一夜の楽園で見た夢は
「あー、彼氏ほしい。」
暇な大学生の口癖ランキングNo,1だと思う。
憧れだった都会の大学に通わせてもらえることになり 彼氏との同棲生活の夢や、毎晩友人と遅くまで出歩くという夢は 「寮」という名の牢獄のせいで敗れることとなった。
門限は22時だったし、外泊するのにも宿泊先の印鑑が必要で 友人の家に泊まるのも一苦労だった。
彼氏のいないまま大学2年生の夏が始まる。 私にはある友達がいた。名をN子と言う。N子はもともと同じ寮に住んでいたが、寮生活に耐えられず、わずか3か月余りで自主退寮したツワモノだった。
「よくあんな所に住めるよね。」
久々に会ったN子に言われてムッとしたが、確かに快適とは言えない。 続けてN子が言う。
「今度クラブに行くんだけど、一緒に行く?帰りはうちに泊まればいいし。」
私は神妙な面持ちでうなずいた。初めての世界に飛び込む高揚感なのか、 親に言えない罪悪感なのか、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
ただ、未知の世界は男と女の楽園で、そこに行けば私の人生は大きく変化すると、そう確信していた。
当日、いつも夜少し濃いめのメイクに流行りの服を身にまとい、楽園へと向かった。中に入るとそこには「非日常」が広がっていた。
脳に直接響く大音量の音楽。煙たく吐きそうなタバコの匂い。 大勢の他人の熱気でかすむ視界。
初めての刺激にくらくらしながらも中へ進む。
踊り方なんて分からないから、とりあえずお酒を飲んで過ごす。 早く酔ってバカになりたかったが、焦るほど頭は冷静だった。
いつの間にか、N子は知らない男と意気投合して最前列に行き 、シャンパン片手に踊り狂っている。
(クラブ初日の私を置き去りにすんのかい・・・)
呆れながら一人ですることもなく、カウンターで最近覚えたてのシャンディーガフをちびちびと飲んでいた。
すると、そこに一人の男性がやってきた。
「おねーさんひとり?」
眉毛の濃い、目鼻立ちが整った20代後半くらいのその人は、 ニコリともせずに話しかけてきた。
「いえ、友人と来てます。」
「ほら、あそこ。男の人と密着しながら踊ってる子。」
ナンパかと警戒しながら私も淡々と返す。
「はは、かなり泥酔してない?一緒にいなくていいの?」
ZIMAを注文しながらその人は続ける。少し笑った顔は無邪気な少年のようで嫌いじゃなかった。
「連れ去られそうになったら助けに行くから大丈夫です。」
「・・・そのお酒っておいしいんですか?」
しまった。前から気になっていたお酒が視界に入ったもんだから、 つい言ってしまった。 こう言ったら次に来る言葉は分かり切っていたのに。
「少し飲んでみる?」
その人はまた、ニコリともせず、軽薄そうに言ってきた。
断らなかったのは未知の味への好奇心だろうか。それとも、その人に対する期待だったのだろうか。2割ほど減ったお酒に口を付ける。
甘く爽やかな液が、芳醇なりんごの香りと共に胃の中へ落ちていく。
「・・・おいしい。」
「君、クラブ初めてでしょ。だって全然似合ってないもん。いい意味でね。なんか、見た目も大人っぽし、落ち着いてて話しやすいし。」
嘘を見破るのは簡単だ。
だけど自分に都合のいい嘘を真実と捉えるほうが、もっと簡単だ。
高まる胸の鼓動は、5分前から収まらない。
20歳になりたての若者に「大人っぽい」の誉め言葉はずるい。お酒と主に話が進む。閉店時間まで話は尽きなかった。
「連絡先交換しようか。」
その頃には、耳をつんざくような爆音は遠くに響き、頭の中はふわふわとしていた。私は友達追加画面を開いた。
ふとアイコンを見る。
「え?一緒に写ってる女の人は妹さん?」
「いや、彼女だよ。でももう別れようと思ってる。」
その瞬間、
”「もうすぐ別れるから」は「行けたら行く」くらい信用できない”と ドラマの30代の独身ヒロインが言ってたシーンが脳内に流れた。
非日常から現実へと、一気に引き戻される。
「初めてのクラブはどうだった?」
帰りのタクシーの中、今にも瞼が閉じそうなN子が言う。
「・・・私には似合わないってさ。」
彼のLINEを人指し指で削除しながら答えた。
何事もなかったように、月曜からまたいつもの生活が始まる。
眠気と戦いながら授業を受けて、合間の10分休みにいつもの友人たちと 他愛もない話をする。その話題はきっと、夏休みの遊びの計画か、 未来の彼氏の妄想デートプランだろう。
そして、いつものセリフを吐く。
「あー、彼氏ほしい。」
変わらない日常に飽きたら、また、甘くて刺激的で短い夢を見に行こう。
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