アントワイン9月27日 鏡の働き その2  人生はパラドックス


http://recreatingbalance1.blogspot.com/2018/09/play-of-mirrors-part-2-life-is-paradox.html

存在は常に、私たちは一なるもので、同時に分離して見えるという表面上のパラドックスがベースになっています。私たちの分析的論理的思考能力は事実に基づいた知識がベースになっていますが、これは物や状況や存在を全体の一部ではなく個々のものとして見るという見方で物事を分離する時にだけ可能となります。その一方で、存在は創造物全体であり、一なるものであり、一つの有機体、一つのボディです。私たちはちょうど人体を構成する細胞や臓器のように、一なる創造物を構成する細胞なのです。ですから、論理はそれ自身、最後まで誠実に追求すれば、常に、ワンネスでかつ、分離しても見えるという矛盾に終わるのです。思考で各部分を理解しても人生に関わっていくことはできません。人生について論理的回答や分析的意味や理解を求めても、常に無駄に終わり、決して満足することはできないのです。

この動画は、以前アップした「鏡の働き」という投稿に関連しています。その記事の中でお伝えしたのは、最高次の視点からは、私たちのハイヤーセルフは一なる有機体であり、一つでありかつあらゆる存在やあらゆる創造物と同じであり、象徴的には、ハイヤーセルフが太陽で、ローワーセルフとしての私たちはそこから放射される太陽光線のように考えることができます。本当は、太陽とその光の光線は一なるものなのです。これを別の形で象徴的に表現すると、ローワーセルフは鏡に映るハイヤーセルフの投影です。
http://recreatingbalance1.blogspot.com/2017/10/play-of-mirrors.html
https://note.mu/aile0211/n/n8c1b00e73724

「物質界、感情界、メンタル界で見えるものは全てただの反映にすぎません。他の人や場所、物もその高次の自己、ハイアーセルフの反映にすぎないのです。
真の自己を忘れてしまった単なる反映であるため、自分は不完全であるという感じがつきまとい、自分のアイデンティティも確立できないのです。これは真で高次の自己、ハイアーセルフの姿を見失ったためです。そして真の自己を忘れてしまったため、反映の世界には達成感を求める傾向が広まってきたのです。人々は達成を願い、アイデンティティの確立を願うため、他人のポジティブな意見を追い求め、ポジティブな体験や成果が最終的には自分のアイデンティティを確立してくれて、最終的に反映がもうぼんやりしないことを願うのです。しかしこれは絶対に無駄なことです。なぜなら達成は決して反映の世界で得られることはなく、自分の高次の、真の自己と再び繋がることでしか得られないからです。
反映の世界で達成を求めるのは二枚の鏡を向かい合わせに置くようなもので、お互いを無限に映し続けるようなものです。高次の自己、ハイアーセルフが忘れられたこの世界は、向かい合わさった鏡だらけの迷宮で真実が何かを理解することはできないのです。
ですから、真の精神的な飛躍を起こすには、他人の意見や自分自身の成果、その他この反映の世界である低次界のあらゆる環境において、評価されたい、達成したいという望みを無条件に放棄しなければならないのです。」

ハイヤーセルフ、ワンネスのフィールド、ワンネスの抱擁、ソースの光、すべての存在である一なる有機物、というこの異なる言葉全ては同じもの、つまり、私たちは誰で本当は何なのかを表しています。私たちはこの一なる有機体の細胞であり、生命という大海のさざ波なのです。この存在は永遠で無条件であり、影響を受けたり、低次に下がったり、変えられることは決してありません。状態を超越しているのです。それゆえ、探し出すものでもなく、達成するものでもなく、将来そこに向かって努力するものでもなく、常にそこにあり、常にずっとそこにあり、決して真に切り離され得ないのです。なぜなら、一なるものの外側には何もなく、個々の気づきがあるのみで、一時的に忘れ、それから切り離されたという幻想を経験するかもしれませんが、一なる存在は常にそこにあって、そこにある全てが本当にすべきなのは、緊張を解いて一なる存在になることなのです。

緊張を解いて一なる存在になるというのは、状況に何が起ころうと、自分自身や、あらゆる他者やあらゆる状況を、常に無条件に、この最高次元の光としてみなすということを意味します。本当にそう見なすことができれば、それが自動的に状況にもたらされ、それを経験することになるでしょう。

物事がこうあるべきと期待したり信じることで、シナリオに執着や投資を生み出せば、その状況のエネルギーは自動的にローワーセルフに留められ、ローワーセルフと同一化してしましいます。なぜなら、低次の状況が私たちを満たし得るのは期待だからです。しかし実際には、本当の私たちである一なる存在は常にそこにあり、あらゆるところにあり、あらゆる瞬間にあり、常に完全なのです。

そして同時に、ローワーセルフはプログラミングや歪みをたくさん溜め込んでいることが多く、その全てが分離感や除外感という幻想に基づいています。これが様々な痛み、特に物理的、感情的痛みの経験を生み出しますが、それはどれほどリアルに見えても常に幻想にすぎません。覚醒した存在は爆発的な状況でも無傷でいられます。火器で撃たれても身体からただその弾を取り出し、無傷のままでいられるのです。これは状況は常に幻想で、鏡に映っているだけで、一なる無条件の存在は常にここにあって、常に無条件の健康と完全性をもたらすことを、その存在が確実に承知しているからです。

同時に、人生はこの完全な気づきや、この完全な覚醒を取り戻す旅となり得、また、そうであると認められなければなりません。完全な覚醒では、必要なものは全くありません。なぜなら、私たちのハイヤーセルフの存在は常に完全で純粋なワンネスの光と愛で、いかなる低次の状況にも影響され得ないからです。本当はハイヤーセルフとローワーセルフは一なるものであるので、ローワーセルフはハイヤーセルフとその無条件の性質すべてを完全に包み込むという運命にあり、それゆえ状況に影響されず、常に純粋な光になるという運命にあるのです。

この完全な気づきが取り戻せない状態では、ローワーセルフは多くを必要とし、言い換えると多くに依存し、水を飲んだり、呼吸したり、太陽光線や、食物を食べたり、意味ある人間的なつながりを持つことなどを必要としたり、依存するのです。そしてここにも矛盾があります。ある視点から考えると、またある進化の段階では、私たちは本当にこの全てが必要であると同時に、一なる無条件の存在として私たちは本当はそれを必要としないということです。

この旅は、すべてのニーズや願望に向き合ってこの矛盾を解決することであり、一般的な簡単な解決策はありません。ローワーセルフが一なる無条件の存在について完全に気づき、魂が転生という旅を完了し、これ以上転生する願望や必要性がなくなるまでは、ニーズや願望を全て手放すか、あるいは最後まで経験し尽くさなければなりません。これは一なるものの神聖な計画に左右されていて、特定の願望が歪められています。例えば本当はジャンクフードは必要でなければ、通常は簡単に手放すことができます。もし何かが必要だと信じるのであれば、その必要性を経験することになるでしょう。例えば、私たちにはビタミンCを作る遺伝子がありますが、私たちはビタミンCを食べる必要があると信じているので、通常はその遺伝子はスイッチがオフになっています。しかし、自分たちはビタミンCを作ることができると気づけば、遺伝子のスイッチをオンに戻せるのです。

しかしながら、願望の中には、創造物を展開する目的で神聖な計画を反映しているものがあり、私たちの魂はその願望をしばらくは手放すことはないかもしれませんが、その代わり、例えばソウルファミリーの再会を経験したいという願望のような、可能な限り最善の方法での経験を創造しようとする衝動が送られるでしょう。ここで覚えておくべき重要なことは神聖な計画は流動的で、変化し、思考で計画したり、信念を持って波長を合わせるようなものではないということです。ですから、具体的なシナリオへの執着を手放す必要があるのです。この瞬間にできるのは、それぞれの瞬間を一つ一つしっかりと生き、表現することで、神聖な計画に波長を合わせることだけです。そうすれば道のりが拓け、それ以前の瞬間をしっかりと生きてさえいれば、つまり何が起ころうとも、それぞれの瞬間に最高次の光という一なる存在を見ていれば、人生をその前の瞬間に積み重ねていくことができるのです。こういう願望や一刻一刻の内なる導きは、あらゆる生命をワンネスのフィールドに織り込んでいく織物なのです。

この旅が拓けていくにつれ、私たちの一なる無条件の存在に対する完全な気づきを徐々に取り戻し、矛盾が調和され、ワンネスがあらゆる段階の密度や分離に広く認識されると、それからあらゆる存在、一なる有機物のあらゆる細胞がワンネスの気づきのうちに共にしっかりと抱擁しあい、人生は得るべき何かではなく、依然として経験すべき神秘のままです。なぜなら人生の外には何もなく、単純に存在するという喜びを表現するものだからです。人生はいつでもどこでもアクセスできるように常にそこにあるのですが、実はアクセスできるのは緊張を解いて今この瞬間に入っていくときだけなのです。

⭐️❤️すべてのものに愛を🐬⭐️

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