるけれど煎じ詰めれば「長時間、子どもの世話をできる人が不在になる状態」。つまり仕事をしているとか、病気で動けないとか。
だから、基本的に家にいる(とされている)専業主婦や週末休みの人は、家で保育をするわけだ。

しかしながら、今日ちょっと上記のように自分の感情がコントロールできなくなって気づいた。

ワンオペのときって、ちゃんと“保育”できてるの?

例えば家事をしていると、後追い期の続いている息子は足元にまとわりついてくる。洗濯物を干していればベランダにも出てこようとするし、料理をしていればワークスペースと母親の身体の間に入り込んで遊び、包丁の乗ったまな板、の乗った布巾ごと引きずり降ろそうともする。(そもそも乗せないようになったけど…)
まとわりついているだけならまだしも、絵本を持ってきて読むように求めていたり、おもちゃで遊ぶように催促してきたりもする。
もちろん、家事をしているので適当にあしらって必殺の(というかこうするしかない)「後でね」「待っててね」を発動する。
が、1歳半の子どもに「マテ」ができるわけもない。
徐々に息子の表情からは不穏な空気が流れ始め、やがては力ずくで母親をリビングへ引き戻そうとするか、その場に座り込んで作業の邪魔を本格化させるかだ。
そしてこうした作業妨害に「カワイイ」と「イライラ」の混ざった感情が渦巻き始め、やがてそれがピークに達すると、件の小見出しへとつながる。

今日、こうして大声を出したあと、息子を見ると大きな音に驚きはしたようだったものの、それ以上はとくに泣いたりおびえたりといった様子はなかった(本当のところはわからないけど)。
ごめんね、と声をかけて、いつもより丁寧めに寝かしつけをした。指を吸う習慣の抜けない息子を眺めつつ、ぷるぷるのほっぺをなでたりつついたりと堪能する。
息子はこちらを見やってニコっと笑い、わたしが自分のおなかをぽんぽんと叩いて見せるとそこに寄りかかってきてまたニコニコしたあと、少ししてから眠った。

息子にとって今日、わたしはいいお母さんだっただろうか。
あまり構ってくれない、怒ってばかりのお母さんではなかっただろうか。

普段、他責思考の強い自分からは到底出てくることのない自責の念が次から次へとあふれてきて戸惑ったが、これがおそらく世の多くの「怒れるお母さん」「悩めるお母さん」たちが抱える「ダメなママでごめんね」ってやつなのだろうなと思うなどした。

わたしには一日のタスクがたんまりとある。洗濯したり掃除したり、息子の遊び相手に食事の用意、食事の補助、片づけ、お風呂の世話、スキンケア、歯磨き、息子が散らかしたおもちゃの片づけ…もちろん自分の食事もどこかのタイミングでとらねばならない。
でも、息子にとって一日というのはおそらく「あそぶ」「ごはん」「ねる」の3つくらいなんじゃないだろうか。しかも休日にはそのすべてが「おかあさんと」という選択肢しかない。
その肝心のおかあさんが家事にかまけて(いや、かまけているわけじゃないんだけど)自分の相手をしてくれないって、
これは、保育が足りている状態なんだろうか?

「大人が一人いれば、子どもを一人見ることくらいできるでしょう」?

それはそうだと思う。家事もなにもしなくていいなら、自分の食事とトイレの時間以外は子どもに全振りすることも不可能ではないだろう。
でも実際に、それで家庭を回すことはできない。夫は日中仕事をしているわけで、家事をすることはできない。夜も定時で帰れる人ばかりではない(我が家は23時帰宅がデフォルト)。
家事の片手間に足元にまとわりつくのを「はいはい」とあしらわれたり、
おもちゃを持っていけば「あとでね」と面倒そうに返されたりすることが、
子どもの日常でいいんだろうか?
それが「保育が足りている」とされる最低限のワンオペの状況なんだろうか?

そんなことを考えながら、寝ついた息子を布団まで運んだ。
彼の寝顔はいつもこれ以上ないくらい安らかだし、親の理不尽な怒りにも全く翳ることがないけれど、それが彼の「赦し」だと思ってはいけない気がした。

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