遠回り
上手くいかない時、どうにかしたいと足掻いているのに、緩やかな螺旋階段を1段ずつ降りているような気がしていた。
依頼して人生が変わった。
きっかけは『性改善』だったかもしれないけど。
なんで私が満足できていないのかには人生の悩みがいっぱい詰まっていて。
25歳。
ああ、もっと早く出会っていれば違ったんだろうか。
それは、きっと幻想だ。
もっと早かったら、彼の言っていることは私には理解できなかった。
たぶん人生でその時出会うタイミングってものがあるんだと思う。
順風満帆だったわけではない。
辛くなると、螺旋階段を降りているような気持ちになるけど、落ち着いたら1段上に上がっていたような気がする。あれは、良いことが起こる前の予兆だった。
親と話せるようになったのも、友達に素が出せるようになったのも、会社を辞めて新しい道を探そうとできていることも、きっとそれだ。
遠回りじゃなくて、きっと行き先が多いだけだ。
実家の目の前は山だった。
小学生の時は散々登らされた。もっとガリガリでちっぽけで体力のない私は拷問だと思ってたけど。
夏の山は涼しいから好きだ。
鹿の足跡を見つけたり、育ちすぎたヨモギを食べて後悔したり、甘酸っぱい赤い実を食べたり、ちょうどいい大きさの石を蹴りながら登る。
坂道を登って林を越えていくと、すっと空が開ける。
上に行ったら、来た道は分かる。
そこからは近所の八百屋さんも、優しいおじさんのたい焼きやも、塾も、公園も見える。
高いところから見下ろす景色は、全てが小さく見えて、太陽に反射してキラキラしている。空気が美味しい。足の重さも息切れも、これを見ると一瞬で忘れてしまう。
地上にいる時、部屋の窓から見る景色は、10階建のマンションに遮られてベランダに干してある洗濯物しか見えない。街は見渡せない。
今は、先に登っている人から教えてもらおう。
登るのは自分だけど、彼は山道のしんどくない歩き方を教えてくれる。どうしようもない時は、少しだけ手を引っ張り上げてくれる。
前に進む時、それがブナの樹木名のラベルのように、落ちている椎の実のように道標になればいい。
帰り道、綺麗な石を見つけたからポケットにいれる。大切なものだけ持ち帰って、家の宝物箱にしまうんだ。
10年後、後ろを振り返った時。
遠回りだと思ったことはキラキラした景色になっているだろうか。
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