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「壮大な厨二病物語なんだけど、デザイナーを志した理由をきいてもらえますか」

「なんで、営業からデザイナーになろうと思ったんですか?」

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これまでの人生でこの質問をいただく度に、私はこう聞き返した。

「その話をしようと思うと、壮大な厨二病物語になっちゃうんだけど、聴いてもらえます...?」

この続きを聴いてやっても良いよと思った方はこの先を読み進めてもらえると、嬉しい。

端的に言うと、私は、「この日本の政治が、教育が、真に国民を中心に設計されたものになっていない!」とちいさい頃からずっと憤って生きてきた。

憤り①:金融教育を義務教育で教えてこなかったこと

日本の30〜50代の既婚男女にお金の不安があるか?と聞いたところ、約94%の人が「ある」と答えたそうだ。

参考  
株式会社タンタカ「お金を借りる即日融資ガイド110番」30代~50代の既婚者500人への将来のお金に関する不安などについてのアンケート調査

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お金の不安があるとメンタルヘルスに害を及ぼし、脳機能まで低下することが近年の研究でわかってきた。

これほどに人の人生に影響を及ぼす金融教育を、なぜ国はこれまでやってこなかったのか?

その答えは、「国民の金融リテラシーが高まると(国家が)国民を支配しづらくなるから」だと私は推察している。

西野亮廣さんも同様のことを仰っていました。

▼ちなみに、日本でもやっと、高校の家庭科で金融教育が始まりますね

▼日本人の金融リテラシーレベルについて
両学長のこちらの動画でわかりやすく解説してくれているので、ご興味のある方はご覧になってみてください。

憤り②「地盤・看板・鞄」がないと政界に出られない構図になってしまっていること

苫米地英人さんの著書「世襲議員という巨大な差別」によると、世襲議員の当選確率は一般人の2,300倍にものぼる。

残念ながら、今の政界の構造だと、国会議員になりたければ、権力を持った先輩議員の鞄持ち(≒秘書など)をすることがほぼほぼ必須となってしまっている。

権力を持った先輩議員の」鞄持ちというところがミソで、そうでなければ、国を変えるだけの権力を得られる地位になかなかたどり着けない。

つまり、新しい思想を持つ改革者的な考えを持つ人にとっては、国会議員になること自体がいばらだらけの道だということだ。

こうなってしまうと、既存の考え方を否定するような改革者はなかなか国会議員、ましてや総理大臣にはもっと、なることができない

つまりどういうことかと言うと、この日本は、すでに長い間権力を持ち続けた人中心の政治になってしまっているのだ。

私はこの日本を、既得権益中心から国民中心の世界に変えたい。

(ここで厨二病感が極まるんだけど)そして私は、その方法をずっと探してきた。

その解決策こそが「デザイン」なのだ。

世界を変えるためのデザイン

ここで、デザインの本来の意味を確認したい。

デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。

つまりデザインとは、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。

日本では図案・意匠などと訳されて、単に表面を飾り立てることによって美しくみせる行為と解されるような社会的風潮もあったが、最近では語源の意味が広く理解・認識されつつある。

形態に現れないものを対象にその計画、行動指針を探ることも含まれ、就職に関するキャリアデザイン、生活デザイン等がこれにあたる。

デザイン – Wikipediaより

つまり、デザインの元々の意味とは、問題解決のための設計なのである。

そして、近年少しづつ聞かれるようになった「人間中心デザイン」とは、そのデザインによって真に人の生活が豊かになるデザインのことを指すのである。

私は、今の日本の政治に人間中心デザインを取り入れたい。

人間中心デザインは、常にユーザーからのフィードバックを得て、それを踏まえて改良し続ける。

デザインする側のエゴや思い込みを、デザインの軸にすることを許さず、常にユーザーの本質的な幸せを目指すのが、人間中心デザインなのだ。

愛情のインフラをつくる

これは、私の人生のミッションだ。

どんなひどい家庭環境に生まれた人でも、「この世界に生まれてきて良かった」「この世界は面白い」そう感じられる世界をつくりたい。

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私の家族は、ひどい躁鬱病だった。

暴れたり、精神病院の牢屋みたいなところに入れられたりして、本当に大変だった。

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そしてそれを支える家族も、いつも余裕がなかった。

家族にはめちゃくちゃ感謝しているが、家での心理的安全性は、ぶっちゃけ高くなかったと思う。学校でもそうだった。

人をいじめたり、いじめられたり、支配したり、されたりしていた。

ずっと人と自分を比べてきた。

何もしないと価値がないと思ってきた。

でも今の自分は違う。

自立した愛情のある大人の支えによって、私は、間違いなく、変わり続け、成長し続けている。

就活の時、叔母の愛情に救われて、経済的自立をし、自信を取り戻した。

新卒時代、上司に厳しさと愛を持って社会人としての基礎を教えてもらった。

divという会社に入って、美しい理念とクレドに人間性を育ててもらった。「エンジニアになりたい受講生の未来を切り拓く」その一心で、会社が潰れそうな時も、深夜まで営業資料を作り、開拓先リストをつくり、営業時間中は電話をかけ続けた。

「人間関係に疲れた、もう実家の徳島にかえりたい...」そんな時も、パートナーの深い愛情に支えられた。

産後、会陰切開の傷が辛く、3時間ごとに痛み止めを飲み続けていた時、義母が1ヶ月間、家事育児を手伝いに来てくれた。「自分の娘のように思う」と言いながら、ズボラな私に家事のコツまで教えてくれた。

人は、自立した人からの愛情によって、成熟していける。
人生を生き抜けるひとに成長していくのだと思う。

私は「死」がとてもこわいけれど、「愛情」は死んだあとも、
ひとの心に、ひとの人生に、価値として残り続けるものだと思う。

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過去の自分と同じように、家にも学校にも居場所がなく、
生きる意味を見失いかけている人に、「愛情のインフラ」を届けたい。

「この国は、少なくともこのサービスを作った人は、私を愛しているかもしれない。この世界を信じてみよう。」

そんな風に感じ、明日からの新しい一歩を踏み出せるような、
そんな、愛情のインフラを、後世に残したい。

私がやりたいこと、
それは、国の構造自体を愛情に基づいたものに変えること。

どんなに家庭環境に生まれても「日本に生まれたら勝ちゲー」と言われるような仕組みをつくること。

本質的な愛情に基づいていない制度は「それっておかしくないですか?」って建設的な批判ができ、修正していける世界をつくること。

そして、愛情いっぱいに育った日本人が、他国にも、幸せのお裾分けをしていけるような構造をつくること。

家にも学校にも職場にも、居場所がなく苦しんでいる人へ、「少なくともこの国は自分のことを愛してくれている、だから立ち直れる」と、心理的安全な状態と勇気づけを提供できる何かをつくること。

これが私の人生のミッションであり、生きる希望なのだ。

だから私は、デザイナーを目指した。

私はこの人生で、後世に残る、国家規模の愛情のインフラをデザインする。

いつまでに叶えられるかわからないけど、私は死ぬまでこの希望を抱き続け、人間中心デザインという武器を使って挑戦していきたい。

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。

もし共感してくれたなら、この挑戦を応援してくれると嬉しいです。
むしろ、一緒に挑戦していけると嬉しいです。笑

なぜなら、人は皆、自分の人生をよくする設計者、つまり、デザイナーなのだから

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