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渡辺裕紀子「折られた...」


近年に書かれたオーケストラ作品についてもっと対話をしたい。今日は、渡辺裕紀子さんに「折られた...」について話を聞きました。



「立体」と「平面」


ーー山根:この曲に出会ったのは2016年の芥川作曲賞選考会の時。公開選考を経て胸の中で気になる部分があって。”独特の感性で描かれているがそのことが音楽とどう繋がっているのかはわからない、しかし素晴らしい” という評価のところ、もう少し踏み込んで知りたいなって。その「感性」の部分を、言葉として引き出せるものではないかもしれないけれど聞かせてください。まず渡辺さんはこの曲でどのようなことをしようとしたんでしょうか。

渡辺:実はそれまでは、オケを書きたいと一度も思ったことがなくて、あまり興味を持てなかったんだけど、妊娠して家にいる時間が長かったときに、この時間をなにかにつかってやろうじゃないか、と一念発起して。オケを書くっていうことは、どういうことなのかっていうところから考えてみようと思いました。


それで、根本的なところから一度やってみようと、オーケストラの楽器について考えたんだけれども、、楽器っていうのは、概して現代に進むにつれて改良されて弾きやすくなってる傾向があるわけですよね。つまり、鳴りやすくなってる、改良されて弾きやすくなってる。で、弾きやすい鳴りやすいっていうのは、ある意味画一化されてきてる、それってオーケストラもそうなんじゃないかな、と思って。オーケストラってだんだん大きくなっていってるじゃない、サイズが。昔のモーツァルトとかの楽譜見たら、今みたいにこんなA3のとかA2とかじゃなくて、、


ーーポケットスコアで読めるみたいな。

渡辺:そうそうポケットスコアで全パート見ることができるサイズだったりして、それはどこで演奏されるかって、弾かれる/聞かれる空間と関係があると思うんだけど、楽器は改良され画一化されて、オケも少しの力で、たくさんの人に提供できるように画一化されてきたというか、、そう感じていて。資本主義社会の中では、なるべく少ない労力でたくさんの人に聞いてもらった方がいいじゃないですか。それで、資本主義社会とか、空間とオーケストラの関係みたいなことを考えていたんですね。

それで、オーケストラの長い歴史について考えてたんだけども、協和音程と言われる音程関係は、倍音構造的に考えて調和して空間に広がるから、届きやすい。そしてスペクトル音楽っていうのも、その倍音を構造にして、とても美しく空間を満たすことができる。現代の音楽ってすごくそういう風に、、なんていうのかな、、空間を膨張させたり、とても、こう巨大なものを作る方向にオーケストラが向かっていったような気がしたんですね。それと、こう、資本主義社会との関係っていうのがリンクして、それじゃあ、それとは違う方向で考えたいな、と。「大ホール全体を響かせる」っていう方向じゃないものを書こうと思いました。でも立体的に音を作るってオーケストレーションで一番勉強するところで・・・学校ではオーケストレーションで楽器を美しく調和させて、全部の音がファンクショナルに聞こえることが大事だって勉強してきたはずなんだけど、そうじゃないことをやろう、と。で、立体的っていうものの反対ってなんだろうと思って、じゃあ平面的に音を考えようと思ったのが最初です。


ーーえ、待って待って、「立体的に」っていうのは話の流れでいくと「鳴る音」ってこと?空間が響くイメージなのかな?

渡辺:そうそう。


ーーじゃあ「平面的」にっていうのはそのロジックでいくと具体的には、より「鳴らない音」って言うとちょっと短絡的すぎる?

渡辺:うんうんそうそう、そういうことだよね。立体的の反対がなんなのか、色々あると思うけど「『鳴らないオケ』っていうのを、一回やってみたい!」って思った。でもやってみると実は難しくて、オケは鳴っちゃう。会場が、オーケストラが響くように構造的に作られているから。だから意識的に、効果的に、「鳴らさない」ってすごく難しかったですね。


ーー既存のオケ曲でこれは立体的だとか平面的だなと、聞こえるものはありますか?

渡辺:スペクトルの作品は立体的に聞こえる。平面的なものっていうのは、、なんだろう。あ、そうだ。ハース(Georg Friedrich Haas)を聞くと、「立体的/平面的」という感覚を感じることがある。そして、時々ちょっと怖い、、


ーーああ、捻れる感じかな。

渡辺:・・・なんていうのかな、その、、満たされる感じが怖い。空間に入っていく感じが。巨大なものに飲まれていくようで。「ちょっとちょっと!待って!」みたいな(笑)でも恐いもの見たさで聞いてしまうんだけど。


ーーそうなんだ。えっ、じゃあ平面的な曲は、既存の作品ではどう?

渡辺:それが思いつかなくて・・・だから「ないなら作ってみたい」と思って。


ーーじゃあオケに限らずね、室内楽でもソロでもいいんだけど、平面的に作ったことってある?意識して、平面を。

渡辺:無いかもしれない。これが最初で、それから何度か試してるけど、なかなか上手くいかない。


ーーそうか。じゃあ具体的な音響やイメージではなく、思考から、平面的とはどういうものだろうみたいな感じで進めていったの?

渡辺:「平面的とはなんだろう?」がイメージの発端だったんだけど、それだとあまりに抽象的すぎるから一回簡易化して、「縦と横」というファクターで考えることにしたんです。縦の響きを立体的な音響空間、横の線的な流れを平面的だと仮定して、まず縦は完全に無視して、横線で出来たレイヤーを下地の構造にすることにした。

ーーうんうん。

渡辺:幾つもの直線が重なっているような線だけの音高モデルを作って。輪切りにする瞬間は、ランダムで決めたわけです。

「輪切り」


ーー待って待って、輪切りって何でしょう?

渡辺:輪切りっていうのは・・・ええとね、例えばランダムな横線が幾つかあったとして、、、輪切りっていうのはこういうことです(縦軸は音高、横は時間軸、この複数ある斜めの横線が音のレイヤー。輪切りっていうのは、横線をぶった切った時に偶然的に出来る丸の部分)。

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ーーああ、そこで切るってことね。

渡辺:そう。そうすると、和音点がランダムに出てきて、線で出来たレイヤー上で、偶発的に、その瞬間の音が割り出される。ランダムに写真撮るみたいな感じかな。「動画を連写して、写真と写真の間は想像してください」みたいな構造。
点だけ見せるって、これ、何て説明しようかな。すごい抽象的なんだけど(この曲は、もともと折り紙がコンセプトにもなっていて)折り紙の紙と折れ線だけ提示して、「これを折っていただくのはあなたです、聞いてくださる方の想像力で折ってくださいね」みたいな感じ。


ーー???そうなんだ!・・・何を折るの?

渡辺:何を折るかは、わからない(笑)もしかしたら私も知らない何かが・・・できあがるかもしれない。


ーーそうか、出来上がったものじゃなくて、その、折るっていうのは、音・・・ちょっと待ってね、難しい・・・言葉にしようとする過程でデフォルメもあるし何かが削ぎ落とされたり不快なこともあるかもしれないんだけど、でももうちょっと食いつかせてもらうと、輪切りにする瞬間ていうのは、例えば、その・・・ってことはずっと何かが(空間に、聞こえなくても既にあるものとして)流れてるの?

渡辺:そそそそ。そういうこと。


ーーじゃあずっと流れてんだ。それを、ランダムにカットして、ほんとはランダムにカットする瞬間だけではなくてずっと流れてるけれど、表に出る音としては流れたり切れたりがランダムにされている感じ?

渡辺:最初のところはずっと斜めの線がそのまま聞こえる。テンポの違うグリッサンドみたいなのが層になってるんだけど・・・


ーーいっぱいあるよね、何個もあるよね。何個の層を作ったとかはある?

渡辺:すごいたくさん、ええとね、何層だったかな・・・2とか3ではなくて10とか20とかそういう数字だったと思う。


ーーそれがだんだんとこう、輪切りされていくわけ?

渡辺:そう、輪切りになったり、例えば・・・輪切り点だけ見せても、下地を想像するのは難しいから、例えばね、時々この太く塗った部分だけ聞こえるようにしたり。

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ーー最初はけっこうそのまま出てきて、だんだんこう、切れてくるのかな。

渡辺:段々と変化していくタイプの曲ではないんだけど、下地のどこをどこまで見せるかって言うことを常に考えてた。途中は、そうだね、また話すと長くなってしまうんだけど・・・これも長く挑戦しているコンセプトで、「見えないところを作る」っていうことをしたくて、「虫食い算」みたいなことをしてる。見えない部分は変わらないけど、虫に「食われてないところ」が変わっていくような感じ。


実はこの作品はたった一つの線だけで出来てるの。それを違う傾斜にしているだけで。傾斜がなだらかな場合は、テンポがゆったりとしていて、傾斜がきつくシューって流れる場合は、とても早く過ぎ去る(一人の人間の人生を、早送りで見るか、めっちゃゆっくり見るか、みたいな)。それが、今言っている複数線でできたレイヤーのこと。実際、幾つかのテンポが同時に存在しているレイヤーを虫食いにすれば、たまたま聞こえた音たちのテンポが毎回違う風に聞こえるだろうし、それって面白そうだなぁって思って。


ーー最初からその10個くらいのテンポを設定して流れてるのかな頭の中で?

渡辺:そうそう、頭の中でも流れているし、あとは実際全部書いてみて、それをコンピューターで鳴らしてチェックして見たり。そうすると周期性が出てくるから、それを元にまた構造をまた練り直して、と。そう、それが構造の下地になってる。


ーーそうやって作ってたんだねぇ。

渡辺:うん。だからグリッサンドがずっと続くのはそのせいなんだよね。実は一本のグリッサンドしかない曲だから。


「折る」


ーーじゃあ・・・折るっていうのはどういうことなの?例えば最初に折られている部分ってあるの?具体的に。

渡辺:ここがこう折られていますよっていうのはなくって。折るっていうのはその・・どうやったら説明できるかなぁ。

ーー抽象的なことなんだよね。

渡辺:・・・うまく説明できるかわからないけど・・・音を聞いていて、人は鳴った直後からその音を追うわけだよね、耳で。それで、時間差で「それがなんだったか」っていうのを考え直す時間がある。


何気なく聞いている場合でも、私たちって無意識にすぐ復習するじゃない。「あれなんだったかなあ」って。で、そういうタイミングのことを、私は「折る」と表現しているんだと思う。時間が、頭の中で時間が「巻き戻る」っていうのかな。

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ある時点で鳴った音響を思い出すトリガーみたいなものがあったとして、それを幾つか仕掛けておいて、何かを短い・長いスパンで思い出したり考えさせることで、音響が頭の中で折れ曲がって音楽を折るように聞けたらいいな、と思ったんだよね。とても感覚的なイメージなんだけど。

ーーはああああすごいなあ。そうだよね、そしてたくさん折られていった先(音源10'00"-)にある、和音は?

渡辺:和音っていうより、線の輪切りかな。輪切りにするスパンが短くなっていくと、ストップモーションみたいに、見えない部分が線で見えてくる。

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例えば、それがあまり複雑な動きだと、何がどう動いているかわからないけど、簡単な動きだったら点を追うことでラインが見えるかもしれない。特に最後のところは、線自体は見せないで、見えているように錯覚させたかった。

ーーそこでは折られたことによって立体性を帯びている?

渡辺:想像的な立体性が、全体を通してそこで、うん、そだね、見えてくる(といいな)。


ーー集中して、フォーカスしてるってこと?ゆっくり動くことによって。今まで過ぎ去っていたものが、ゆっくりこう、近づいて見えるのが最後の部分とか?


渡辺:音を主体的に聞くことで見えないものを想像しながら、音を折っていくうちに、何かが見えてくる。最後の部分は、虫食い率を下げて下地の線がうっすら見えるようにしたんだけど、でも全部それでやっちゃおうと単なるものすごく、見えやすい、わかりやすいものになっちゃうから。


ーーそうじゃ無い要素・・・そうね、コンセプトがわかればいいってわけではないんだよね、その、作品として。

渡辺:コンセプトは単純だから、説明したらすぐわかると思うんだけど、もっと言うなら「実験」かな。こういう風に考えたことによってどんな音響が生まれるのか。こう聞いて欲しいっていうよりは、「ほほう、こうなったのね!」って発見。


ーーなるほどね。

渡辺:実は曲としては、凄く単純で金太郎飴なんだよね。基本はずっと同じことをしてる。


ーー最初から最後までってこと?

渡辺:そうそうそう、ずっと同じことをやってる。見えている部分が違うっていうだけ。延々同じことをやっている。


ーーじゃこの後また線の割合が多い部分が出てきたり、輪切りをもっと少なくする部分が出てきてもいいわけ?曲として。損なわれない?それはだめ?

渡辺:輪切りの間隔が空きすぎると、多分ね、全然関連性が、見えないだろうね。


ーーそうかあ。

渡辺:懐かしいね。当時は、そんなこと考えていたような気がする。


知らないことに出会う


ーー作っている上で、一番の喜びってどういうところにありますか?

渡辺:ひとつは、知らないことに出会えることが喜び。曲を書いていてもそうだし、曲を聴いていても誰かと話していても、そう。だから、、こう、哲学書とか読む楽しみと似てる。自分が気づいてなかったけど、実はそうだった、みたいなことを知れる。哲学って言葉を起点に物事を考える学問だと思うんだけど、音を起点にして考える、みたいな感じかな。「音を通して考えたことを実験する」ことが楽しい。


ーーこれも聞いていい?「多くの人に聞いてほしいと思いますか」?

渡辺:そうだね。多くの人に聞いてほしいか・・・か。そうだね。それって、どういう意味で?


ーー作る人の喜びの根源が、自分が知らなかったことを知れるっていうところにあると、運営視点で経済的な持続性を考えた時に求められる、より多くの人に聞いてほしいっていうのと直接は繋がらない気がしていて。どう考えているかなって。


渡辺:この質問よく聞かれるんだけど、「この曲誰に聞かせたいですか?」とか、「多くの方に聞かせたいですか?」みたいな。いつも迷っちゃって。なんか不思議な境地に陥るんだよね(笑)多分、ボタンをどこかかけ間違えてるっていうか、何かピンと来ない。きっと色んなものが複雑に絡み合ってる質問だなって思うんだけども。


「多くの人に聞いて欲しい」ってことは、要は多くの人がお金を払うってことだから、それってホビーがジョブみたいな話になってきて。で、ホビーだったら、別に書きっぱなしでも良いじゃないって思うんだよ。でも、私の場合、ホビーかジョブかって考えたら「ジョブ」のほうだから、もちろん「沢山の人に聞いて欲しい」だって「お金いただかないと生きていけないし」みたいな話になっちゃう。
でもさ、それって聞きたいこととは別で、本質的な話に戻すと、私は「現代音楽」は「聞く哲学」だと思っていて、で、哲学っていうのは、ホビーでもなく、ジョブでもない、けっこう微妙なところにあって、人類の英知っていうか、今一緒に生きている人たちで一緒に考えましょうよ、みたいな宿題だと思ってて。だとすると、多くの人に聞いていただく価値があると思うんだよね。


ーーそう。オーケストラってお金もかかるし興行的に成功しなきゃ持続していけないから、より多くの人に!って常にマジョリティな感性に合わせると音楽の性質が限られてくると思う。そうではなくても、時間もエネルギーもかけて作られた音楽が、聴きたい人には開かれていることが大事だと私は思っているの。


渡辺:ほんとそうだよね。本屋さんみたいな感じだったらいいのにね。難しい本や哲学書とかもあるけど、雑誌とか子供用の漫画とかもある。それで別に哲学書の方も「なんで売れ線で書かないの?」って言われない。雑誌買う人が哲学書を買う時もあるし、逆もしかり。で、哲学書が売れなくても、そのコーナーがなくなることはない(と私は信じてる)、どんなに売れなくても。


ーー必要だよね。これからも一緒に考えていけたら嬉しいです。今日はお話を聞かせてくれてありがとう!


Watanabe - gefaltet... (2014) 音源はこちらで聴くことができます[LINK]。楽譜は作曲家[LINK]までお問合せください。






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