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杉山洋一「自画像」


今の時代に書かれたオーケストラ作品について、作者と対話をする企画です。杉山洋一さんと「自画像」についてお話しました。 


音楽、はどこにあるか


自分が生まれ、現在までの半世紀における世界各国の戦争紛争地域の国歌や州歌を、並置した※解説より抜粋


ーー山根:この曲に対して作曲ではない、音楽ではない、という旨のことをご自身で書かれていましたが、私はとても音楽として心動かされたんです。杉山さんにとって、作曲や音楽ってどういうことですか。いきなりですけれど。

杉山:本質的なことですね。作曲じゃないと書いたのは、自分の中の音とか感情っていうものを・・・感情の昂りみたいなものを音に表すということは一切ないからっていうことでしょうかね。発露的な意味での作曲という行為はほぼない。それはもしかしたら、いわゆる皆さんの思うところの作曲というものとは違うんじゃないかなって思って書いたんだと思うんですけれども。それは基本的にいつもそうなんですけれど、ただ今回は特別、そういうことを意識して自分と音との距離を離そうとしたっていうのはあって、その意識的な部分が、作曲ではないと敢えて書いた部分なんじゃないかなと思いますね。

音楽は・・・一貫してずっと思っているのは、演奏家としての立場でも作曲家としての立場でも音楽っていうのは自分の中には全くなくて。演奏、音が出て、それが聴き手に伝わるための役割を果たす何か、っていうのが音楽なのかなと。そのコミュニケーション手段の真ん中にあるもので、音になって、それが空間に発せられて、聴衆に伝わるっていうところまでを含めて。


ーーなるほど・・・会話の中で音楽的という言葉を使われた時に、音楽的というのはどういうことを指してらっしゃいますか?

杉山:センテンスの意味によって違うかもしれませんけれども、テクニックのことを指しているわけでもないし・・・音に・・・させる部分、音になるための装置を作る部分のメカニズムが、よりコミュニケーティブだということなんじゃないかな。まあコミュニケーションがないっていうのもひとつのあり方だと思うし、それも含めての装置の部分。

ーー杉山さんはご自分の曲を聴き手として聴くときどんなところを聴いていますか。

杉山:僕の中にあるこれをこういう風にしてこう表現しようみたいなのは、ないんで。書いてしまったら自分から離れていて、こういうもんだったのかと。日記を、まあ日記って言っても色んな書き方があるけれど、忘れないように書いておいたものを、あ、こうだったな、あの時はこんなことを考えていたなとかそういう感じですかね。

ーーなるほどなるほど。

杉山:僕が、最初からこういう風に演奏してもらうということを、想像して書いてない。こういう風に鳴るっていうのはわかって書いてはいるんですけどね。でもこの一音のこれがこういう風でこんな風に弾いてもらわないとこうにならないっていう発想で書いていないので、聴いてるときに思うのは、音を聴いてるというよりは、あ、あの時こんなことがあったな、だからこんな風なものを書いたんだろうなみたいなことは考えますね。

ーーじゃあ作曲するときは一番最初に音の全体像とかが頭に浮かぶ感じじゃなくて、どうやって、

杉山:それも、それも(笑)ないですね!

ーー最初どんな感じで始まるんですか?

杉山:自画像に関してだったら、なんでオケ書かなきゃいけないかってことで。指揮をしているという意味でオーケストラとのお付き合いはあるし、お願いをされた時には勿論喜んでっていう形だったんだけども、なんで僕が書かないといけないのかっていうのがやっぱり最初にあって、音像が浮かんでくるわけでもないし、歴史的な意味で何を残そうとかっていうのは全くないですけど、あとで振り返ってあのときこういうことがあったからこれを書いたんだなぐらいのことがわかる何か、時間軸と自分との関わりを多少この作曲上に残していくべきかな、と。

大人数で演奏をするということと、自分が作曲としてしなきゃいけないと思ってきたことは何か、自分は何ができるのかとかそういうことを考えて。だから「こういう音を書きたい」と思って書いたってのは全くないですよ。自分が50年間生きてきてなんとなくこう、ずっと気になってたのにちゃんと勉強をしてこなかったのがいけないんだろうけど、わかってるようでわかってない部分っていうのはなんだろうなっていうのを頭ん中で反芻していって、じゃあ、こんなことできんのかなあと思いながら、ほとんどの時間1969年から今までの世界状況を読み返すようなことばっかりしてて。

ーーずっと気になっているわかってない部分が、世界状況だった。

杉山:何々がありましたって言う風に客観的に読めるんですよ。でもね音楽っていうのは点ではなくて長さがあるわけですよ。そこが、さっきの音楽とはなんですかっていうところと繋がってくるんですけど・・・演奏家が演奏するときっていうのはもちろん演奏家のキャラクターやシンパシーなんかにも関わってくると思うんですけど、楽譜に書いてあるもの+αっていうものが加味されて、音として空間に放出・発散されるものなんですよね。

戦争とか紛争っていうのはそれに到る長い下地があって、裏に色々動きがあるからそれを読んでいくと数字だけではいかないところがあって。で、こういうことを音に、するっていうのも非常に・・・僭越な気もするしそんなの別に僕がそこにいたわけでもないのに書くのも、非常に違ってる気がするけれども、でも音楽をする上で、今まで生きてきてこんな風に地球っていうものが動いてきたんだよってことを身体で感じるっていうのは、やっぱり、今、やらなきゃいけないのかなと。



西洋的?どの視点から?


ーー因みにご自身の曲以外の音楽を聴いてるときは何を聴いてらっしゃいますか?

杉山:それは現代音楽の話だよね?多分ね?

ーークラシックと?区別してますか?

杉山:演奏する側の気持ちになっちゃうことの方が多いかもしれないけどね、特にオーケストラの曲を聴くときは・・・もしかしたら作曲家的な視点よりも指揮者的な視点で聴いてるときもままある。面白く響いてるとか、これってきっとオーケストラの人喜んで弾くだろうな、こういうフレーズって好きだろうなとかっていうようなことは思っちゃう。

ーーそこが複数視点あるのかなあ、杉山さん。

杉山:そっちは非常にプラクティカルなことで・・・ただこれだけほんとに色んな作品が世の中にあるから、音響として面白いっていうことよりもそれを含めてどういうことやりたいかっていうことが、どれくらい自分に伝わるかっていうことはあるかな。


ーー私は「自画像」を聴いて、私の意味するところの音楽的にとっても素晴らしいと感じました。私はやっぱり音を聴き込んでしまう。一見明るい国歌と国歌の重なりから生じる質感。内に紐づいた血とか暴力、略奪を思うと素晴らしいなどと無邪気に言えない反面、芸術として体感する機会をくださったわけじゃないですか作品によって。体感することで私は凄く心動かされた。そのこと自体グロテスクではあるけれども、震える体験で。

なので私はそういう意味でも、西洋音楽ってある種非常にグロテスクな、人間らしいとも言えるけれど、そういう性質を持っていると思うんですよ。杉山さんは、その、西洋音楽についてどのように捉えてらっしゃいますか?

杉山:西洋音楽についてどのように捉えてらっしゃいますか?西洋・・・西洋音楽の反対はなんかあるんですか?東洋音楽とか民族音楽とかそういうこと?

ーーそうですね、西洋の視点からだと民族音楽とか分けられたりしますけれど、西洋の概念に嵌まらない音楽は世界中にいっぱいある中で。

杉山:あの曲って西洋音楽が元になっているモチーフはないんですよね。最初のところはカバニーリャスですけど、あとは全部国歌と民謡なんで。マーチっていうのは割と西洋音楽っぽいんだけど、それ以外はね、へんてこなメロディばっかりなんですよ。だからあんまり西洋音楽を書いてるという感じはしなかったんですけど。

ーー素材はそうか、じゃあ、杉山さんは西洋音楽の作曲家、ですか?

杉山:西洋音楽の作曲家というかそういうあんまり、西洋音楽の流行に則った技法を使うかっていうとそんなことも敢えてしなかった方だから、これをこういう風にまとめるっていうところが非常に西洋的なのかもしれませんけれども、でも、ここに住んでいてつくづく思うけど、あんまり西洋的ではないなぁとは思いますよね、自分と他の作曲家と比べると。

ーーイタリアに住われていてそこから見た視点だと!

杉山:全然西洋的じゃないんだろうな。とは思いますね。

ーー西洋的じゃない・・・その、オーケストラを書いたり五線を使用している時点で西洋の体系の元に書いてるということはありますよね、西洋「的」じゃないけれども文脈的には。

杉山:そこは、ものすごく西洋的なフォーメーションのために西洋的なことをやっているわけだけれども。その辺もかなり考えましたよね。で、自分なんで・・・僕はやっぱり基本的にオーケストラっていうのはなんのために発展してきたかっていったら、あの辺(後期ロマン派)のものまでのものを忠実に、ええとリハーサル時間も含めてね、そういうことやるために音響バランスも含めてやってきて、あとはどういう風にそれを革新していくかっていうことを作曲家が腐心してるという感じ、だと思ってるので。

ーーそうなんですよね・・・そうすると・・今生きてる人たちにとってはなんか、不思議なところですよね。

杉山:そうですね、仰る通りですよ。


国歌(コンセプト)以外の部分


ーー私スコアを見せていただいて衝撃だったんですよ!音と解説を読んで非常にコンセプチュアルな作品だと受け取ってたんですよね。でも楽譜を見てそういうことじゃないのかもと思ってすごいびっくりしたんですよ。っていうのは、質問なんですけど、国歌以外のところをどうやって作られてますか?

杉山:あれは、国歌だけですよ。ほんとに。

ーーえっ!!?

杉山:あの・・・ああ!ああ、国歌と国歌の間ね!

ーー間、かな、周りのたくさん・・・

杉山:それは。どうやって書いてるんですかって言ったら、ある程度自分から離して、ここからここにこういう風に時間軸が移動していくときにどういう風にしてトランスフォーメーションしていけるかってことをしてあるわけです。

ーーじゃあぜんぶ繋ぎの意味で、

杉山:いや仰る通りですよ。繋ぎなんですけど繋ぎっていっても、ほら、戦争って時間があるわけで。最初と最後があって真ん中が繋ぎっちゃ繋ぎなんですけど、

ーー色々なことがあってそういう風になるという、

杉山:素材を見てこっからここに変化していくとしたらここには何が起き得るかっていうことばっかり考えているわけですけど。そのために、これがこういう風になっていくためには何が必要でってところを、一切感情的なものは込めてませんけれども全てそれぞれその場に即した規則的なものを決めて、全部入れてくわけです。

ーーいわゆる不協和にぶつけて、まるで・・・私が受け取ったのはその、溶けていくような感じとか、あとは、通じ合わない感じが、

杉山:もうもう、そうなりますよね。うんうん。

ーー音としてかなりコントロールされているように読めたんです。それは歴史に参照してここからこの国と国がこうなっているからとか、そういうところから来ているのかそれともどこから・・・不協和な書法というのは純粋に国歌の要素以外というか、

杉山:ああ和音の話?

ーー和音とか、はいあのピッチが変わっていくじゃないですか。どんどん。

杉山:だって一つから一つに変わっていくためにはピッチ変わんなきゃ変わんないじゃないですか。

ーーえ?え?

杉山:例えば・・・どういうところがわかりやすいかな、

ーー例えば、最初のリトルネッロ、

杉山:最初のカバニーリェスがだんだんそれぞれの国になっていきますよね、

ーー国(歌)になっていくようにグラデーションしてるってことなんですか?

杉山:そうですよそうですよ。

ーー全部じゃあグラデーション!

杉山:全部グラデーションと言ってしまうと・・・まあほぼそうですよ。

ーーなるほどなるほど・・・そうか、

杉山:ただそのグラデーションの作り方とか、どう言う風に持っていくっていうのはまあそれぞれ全部違いますけども。

ーーそうですよね、そこが、すごく!この音楽の見えなかった核心だと感じたんですよ、これは・・・国歌を並べただけではこうならないじゃないですか絶対。

杉山:ああそれは、それはならないですよ(笑)

ーー並べただけでこうなったのかと思ってたんですよ。ああ、こんなに戦争があったのかと音と直に連動させて聴いてたんですよ。戦争は勿論あるし、見えない争いもあるけれど・・・でもかなり杉山さんの筆の部分が大きいっていうのをスコアを見て改めて、というか初めて知った。

杉山:(笑)ありがとうございます。

ーー解説の力もあって、音をコンセプトに直に当て嵌めて聴こうとしていたんですよ。

杉山:ほんとは何も書かない方が良かったんですけどね。なんか書いてくださいっていう風に仰られたんで書いたっていう。解説は。

ーーいきなり16部音符が暫く連続したりとか、けっこう五線上に書かれているじゃないですか、これはどうやって、

杉山:だからコンセプチュアルな音楽ではないと思いますよ、全然。

ーー目に見えるコンセプトがショッキングでとても強いし、一方で見えない部分も本当は大きい。音響に没頭する中でその詳細は一聴して捉えられなかったです。

杉山:そのままだとね、わざわざオーケストラを使ってやる必要ない、よ。その辺自分がオーケストラの方と割と親しくお付き合いをさせていただいているからなのかもしれない。こういうことを書くときっと、こういう化学反応を彼らが起こしてくれるし指揮者もこういう人だからこんな風に感じてくれるんじゃないかってところを先に読むんですよね。

ーーそこからこう言う風に書かれたわけですね・・・!

杉山:そっちを先に考えますね。

ーー国歌だけだと・・・全部聞き取れますよね。並べても。純粋に国歌だけだと。

杉山:うん。戦争って一つの国家だけではほぼ成立しないんですよね。最初はせめて直接対決している国と国の国歌を並べるだけでも成立するものってあるのかな、と思ってとにかく書き出して並べてみたところは・・・ちょっと、わざわざこれをオーケストラを使って自分が書かなきゃいけないものとは違うのかなという感じがしたんで。要するにそれはほんとにコンセプトですよね。

じゃあ自分が音楽として成立させるためには何ができるのかなと思って、対立する2国間のどちらかを基本的に取り上げることにしたら、少し!時間軸とか、何か見えるようになってきた。その辺は試行錯誤というところです。


国歌、国家と音


ーー国歌ってあまりにも屈託がなかったり、明るい旋律で。曲では原則攻撃された時に現れて。そういうのを楽譜を辿りながらなんとも言えない気持ちになりました。屈託ないですよねすごく。

杉山:そうですよね。屈託ない。歌詞は勇ましかったりするんですけどね。

ーー国歌って全て五線で作られた音楽ですかね?

杉山:っていうと?

ーー日本も近代国家になってから国歌、というか西洋音楽が入ってきたじゃないですかドレミが。それまでは全然違う音楽文化だったじゃないですか。

杉山:無理やり五線に書いてるってのもかなりあると思いますけどね。

ーーローデシアは「歓喜の歌」だったり。どういうことなんですかね、歴史的なことになるんですけど。その、国歌とは、音楽として何だろうなと思ってて。私は国歌からは偉大さや威圧感というか抑圧のようなものをも感じる面もあり。日本の「君が代」にはまた違う感覚というか近いだけに膨大な印象があるけれど、例えばアルメニアはまるで支配の歌だったり。色々あるにせよ大体のスタイルが支配とか戦いを歌ってて、国歌って、

杉山:いやほんとにねぇ、日本ていうのはやってつくづく思いましたけど、いいも悪いもほんとに変わった国だと思いますよ。あとこんなに長い間同じ国家が生きてるって、他にもありましたけども割と少ないんですよね。

ーーそうらしいですね。

杉山:その意味でほんとに独特だなぁと思いましたね。あとそう、抑圧を感じるって仰ったけれども、僕も国歌というものを好きだったかというと全然そうではなかったのが正直なところなんですけれども。

あれはどこだったかな、今年の8月ぐらいに東京で。譜割しているときってだいたい僕ラジオ聞いてるんですよ。で僕はねフランスの国際放送を聞くのが好きで。フランスの国際放送のどこを聞くのが好きかっていうと、アフリカ向け国際放送ってのを聞くのがけっこう好きなんですよ。で・・・夏はね、その放送で特集していたのが子供用の番組、小学校の先生が今日は国語今日はなんとかって言ってそれをコロナで学校に行けないアフリカの子供がすごい勢いで勉強しててね。8月の、ええ1週目2週目その辺なんですけどその辺ていうのは、フランスからのアフリカ諸国独立60周年だったかな。ベナンとか、いろんな元フランス諸国だった人たちの高校生たちが、自由研究で自分たちの独立したときのことを家族に聞いて色々調べて発表するっていうのをやっててね。その時に国歌が流れるわけですよ!それを聴いてね、涙が出てきてしまってね。

ーー・・・そうなんですね・・・!

杉山:そのときにね、僕なんかがいみじくも勝手に使わせていただいたメロディが流れる。高校生の女の子や男の子たちが、おじいちゃんがこう言ってました、当時はこれこれこうでした、フランス人がこんなことしましたみたいなことをずっと話してて。で、そうなんだよな!と思いながら。あ、こういう風に国歌っていうのはあるんだよねっていうのをね、別にいいとか悪いとかじゃないし色んなことを・・言葉で説明できるもんじゃないです、ほんとにその時はこう、涙が出ましたね。なんか聞いてて。

ーーどういう涙ですか?

杉山:なんなんでしょうね!こんなところにこんな風にこういう音楽ってあったんだよなっていう、妙な実感ですかね。悲しいとか悲しくないとか可哀想とかではなくて。あれは聞いてて良かったなあと思ったけど、でもそんなことは全然僕なんて部外者だからほんとに失礼な話だと思ったけど、でもそれでも(作曲を)やんないよりはやってよかったんじゃないかなぐらいの、だから大義名分なんかはないですけども・・・

ーー「自画像」という題で国歌、国家という国を結びつけられたわけですけど、杉山さんにとって国ってどういう存在ですか?ご自身と国の距離感、というか。

杉山:国っていうのは実はほんとにこう、あんまり線引きができないもんだなっていうのが自分で勉強してみて思ったことですね。

ーーうんうん。

杉山:特に日本にいると他の国と国境接してないからっていうのもあるし、色んな意味で幸福なことが連なって今のところまでは、ね、割と日本国としての独立性を保ってきてるからあんまり意識しないけれども・・・っていう風に言っちゃうと実はそんなことはなくて、世の中に色んなものがあるのを我々が敢えて気が付かないふりをしているだけなのかもしれない。いかに国っていう国境の線引きが、いい意味でも悪い意味でも不自然な部分は多々あって。

ーー国の境界。

杉山:国家と、人や文化っていうものは当たり前ですけど全く線引きが違うもんだから。まるで違うもんなんで・・・それを含めて人を治めるっていうのは、どういう風にしたら治められるか。まあもちろん僕らのやるべき仕事でもないんだろうけど、こういうことをしないと国とかパワーバランスってのはとれていかないもんなのか、もしくはこうやってこう、儚くもパワーバランスをとっていくしかないのかとか、そんなことは思いましたけどね。

ーー国家自体、西洋の概念のような気がするんですけれどどうなんでしょう。

杉山:国家っていうものが西洋の概念っていったら勿論その通りなんじゃないですか。日本の国家っていうものも多分、今から150年くらい前に我々が、こうしたらいいですよってやったものなんじゃないかって僕は思っているんで。

ーーそうですよね。国・・・ってなんだろうなあ。

杉山:うん、一応その辺が規範になって西洋的な発想であることにはほぼ間違いないんじゃないかな。それで特にアフリカ諸国なんかは独立した後、各々の国の文化と、それまで宗主国であるフランスとかどっか他の国が築いてきたものとの狭間で、どういう風にこれから発展してくっていうことを、悩んでいくからどんどんんその後内戦が始まる、要するにあの曲にいっぱい出てきたのは、独立はしたけども独立した後すごい内戦が起きるわけですからねほんっとに。長い間同じ国の中でとんでもない血みどろの戦いがずーっと何年も何十年も続くわけです。


ーー私はこの「自画像」については音楽構造的にはいくつか雅楽を感じました。区切り方とか、旋律線のヘテロフォニックな操作、感覚的な合わせ方とか。


演奏の力、場を共有する意味


ーー作曲していて一番嬉しい事は何ですか?

杉山:一連のことを含めて言うんだったら、演奏者の方がとてもそれぞれ感情こめて弾いてくださっているのを見る時かな。それが一番。だからあんまり自分の曲っていう感じもしないんですけど、非常に自主的に参加してくださっているのを見る時は感動しましたね。やってて良かったなと思います。それはこの曲に限らずですけどね。でもこの曲は大人数でそういうことが重なるから。


ーー杉山さんは指揮者として本当にたくさん同時代の作品初演や再演をなさっているじゃないですか。古典ほど何度も演奏されるわけではないに関わらず1曲ごとに全く違った音楽だから、相当のエネルギーが必要な仕事ですよね。

杉山:僕もともと指揮者になろうと思ってなったわけじゃ全然ないんですよ。そういう意味では学生時分から、試しにこの音聞きたいから振ってくださいよみたいな感じで、前で4つ振ってますみたいなところが抜けきらないところもあるんじゃないかなっていう気はするんですね。

ーー求められて。

杉山:僕自身そうかできた曲がある、できていた曲がある、どんな曲か聴いてみたいっていう非常に素朴なものと。もしこれをリアライズするんだったらできる限り丁寧にやろうと思ったらどういうことができるんだろうって、そういうことは思うかなあ。

でも演奏者と一緒にその楽譜をリアライズすることができる喜びみたいなものはもちろんすごく、あるし・・・でもあの、こんなこと言っちゃいけないのかもしんないけど、演奏で、曲ってどうにでもなるんですよ!言っちゃ悪いんだけど。

ーー演奏の力!

杉山:どんなにいい曲でも悪い演奏で聴いたらつまんない場合ってまああるわけですよ、言っちゃあ悪いんだけど。だからそれも含めてできる限り最良の、その曲の素晴らしいところをどうやったら伝えられるんだろうかってことを考えるのに必死で、それ以外のことはあまり考えてないって感じですね。

ーーオーケストラは基本的に古典や後期ロマン派までの作品を演奏するために形作られた社会体系だって仰ってたじゃないですか。でもそうではないスタイルで書かれた曲の初演がいっぱいされていることを考えると不思議な気持ちになってくるんです私。

その・・・ベートーヴェンは同時代のどの作曲家の誰よりも偉大だと考えますか?


杉山:ベートーヴェンはどの時代の・・・??(笑)

ーー「例えば」ですよ。すみませんいきなり飛躍しちゃってごめんなさい。なんか、私作曲しててね、(特にオケとなると奥底に)常に、偉大なベートーヴェンのようなものを求められている気がするというか。それは自分とはズレているんですよ。この感覚はどこから来ているんだろうって。

杉山:そうか、あなたの方がよっぽどなんていうかそういう、時代意識みたいなものがあるんだな。考えたことがなかったな。

ーー私ね例えば「第九」を何回も聴きに行くよりも「自画像」を何回も聴きに行きたいって思う。

杉山:そんなこと言わなくていいよ(笑)

ーー待って本気なんですけど、他にもね、同時代に好きな曲がいっぱいあってそっちを聴きたいのに、社会的にはベートーヴェンが桁違いに特に日本では上演されて、同時代に生きてる作曲家の誰も絶対に越えられない、まあ越える必要もないんだけど、構造的に一人の作曲家として対等になり得ないじゃないですか。

杉山:熱いね。

ーーいい曲を書けばいいとかそういう次元じゃないと感じていて。

杉山:まあベートーヴェンという風に限定的に話をすると違うのかもしれないけれども、演奏会に行って聴衆が感動する部分ていうのは別に、ベートーヴェンの曲を聴いて感動する部分じゃないと思うんですよ。

ーーなるほど、

杉山:それもあると思うんですけども、やっぱりこう、さっきも申し上げた通り演奏家が何か伝えようとするエネルギーみたいなものがね、聴衆に伝わるとか。

ーーはい。

杉山:共感するとか。その空間にいることの何か意味を感じるっていうところに、行った価値を見出すもんだと思うので。すごく当たり前の意見なのかもしれないけれども、そういう体験っていうのをやっていくことの積み重ねなんじゃないかなとは思うんですよね。だからそういう意味では、演奏家っていうのはものすごく責任があると思ってるし。

仰る通り色んな意味でそんなに簡単にすぐ実現できないものだから、体験は今まで以上に大切になっていくんじゃないのかな。だから、より一期一会みたいなことを感じてはいますよね。実際に演奏してみてなんぼってことっていっぱいあるから。

ーー本当に・・・一つ一つが他に無い体験だから。


Sugiyama - Autoritratto (2020) 音源、楽譜は作曲家[LINK]までお問合せください。




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