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「セカンドキャリア」~スピリチュアル・カウンセラーという選択~

昨今「セカンドキャリア」への模索が、急速に始まっているようにお見受けします。

今までは例えキャリアを変えようとも、ある程度約束されていた道筋がありました。(女性であれば専業主婦とか、一般的にはキャリアのスキルを活かした別の職場とか)

しかし今はそれが通用しなくなっていたり、またネットビジネスの進化により新しいキャリア形成が誕生しています。

そして、今までよりもうまくいく可能性を十分秘めながらも、なかなかレーンチェンジできなかったり、そうでもなかった人が突然バズるなど、その明暗もより濃くなってきていることも事実です。

そうした時流の中で、私が20年以上も前に突然の「セカンドキャリア」について考える事を余儀なくされ、今もなお経験を積ませていただいていることについて少しお話ができればと思い、今回書き起こしました。

「次の自分」を考える皆さんにとって、なにかのキッカケになっていただければ幸いです。

では、早速お話していきたいと思います。どうぞ!!

「セカンドキャリア」~スピリチュアル・カウンセラーという選択~
世界屈指の空港で働いていた私が見たものとは…?

【セカンドキャリへと加速させた「リストラ」】

2001年12月…。私たちは突然、本社に戻る事を命じられた。

それは、アメリカの同時多発テロの影響で出向先だった旅行事業部の縮小を余儀なくされ、コストの高い本社採用だった私たちは「異動」という名の人員整理をされた。

いわゆる「リストラ」だ。

それは、世界でも有数であると評価づけられている空港の管理部署への異動だ。

その部署とは「防災保安課」だ。

今まで国内航空券を発券し、チェックインや座席管理などの接客事務をしていた身からすれば全くの異業種であり、「もろ現場」の仕事であった。

その異動自体も衝撃だったが、それ以上に私は今まで見たこともない「現実」を目の当たりにすることになった…。


【異動先に「死」がこんなに近く…】

その部署は、空港利用者の方たちに向けた多方面のサービスを行う仕事であり、私たちは主に女性の方への救護や、防災に関したサービスに従事していた。

要は空港における「なんでも屋さん」だ。

迷子や落とし物の捜索、道案内から、空港警察、消防、救急の方に事案を引き継いだり、また無線で本部に現場の情報を知らせる係だ。

さて、空港で救護室を利用される方の中に「もしかしたら心の病にかかられているのでは?」と思うことがあった。

結局は救急搬送を要請したり、時には空港警察の方に引き継いだりするのだが、その内容は「男女の別れ話のもつれからの過呼吸」や、「意識が朦朧としているのに仕事優先にしている方を説得して救急搬送につなげる事」や、また捜索人の要請を受けて空港中探し回ったりもした。

その中には、空港の一角に座り込み号泣しながら話す女性の身の上話をずっと聞き、落ち着いたら空港警察の方に引き渡す事もあった。

また、捜索中に間に合わなくて転落してしまった方の現場に立ち合う後輩もいた。

日誌では、そうした現場写真を見る時もある。

その部署は結局たった3年しかいなかったのに(前部署は10年いた)、同じ職員の方や関係職員の方が亡くなった報告を3件も受けた。

うち1件は私たちが現場到着し、本部に救急搬送を要請した。そののちに死亡が確認された。病死だった。

また、中には「自死」の方もいらっしゃった。
私にとっては、初めて知っている方が自死された。

そうこうしているうちに、一緒に異動してきた同期が、3か月もしないうちに心を崩して退職した。同じく異動した先輩は心の病で会社に来られなくなった。

救急

「一体、何が起きているんだろう…」と、目まぐるしく起きる毎日にちょっと恐ろしさを感じてたかもしれない。しかしそれすらどう向き合っていいのかも分からず、とにかく心が向かう方向へアンテナを立てておくしかなかった。

【辞める決意で出た「カウンセラー」という選択肢】

「いずれにせよ次の職場を考えなくては…」と思っていた。ずっとこの空港職員だと、良くも悪くも抜けられなくなると思った。

それは、経済的に安定し、有休もとりやすく、格安で空港近くの新築の社宅にも住めていたからだ。そして私は、結婚しており社宅に住んでいた。

そうした安定した仕事ではあったが、女性が働き続けるには、出勤は不規則であり、普通の仕事では考えられない有事のこともあるため、心の疲弊も伴った。

また特殊な職種であり、閉鎖的な職場でもあった。

お金の安定を取るか、次の職場「セカンドキャリア」を考えるか、その2択だった。そして当時まだ32歳でもあった私は、セカンドキャリアへ進む選択を取った。

しかし、この仕事を捨てるのだ。考えて、考えて、考え抜いた。そして答えは出た。

「うん、辞めよう!」

私は子供が欲しかったが、子宮筋腫を患っていたので、この不規則な生活を辞めるしか妊娠する希望が持てなかった。そして、自分にも周りにも辞めやすい口実であった。それくらい、この仕事を辞めるには覚悟を伴った。

こうして異動してから3年近く、日々巻き起こる『人間交差点』のようなリアルと向き合うことは、私にセカンドキャリアを「深く」考えさえた。

つまり「リストラ」された時から、私の人生の「第二ステージ」が始まっていたのだ。

さて、日々巻き起こっている物事とは裏腹に、異動してからの私の心と生活は、どこか安穏としているような気にさえなっていた。

だからこそ「空港のただのスタッフではなく、もっと皆さんのリアルの人生で何かお役に立てることはないか…」と考えるようになった。

そして答えてとして心に上がってきたのが「カウンセラー」という職業だった。

「その人たちの心の中で一体何が起きているのだろう…?

例えばこの方は、どうして来るはずもない人をずっと到着ロビーで待ち続け、いつも警察の方に引き渡されるまでここに居続けるのだろうか?

もっとそうした方たちのお話を、こうなる前に聞くことができたら…」

そこから「カウンセラー」をセカンドキャリアとして、生きていく方法を模索する日々が始まった。

そして、退職とセカンドキャリアに向けての準備を着々とし始めた。

私の構想の中では、自宅の一室をサロンとして利用し、子作りと、主婦と、仕事人として、夫と共に安定した暮らしができたら…と思った。

しかし、職種もライフステージもその構想とはまったく違う方へと動き始めることになった…。

【スピリチュアル・カウンセラーという仕事】

その後一応の引き留めは受けたが、しかしスムーズに退職する事はできた。まぁ、もともと余剰人員だ。そうする事はポーズであることも、私は理解していた。

そうして私たちは、当時の生活スタイルをなるべく生かしながら、しかし生活費はミニマムに…と、主要駅からバスで10分(!)ほどの横浜本牧方面の団地に住まいを決め、そこから新しいスタートを切った。

私のセカンドキャリアは、ここから始まった。

そんな辺ぴなところにも関わらず、クライアントさんには多く訪れてもらえた。

それも、いい意味で私の思惑通りではなかった奇跡のような物事が起きたからだ。

カウンセラーになるべく模索した途中で、ヒプノセラピー(催眠療法)というものに出合い、ヒプノセラピストになるために講習会に通った。

そこで、スピリチュアルな能力が開き、高次に進化した存在「マスター」とチャネリングできるようになり、人の前世が分かるようになったのだ。

なぜその悩みに繋がっているのかが解るようになった。

(例えば、不倫されて悩んでいた方は、前世では同じ人と逆の立場で不倫していたほうであり、今生では本妻として不倫される側の痛みと苦しみを経験している最中だった。

それをお伝えしたら、腑に落ちたのか痛く納得され、不倫相手への怒りが鎮まっていったのが分かった)

そして時代は『オーラの泉』が大ブームとなっており、スピリチュアルでも心理でもなんでもいい、人のお悩みの役に立ちたい!と思っていた私は「スピリチュアルカウンセラー」として、オーラ・守護霊・前世のカウンセリングをするようになった。

「セカンドキャリア」を考えていた当時には存在しなかった職種で、第二のキャリアを歩み始めたのだ。

その後は、本牧方面からJR石川町駅徒歩3分の自宅兼事務所に移転し、2年もしないうちに、もっと広いUR賃貸住宅(旧公団住宅)のSOHO物件が抽選で当選した。

みなとみらい線の「馬車道駅」徒歩1分ほどで100㎡の自宅兼事務所に引っ越すことができ、子供の小学生時代はこのURの物件で過ごした。

部屋の目の前では、かつて行われていた「神奈川新聞」主催の花火大会も見ることができた。(実際の写真)

花火

ここまで話をすると、順風満帆なような感じがするがそうではなかった。

【セカンドキャリアは人生のセカンドステージの幕開けだった】

こうした私と夫との様々な経験の中で、私のライフステージと夫のライフステージは転換期を迎えた。

まったく関係ないと思っていた「結婚」さえも「それぞれのライフステージ」という観点から別の選択が生まれてきた。

私はクライアントさんと直接話してゆく「カウンセラー」としてのライフステージと、夫はスピリチュアルな物事について書き著す「作家」としてのライフステージだ。

分かれ道2

その過程で子宝を授かっていた私たちは、どちらの道も歩みながら、子育て、育児、それぞれの仕事を確立することは難しいと判断した。

私たちは「別々の道へ」と選択を取ることとした。

こうして「セカンドキャリア」に進む事とは、「仕事」にせよ「結婚」にせよ既存のライフスタイルからの「卒業」を意味していたのかもしれない。

どちらかが我慢するとか、生きるためだけに自分の心を押し殺して既存の仕事をするとか、そうした生き方からの「卒業」だ。

今この仕事も15年目を迎え、これまでは自宅サロンのスタンスだったところから、仕事と自宅を切り離した「バーチャルオフィス」の会議室でフリーランスのカウンセラーとしてスピリチュアルカウンセリングとスピリチュアルな考え方とその技術の講師として私は活動している。

(今はこちらで講義している)

会議室

この横浜の土地で、解放された世界から見る景色は、まだまだその未来がいかようにも広がっている。

現在はシングルマザーとして大好きな娘ちゃんと一緒に過ごしながら子育てをし、人生をかけて築き上げてきた大好きな仕事をしている毎日だ。

これはどこか楽しく、嬉しい気持ちさえするときがある。

不安もあるはずなのに…だ。

この世界の外側から見ていたあの時とは全く違う「見え方」「感じ方」をしている。

しかし、「実際」というものは多分こいうことなのだろうと今は思う。

近くの風景

(カウンセリングルーム近くから見えるみなとみらいの景色)

「セカンドキャリア」とは、こういった人生の分岐さえも含められているのかもしれない。

だから、おいそれとは選択できない未知の感覚に襲われるのだろう。

もし、セカンドキャリアを行ったらこのような未来が来ると昔の私が知っていたら、空港職員は辞めなかっただろう。

恐すぎて。(笑)

そうしたら、私のカウンセリングやチャネリングマスターの言葉で癒されて人生が劇的に変わった人たちは、ここに存在しないことになる。

人生はかくも不思議な偶然に紡がれている。

だからこそ、今はセカンドキャリアに進んでよかったと心の底から思っている。

もし、あなたが現在位置に疑問や不安、また辟易とする思いを抱えているならば、人生の第二ステージがまさに幕開けしようとしているのかもしれない。

その心が一体何を指し示しているのか…?

ここから先の道を心と共に進まなければ、決してその全貌は分からないようにできているのだろう。

【セカンドライフステージはきっとここから!】

さて、私の「セカンドキャリア」からの「人生の第二ステージ」の幕開けについて、簡単にお話ししましたがいかがだったでしょうか?

(いや~、ちょっと色々濃かったかもしれませんね。)

こうした自分のライフステージの切り替わり時に、スピリチュアリティの考え方はいつでも手助けしてくれます。私もそうでした。

そしてそれは、あなたの魂のステージがアセンション(次元上昇)を迎えたから、切り替わりが起きているのかもしれません。

私は「リストラ」でした。
(もっと言うとアメリカ同時多発テロでした!)

そして「離婚」からの「新しい未来の在り方」を模索しながら、未知の今を生きています。

あなたの「ライフチェンジ」にスピリチュアルな考え方をプラスして、魂のアセンションを一緒に経験してみませんか?

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スピリチュアル・レッスンとカウンセリングルームの
『aililyus』アイリリアス

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これからも「スピリチュアル・カウンセラー」の地位向上と、良質なカウンセラー育成のためにまい進していきたい思います!是非、ご賛同していただけると嬉しいです♪