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はじめまして、沈黙。

00- 欲しいものリスト


自動ドアが開くと、インクの匂いがした。


大きい店は苦手だ。都会のUNIQLOも、本屋も、ドンキも、欲しいものがどこに置いてあるのか見つけられないからだ。

家の床にはネットで買った読んでない本が積み重なっている。いわゆる積読ってやつだ。
買い物はなるべくネットで済ませようとする出不精のせいで街中の本屋に行くことはあまりない。それに、家にある本でさえ全て読み切れてないんだからこれ以上新しい本を増やすつもりもない。

だから、今日都会の大きな本屋に来たのは本を買いに来たわけではなかった。


男の人に触られるためだ。




痴漢なんて元々興味はなかった。
実際に捕まっている人がいるから、一定数そういう性癖の人がいるらしい……という程度だ。というか、もしそんな目に遭ったら怖いと思う気がする。


だから、まさか自分が痴漢プレイをすることになるとは思わなかった。
DMで話していた人に、話の流れで「セクハラしてよ!」と軽口を叩いたら「ほな俺と痴漢プレイしよか。」と返ってきてしまった。
冗談だった。でもそう返信が来た以上自分の発言を取り消すのも違う気がした。
この前依頼で触られてから、外で触られることに興味があったのだ。

しかし、やってみたいですと返信できるほどその言葉に自分の気持ちは追いついていなかった。
やってみたいというと語弊があるから言いたくない。でも、気になる……。どう返そうかしばし考えて「いつが空いてますか?」と送った。

日程はとんとん拍子に決まった。
このような約束をするのは初めてだった。
約束の日を迎えると、朝には詳細が送られていた。

お約束は3つ。
①顔合わせ、会話はなしということ。
②服装への注意事項。
③移動するときのサイン、本当に嫌なことをされたとき辞めてと伝えるサインだった。

①顔合わせ、会話はなしとは、お互い顔も知らないまま、会話もせずプレイだけするという意味だ。
知らない人とのプレイはリスクしかないため、③辞めてという時のサインを相手から提示されるのは安心感があった。

②服の注意事項は、派手で目立つ服装は控えてほしいということと、柔らかい素材のスカートで来てほしいということだった。
目立つとやりにくいということは分かるが、素材感の指定は予想外だった。柔らかく薄い素材は触られている感触がお互いに伝わるからだろうか。
服越しに伝わる手の感触が脳裏に浮かび、私を揺らした。

さて、どんな服を着ようか。
急に肌寒くなったので触り心地の良い柔らかな生地のスカートは全て実家に送ってしまった。クローゼットは広げた両手よりも狭いので、服を置く場所はいつも足りない。怒られるから実家に送れない、『インナーを外した丈の短すぎるミニスカート』は唯一手元にある柔らかな生地のものだった。

最初は家で履くのもドキドキして外に出れないと思っていた、お尻の形がはっきりとわかるスカートで会いに行きたいと思っている。
前は、相手が好きそうだからという理由で選んだ服だったのに、今回は自分が着たいと思っていることに驚く。

最近はスカート丈が少しずつ短くなり、気づけば肌を出すことへの抵抗感が減っていた。
緩やかに感覚が麻痺した私は、電池の減った時計がゆっくりと狂っていくのに似ていると思った。


今回出てくる鉤括弧「」は全てDM中のやりとりです。


10 - 空中ブランコ


短いスカートは、普段とは違う世界に連れてきてくれる。ドキドキして、興奮して、恥ずかしさで心臓がぎゅっとなる。


そわそわしながら歩いていると、ここに来てと朝送られてきた地図の目的地に着いた。そこは本屋だった。
自動ドアが開くとインクの匂いがした。


ここでは『いつも通り』振る舞えばいいらしい。ウロウロして、気になった本を手に取っては棚に戻す。

1階は誰も言葉を発していないのに少しザワザワしていた。待ち合わせの前に時間を潰しているだけの人もいるからだろうか。


そういえば、本屋でトイレに行きたくなるのはインクの匂いのせいだという話がある。インクに含まれる化学物質が排泄欲を促すらしい。知的で文化的な場所で生理的な欲求が深く絡んでいるのはなんだかエロいなあなんて考える。


「3階に来て。」


震えた携帯を見るとDMが来ていた。こうやって指示通りに動けばいいのか。
彼は3階にいるんだろうか。それとも、私はもう彼の視界の中なのか。もし、今後ろにいたらと思うと足が固まり、エスカレーターを何段か見送ってタイミングを計らないと上手く乗れなかった。

3階はしんとしていた。1階に比べかなり人が少ない。売れ筋は手に取りやすい2階までに陳列しているからか、田舎にしかない寂れた商業施設のような静けさだった。
ひっそりとした店内は、本屋に相応しい『いつも通り』の振る舞いを忘れさせた。わたし……いつもどうしてるんだっけ?


『いつも通り』を意識すればするほどそこからは遠下がってしまう。
人目が気になる。カメラが気になる。トイレの近くは人が通るからここはダメだ。どんなところにいたら触ってもらえるんだろう。

はっと我にかえった。
『なんとなく』『流れで』会うことにしたはずなのに、触られたいと思っている自分に驚く。

意識しすぎるのも問題だな、挙動不審すぎて万引きを疑われても困る。気を取り直して自分が興味を持てる本を探す。最近行った美術展に関連している美しい装丁の本があったので手に取った。

数ページ読み込んだところで人が増えてきて、今いる棚の並びには他にも数人いることに気がついた。触られるかもしれない状況であることを思い出し背中に緊張が走る。顔は本の方に向けているけど、五感は全て背面に使っていた。後ろを人が通るたびに身体が強張る。革靴、ヒール、スニーカー。近くから聞こえるコツコツという足音は全て自分に向けられているんじゃないかと混乱する。『この人かもしれない』私はすれ違う度に緊張する。

本を持っていない方の手は強く握りしめているせいでどくどくと脈が波打っていた。ずっと力が入ってるせいで身体がだるい。これでは身が持たないと思い本に集中する。

その時お尻に僅かに感覚があった。反射で肩が大きく跳ねる。触られたのか、何か別のものが服をかすめただけなのかわからない。1枚ベールを隔てたような……そんな感じ。狭い通路を通ろうとして偶然当たっただけならそうと分かる。

偶然よりもっともっと小さな刺激。


この人だ。これは意図的な、彼のやり方だ。


また、あれが来るかもしれないと思って身を固くして待つ。こうして強く足に力を入れていないとびくんと身体が反応してしまうからだ。

身構えたものの二度目に手が伸びてくることはなく、代わりに通知が来た。

「⑨の棚に来て。」

指示は分かった。でも、何と返信すればいいか分からなかった。
どんな返信も合わない気がして、了解の意を込めて♡のリアクションだけ送る。
後から考えればこれが最適解だった気がする。意思疎通が取れるのであれば『される側』に言葉なんていらないんだから。

棚へ向かうと、そこを指定された理由が分かった。少し奥まったところにあり、店内を歩いたとき死角になっていて見つけられなかった場所だった。

今度は文庫本を手に取った。重い本は身長に対して不釣り合いな小さい手に収まらず、触られた時うっかり落としそうになったからだ。

その棚の中では一番面白そうな本を手に取ると、ロミオとジュリエットにインスパイアされた物語だった。こんな状況で愛がテーマの作品を読むのは皮肉だなと口元が歪む。

きちんとシェイクスピアに倣って台本として書かれているので、1ページ目は人物一覧表だった。登場人物の名前と簡単な年齢や職業等が書かれている。

ページをめくる前にそれは来た。ガクッと身体が動く。触るでも当たるでも揉むでもない、どう触っているか想像もつかない。一つ言えるとしたら壊れ物を扱うかのような優しい触り方だった。
シアーシャツもぱたりと身体に合わせて動く。

お尻を下から上になぞられる。
割れ目に沿うように指を当てられると、背中に水を入れられてひゃっと身を縮める時のように身体が動いた。

足音が聞こえると手は離れる。
後ろから胸の高さの棚ににゅっと手が伸びてきて本を取った。今のところ彼の情報はこの手しかない。色白で綺麗な手だった。

人が通ると斜め後ろに立たれた。側から見るとカップルにしか見えないであろう。
彼は立ち読みをする時のようにざーっとページを捲ってみせる。静まり返った店内でページを捲る音はいつもより大きく聞こえ、ペラペラと聞こえるたびに背中が震えていた。

タイミングを見計らってふわっとお尻を撫でられる。わざと耳元まで顔を近づけ背後からはあはあという息を聞かせられて鼓膜がおかしくなりそうだった。彼はそうして私の緊張を啜り、咀嚼する。私はもうじき捕食されるのかもしれない。食事を楽しむかのように触りながら少し笑うのがとても気持ち悪くて興奮した。身体が動かないように頬の内側を強く噛み締めて耐える。

少しずつ手が上がってくる。お腹までくると手はぴたりと止まった。インナーを着ていないから予想外に地肌に触れびっくりしたのだろう。

同種の人間だから分かってしまう。ストッキングを履かない方がいいこと。服のすぐ下が素肌だと興奮すること。薄いスカートは『楽しい』こと。全く興味ないジャンルの棚は………あんまり人が来ないこと。

こちらへ向かってくる足音が聞こえると、彼は離れていった。40代くらいの女性が棚の前に来た。
私は動くこともできず、本の続きを読むこともできず、ただ読んでいるフリを続けていた。

いつの間にか女性は去り、代わりに同世代くらいの男性が来た。私に背を向けるようにして反対側の棚を物色しているのを横目で確認する。フロアの端でも、この付近に探し物がある人はちらほらいるのかもしれない。

私は本に戻る。しばらくして、その男性が異様に近づいていることに気づいた。反対側の棚にいたはずが、私の背後にいる。私の右肩から背中にかけてがその男性の胸部に当たっている。徐々に接着面が増えてくる。
ただ……先ほどの人ではなさそうなのだ。服装が違う。彼は半袖で腕が見えていたのに、後ろの人は長袖だった。

どうする?もし通りすがりに見えてしまって触りにきた知らない人だったら。
どうする?もし彼がそれも楽しんで遠くから見ていたとしたら。

どうする?


...

この後はあまり覚えていない。ただ、触り方でこれも彼だろうというのは分かった。
お尻を触られ、撫でられ、人が来ると腰を抱き寄せ恋人のように振る舞われていた。私はその度に壊れたおもちゃのように小刻みに揺れていた。

スカートが捲り上げられてパンツが丸見えになったことは若干記憶に残っている。スカートの中に手が入ってくるくらいの想定はしてたけどまさか、外でパンツを晒すと思わなくて声にならない悲鳴をあげた。

シェイクスピアに倣った純愛は1ページも進まなかった。



少しして、次の場所についてのメッセージが来た。
指定されたのはゲームセンターだった。画像が添付されており、プリクラが赤丸で囲まれていた。そこに行けということだろう。
遠くはないが、同じビル内ではないので移動が必要だった。地図を確認しながら歩いてるとDMがくる。

「最初さ、3階まで上るとき後ろからおっさんがついてきて脚ガン見してたの気づいてた?」

「へえ、見られるの好きやのに気づかへんのや。」

煽るような言葉を見て、強いアルコールを身体に入れたときのようにぶわっと身体が熱くなった。楽しそうなのは私の反応を試しているからなのか。
見通されていることは、この人には敵わないんだろうなという気持ちにさせ、喉に何かがつかえ気道が塞がれたような感覚に陥った。

「なんで分かるんですか?」と送ると「同業やから分かんねん。」と返ってきた。




20- 塗り潰された五感


プリクラに行くのは久々だった。女子高生の頃は機種ごとの違いを把握してお気に入りのプリ機があったものだが、名前すら聞いたことない最新の機種だらけになっており圧倒された。指定されたプリ機がどれか分からずウロウロする。


「そこであってる。」


すぐ通知が来た。やはり私の視界にいないだけで見られているらしい。正面にあるプリ機に入る。

彼はいつ近づいてきたのか分からなかった。背後から腰を優しく掴まれ、そのまま隣のプリ機まで誘導される。どうやら間違えて指定されたところの隣に入ってしまったらしい。

カーテンをめくった先は落書きコーナー。
ふらふらと入ったので白い壁にぶつかり、そのまま縋るようにもたれていた。

間違えてしまったのは、興奮して真っ白な脳では文字が読めずプリ機が判別できなかったからだ。開いた瞳孔では色と光しか分からなかった。太ももが汗ばんでいて熱い。胸元につけた香水がぶわと立ちのぼる。低体温だからいつもは爽やかな香りなのに。身体が熱い時しか感じないイランイランの甘さで頭がクラクラする。

片手には先ほどまでDMでやり取りしていた携帯を握りしめていた。携帯を奪われ、シースルーのアウターを脱がされた。あ一握りしめてないと携帯が落ちるなんてもう考えなくていいんだ、と楽になったのを妙に覚えている。
もう何も考えられない私の背筋をなぞる。ぱちんと後ろで音がして肩紐がずり落ちる。

私の視界は真っ白だった。比喩でもあり、現実でもある。プリ機の壁は顔写りを良くするために真っ白なのだ。その白い壁に追い詰められ、空間にはゲームセンターらしい音楽が鳴り響いていた。でも何も聞こえなかった。興奮すると聴覚は遮断され、音は私の体内に飲み込まれてしまうらしい。

そうして訳がわからなくなっていたら入り口に圧迫感があった。そう思ったときにはぬるりと奥まで挿入されていた。パンツさえ下されなかった。挿入までしていいなんて言ってない。(わざわざNGとは伝えていなかったが、ネカフェでもないのに挿入される想定が全くなかった。)
でも私には逃げる余地が与えられていた。本当に嫌だったら事前に決められた合図をするだけで良かった。それをしないという選択をすることは自分の願望が露わになる。
息ができなくて苦しい。心臓をぎゅうと手で鷲掴みにされてるみたいだ。私は──────そうされたかったんだ。

私はカップにギリギリまで入っているカフェオレのような精神状態だったし、彼はそれを溢さないよう丁寧に運んだ。叫ばない、崩れ落ちないギリギリだった。
君は真綿で包むように優しく、真綿で首を絞めるように追い詰める。

五月蝿い音楽は私の声を掻き消した。

終わったと気づいたのは相手が離れたときだった。丁寧に服を直し、椅子の上にシアーシャツと携帯を置いて出ていってしまうとなんとも言えない寂しい気持ちになった。

後ろなんて振り返らないから顔を知らない。彼が今どんな表情かも分からない。でも自分でも理解し難い感情が降ってきた。

私は触られることに愛を感じた。
好きかもしれないとさえ思った。満たされた。その瞬間彼は私のことだけを考えていただろうし、気持ち悪いところをぶつけてくれるのも、私がどう触られるのが好きかバレてるのも心地よかった。愛されてると錯覚した。本能的に私の理解者だと思ってしまったのかもしれない。
普通に考えたら知らない人に愛を感じたなんておかしな話だと思う。この話はきっと多くの人に理解されない。
でも私にとっては特別で、もう『そう思ってしまった』という話なのだ。


駅に着くと、同じようなグレーのTシャツを着た同じ程の背丈の男性とすれ違って痙攣した。



2023/02/13








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