『ワンオペ子育て、もう限界!』~叫んで手放したら隣の世界は優しかった~
こどもが1歳3か月のとき、シングルになった。
「自由に楽しく生きていく」なんて言える余裕はなし。親戚のいない移住先で一人で子育てするプレッシャーと、二人の生活費を稼いでいかなくてはいけないことが不安で押しつぶされそうになってたこと、まだ鮮明に覚えている。
ごはんたべて!すぐ着替えて!早く寝て!
時計を見ながら、指示出しする毎日。
一番大切なのは、他のお母さんと同じように正しくふるまうこと。「これだからひとり親は、ね…」と後ろ指さされることがない、ちゃんとした子どもを育てること。子どもの表情や感情の揺らぎも感じていられない。ただ世間に合わせて生きていくこと。それだけに必死になっていた。
あれから2年半。
完全ワンオペ育児から脱却して、緩く余裕のある日々を取り戻すまでの軌跡をつづります。
シングル派遣の二人暮らし、始まる。
家賃2万円の家具付きの古い一軒家が見つかったのをきっかけに、夜逃げ同然で引っ越しを決行。親子2人の暮らしが始まった。
時給1350円×6時間×20日=162000円
そこから保険やあれこれ支払いして、手取り14万円ぐらい。地方で親子二人が暮らしていける金額。毎月収入があることが、とにかくありがたく、なんて幸せ!と本当に感謝していた。
ただ、これは20日間、会社に行くことができた場合の話。
1歳の子どもは、なんの前触れもなく、当然高熱を出す。
「熱が出ました!」と呼び出しがあれば、すぐに駆け付けなくてはならない。38℃を超える熱ならば、翌日も登園はできないルール。感染症予防のためにも本人のためにも仕方ない。わかっている。わかっているけど、胃がぎゅーっと締め付けられる。
病児保育や子育てサポートに預ける場合は、1時間800円の現金払い。
給料日前なら預けるのは厳しい。何より自分の働いている時給を考えると、お給料と託児費用はほぼ変わらない。そう考えると預けて働くよりも、早く体調が戻ってくれることを祈りながら看病することを選択した。
体調が良くても、こども園の行事があれば、保育はお休み。預ける場所がなければ、仕事に行くことはできない。
そして、年末年始・GW・お盆休みは、お休みの事務職。当然、その分収入は減る。
子どもの体調が悪くなった時、最初に思うのが『収入』のこと。
楽しいはずの連休。久々に子どもと一緒にゆっくりすごせるはずの時間なのに心から喜べない。悲しかった。
働き始めて一年。なんだかしっくりこないぞ、と思い始めた頃、家にチラシが投函された。
「元・派遣シングルマザー 貧困問題に取り組みます!」
ん?派遣のシングルマザーって、候補者のキャッチフレーズになってしまうほど、大変な肩書なの??
お休みのときに先を考えると正社員。単純な発想で、仕事を探しはじめた。
ブランク、年齢、最初は全然うまくいかなかったけれど、なんとか乗り越えて、ご近所に仕事を見つけた。
フルタイムで働くもどかしさ。
シングルマザーに理解のある職場。
ただし、それは仕事で結果を残した場合。
その条件が、自分自身のプレッシャーとなった。
残業できない。
子どもが体調を崩したときはリモートで対応。
仕事があふれた時には、子どもが寝た後、深夜早朝仕事をした。
子どもが話しかけてきても、仕事をしていれば向き合って応えることはできない。泣き叫んで抱っこしてほしいと訴えられているのに、ミュートのままで仕事を続ける。時折、見えないように「静かにしなさい!」と怒鳴りつける。
できないって思われたくない。だから頼れない。
苦しいまま、正社員でいることだけを目標に、働き続けたけれど、無理は不機嫌を生み、不機嫌は軋轢を生み…。トラブル続きで、どうにもならなくなったとき、たまたま訪れた友人の家で焚火会に飛び入り参加した。
「ちゃんと休んでる?」
「最近は仕事も落ち着いて、週末しっかり休めてますよ~。」
そう答えた私に、友人はこう続けた。
「子育て、休んでる?」
え?子育て、休んでいいの?
家事と育児って、時間も体力もしっかりかかるのに、やるのが当たり前。稼働している、って実感がないから、休むって発想が浮かばない。
「そういわれると、私、子ども産んでから一日も休んでないです。」
「何日か見ててあげるから、ひとりで旅行にいったり、会いたい人に会いに行く時間、つくりなよ。」
想像を超える友人の提案。混乱。
子どもを預けるって、仕事でどうしてもってときに数時間だけお願いするってことはあっても、自分のためだけに休むこと、していいなんて思っていなくて。
ああ、私、一人で子育てするなんて無理!
年中無休で稼働って、過酷すぎです!
子育てお休みさせてください!
心の中でそう叫んだら、体中の力が抜けると同時に、涙がでてきた。
ひとりでしなくては!という自分の制限を手放して、「休む」という新たな選択肢が増えた瞬間だった。
助けて!って言っていい。子どもは社会で育つもの。
ひとりで子育てをするのは自分のワガママ。
だから頼るなんていけないし、自分の好きなことをするなんて贅沢。
まるで罰を与えるかのように、行動や自由を制限していたけど、そんな厳しいこと考えてるのって、案外、自分だけなのかもしれない。勇気を出して、自分の決めた枠を超えてみたら、ずっと隣に優しい世界があったことに気がついた。
何よりも
「子どもがいるからできない」って制限していたことは
子どもを見ててくれるひとがいるなら、できるってこと。
焚火の夜以来、「セミナーに行きたい!」「イベントに出たい!」ってときには、周りの友人たちに託児をお願いして、自分だけの時間を確保するようにしている。
自分の夢も、できるだけ叶えてあげながら、子育てをする。
お迎えにいって、託児中の出来事を嬉しそうに報告してくれる息子の姿をみていると、別の時間をお互いに過ごすのも悪くないな、と思う。
私自身に余裕があることで、息子が甘える時間が増えたように感じる。もしかすると、甘えている姿に気が付けるようになっただけかもしれない。どちらにしても、お互いの笑顔が増えた。
それに、もし万が一、私に何かあったとしても、息子の普段の姿をよく知り、支えてくれるひとたちが周りにいることが何よりも心強い。私ができないことを他の得意な人から学んだり、親とは違う多様な価値観にふれながら育っていくことは、きっと息子の人生を豊かなものにしてくれる。
お互いの未来が楽しみな今日この頃です。
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