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結局どんな親でも親なんです!


はじめに

今回は少し踏み込んだお話をしようと思います。
私の人生を大まかに書きながらどんな想いで生きてきて、どんな想いで今活動していて、どう未来を生きていきたいのか書こうと思います。

この記事はこんな人に読んでいただきたい!
✅ 親に振り回されて辛いと思っている人
✅ 逃げ場がないと思っている人
✅ 子供を振り回してしまっていると思っている人

私は基本ポジティブ思考です!
もしかしたら再現性がないかもしれない…
あいみんだからでしょ!と言われてしまえばぐうの音も出ない…
でも少しでもお役に立てれば嬉しいです!

⚠️結構踏み込んでいます!暗い話聞きたくない人は、ここで離脱してくださいね!

1988年11月 あいみん誕生


何かのお祝いだろうか…幼きあいみん!

1988年11月、私は岐阜県で誕生しました。
まぁこの時の記憶なんてあるわけもなく…
私の最初の記憶は3歳の頃。
上の写真を見る限り私が誕生した事を喜んでくれ、大事にされていたのだろうと思います✨
だってお雛さん飾ってありますもんね!初節句かな?


七五三かな✨

そして上の写真は七五三の時でしょうかね✨
母と行きつけだった喫茶店のママが写ってます😀
全く記憶にないのが残念です💦

ただ…
私の幼少期の写真で残っているのは、この2枚を含め4枚のみ。
結婚式のプロフィールムービーの時に困りました😭笑

1991年 3歳

3歳の時両親が離婚し、数日もしないうちに家にはお姉さんがいました。
のちに母親となります。
3歳の子供にとって母親が突然いなくなるのはかなりショッキングで、受け入れることが出来ない!でも目の前には知らない女性が生活を共にしている。

当時の私は、「お姉ちゃん!」と慕っていました。
すごく良くしてくれたんです✨
優しかったんです!

ただ…
5歳を迎える頃から段々変化していきました。

1993年〜1998年 5歳〜10歳

この頃私は、新しい母に恐怖を覚えます。
いや、今思えば私が拒絶し歩み寄ってなかったのかもしれません…
「この人は、私の母じゃない!」
それが態度に出ていたのかもしれません。

母は私にキツく当たり、距離を取るようになっていました。
休日は弟と新しく誕生した妹を連れて出かける。
そんな姿を見ていつも「何で私はいつも1人なのか…」と考えていました。

のちに叔母から聞いた話だと、私は死んだ目をしていたようです。
叔父と叔母が車の中で、「あの子の様子おかしい!」「でも今俺たちが立ち入るのは良くない!」そんな話をしていたそうです。

ただ父が仕事から久々に家に帰ってくると、母はとても優しくなり私は束の間の安心に包まれます。

はいっ!!
暗い話ですねーーー。
でもこれが現実で私の歩んできた人生であります🫡

正直辛かった!キツかった!
でもこの経験がなければ今の私はいないわけです!
この時以上に辛いこともないはずですし✨

この時期は【荒み時期】と名づけましょう🤣

1998年〜2000年 10歳〜12歳

小学4年生私が10歳の時、母は父と離婚しました。
ただ父が仕事で遠方にいたため私と弟は、叔父と叔母と生活します。
その頃ドラマで【鬼の棲家】がやっていました!

このドラマの深キョンに自分を重ねた覚えがあります。
まだまだお子ちゃまですね!
自分が悲劇のヒロインとしか考えられないお子ちゃまでした😂

さてここで父に対して恨みはないのか?
という声が聞こえてきそうなので答えましょう!
答えは『ない!』です✨
むしろこの頃の私は、父は『ヒーロー』だと思っていました。
辛い時に救ってくれる。
だから『ヒーロー』。

5年近くまともに一緒に暮らしていないから、かなり理想を高く持っていました。
小学校の卒業を機に戻ってきて、卒業式に父は出てくれました。
お互い何話していいのか分からない気恥ずかしい時間でしたが😂

あっ!
この頃産みの母とも再会したんですよ✨
交通事故に遭い車椅子でしたが、素敵な方と一緒に住んでいて幸せそうで❤️
本当に良かったと思いました。

2001年〜2004年 13歳〜16歳

中学生になり、父と一緒に住み始めました。
食事・洗濯・掃除は私がやっていてキツかったけど、父と住める喜びの方が大きかったです。
父がナス嫌いな事をこの時初めて知りました😏

1年そんな日々を送り、中学2年生になった時金髪のお姉さんが!
はいっ!
新たな父の配偶者です😂
そして妹が誕生します✨
小さくて可愛い❤️もう可愛くて可愛くて✨
その1年後にはまた妹が生まれ、一気に大家族!
この2人の妹も今や成人した立派な大人です!
懐かしいですね…

しかし…母親は次第に部屋から出てこなくなるように…
妹たちにキツく当たる姿も見るように😭
父も帰ってこなくなり、妹たちが心配で部屋に飛び込み妹たちを連れて父の住む別宅に逃げました。

この時の私は、妹たちを救うのに必死でした。
妹たちは3歳と2歳。
「ママー!」と泣き叫んでいました。
私は、あの子達から母親を奪ってしまったのかもしれません…
しかし16歳の私に母親の心を救う術もなければ、他に出来ることもなかったのです。

2004年〜2007年 16歳〜19歳

父は妹たちの母親と離婚が成立しましたが、この時新しい彼女がおり一緒に住んでいました🎶
ここまでくると父親かなりやり手だね〜という声が聞こえてきますね😂
この女性とものちに結婚します。

この方と初めて会った時の私は「はいはい!またですかっ💦」「いい加減にしてよ!」とやっぱり思春期の女の子なんで思うわけですよ。

だって今まで見てきた母親…
自分の子供じゃないから認められずキツく当たる…
自分がお腹を痛めて産んだ子のはずなのにキツく当たる…
そんな状況見てきたから、そう思っても仕方ないですよね😭
妹たちは大丈夫だろうか…心配もありました。

私が19歳の時、弟が産まれました❤️
やっぱり赤ちゃんって可愛い☺️

2008年〜 20歳

はいっ!
ついに私成人しました✨

この時もう1人弟ができ、まぁ姉弟が多い😂
小さい子が4人!
母親は4人をワンオペで育てていました。

皆さん心配しますよね…
ただこの母親、超がつく程ポジティブで凄いパワフルママだったんです!
ここで私の考え方がガラリと変わりました。

自分の子を育てるのも大変なのに、自分のお腹を痛めた子じゃなくても本当に自分の子と同じように向き合い育ててました。
なかなか出来ない事だと私は思います✨

母が言った言葉で今でも印象に残っている言葉があります。
どんなに世間が白い目で私を見ていたとしても、家族が信じてくれていれば私はそれでいい!
何それーーーーー!かっこよすぎーーー!

この言葉は、近所や学校の先生・保護者から妹たちの産みの母親じゃないからと陰で悪口や陰湿な行動をする人、面と向かって酷い言葉を投げる人がいました。
その事を心配した私が母に大丈夫か聞くと、返ってきた言葉です。
普通そんな事さらっと言えないです!少なくとも私は言えないかもしれません😭

私は6つしか離れていない母親に出会い、考え方など色んな事に対して見方が変わりました。
めちゃくちゃポジティブになったんですよ✨

今の私

あれからもう1人妹が増え、姉弟総勢8人。(私含め)
ちなみにポジティブママと父…5月に離婚しました😂
もうね、ここまで来るとネタです😂

今の私は、結婚もして1人の可愛い息子もいて親なんですね。
(感慨深い…)

今回こうやって自分の人生振り返ると、かなり暗い時期もあって複雑だねーって感じですけど思うんです。
親も1人の人間なんですよね‼️

高校生の弟にこの前言ったんです、『早く1人で生活しな!』って。
弟にとって親の離婚は初めてで戸惑っていましたし、何とかしようとしていました。でも例え子供でもどうにも出来ない事はある。
だからこそ1人で生活して自分の事を考えると、親の事も俯瞰して見る事が出来るようになる。そうすれば親も1人の男性・女性であって仕方ないかなぁ〜って思えるようになると、私は思っています。

一緒に生活していると距離が取れず、親に振り回されている事だけを考えてしまう。
そうするとネガティブ思考が無限ループしてしまう…
例え血のつながった家族でもある程度の距離感は必要だと私は考えます。

これから私はしたいこと!

私が歩んできた人生から様々な母親を傍で見てきました。
3番目の母親は連絡が取れていませんが、どの母親とも今は仲が良いです。
だからこそ知った事実などもあり、私は母親にとって心の余裕は大切な事も知りました。

余裕がなくなれば無くなるほど、周りが見えず近くにいる子供に当たってしまう…罪悪感と止められない自分…

心が弱いからと言ってしまえば終わりだが、言う前に誰かが手を差し伸べたのか…と言いたい。
私は母を許しています。
だって結局、どんな親であれ親だから。
傍にいる家族が信じてあげないと、誰も味方がいなくなったらそれこそ終わりだから!
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、実際に私はそうやって親を許しサポートしようと思います。

私の親のように、罪悪感を抱きながら生きる母親を増やしたくない!
悲しいニュースの犠牲になる子供達を増やしたくない!
だから私は少しでも世の中のお母さんの助けになるなら、話も聞くしサポートしていきたいと思っています。

それが一般社団法人AIlabを立ち上げた理由と、信念です!
今後は立ち寄りやすいコワーキングスペースを開業し、子供と一定の距離をあえて取り自分時間を作ってもらう・相談できる・ママ友が出来る場所を作ります。

現在もオンライン・対面ともに相談業務は行なっていますので、「ちょっと聞いてーー!」でも大丈夫です✨
苦しいと思う前に下記の公式LINEにご連絡ください🎶
私はどんなお母さんも認めます!

そして現在、この想いと活動をたくさんの人に知ってもらいたくてBeauty Japan2023という大会に参加しております。

Beauty Japanは、以下の7つのコンセプトをもとに、美しく社会貢献する女性を発掘することを目的としています。

Beauty・・・美しく生きる
Career・・・キャリアを培い、活かす
Sociality・・・社会で輝ける人材に
Culture・・・文化的な創造を
Entertainment・・・芸能的才能を磨く
Independence・・・社会的に自立した女性へ
Fashion・・・流行を生み出す

私の活動に賛同してくださる方、大募集です‼️
賛同してくださる方も、こちらの公式LINEの登録をよろしくお願い致します🙏


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