パンツと恥

“うん? お腹あたりが気持ち悪い? いや、痛い? 痛い、痛い。痛い!!やだ、すんごい痛いんだけど!!!”。

そう思って、目が覚めた。お腹あたりの違和感が意識が覚醒するとともに、徐々に徐々に痛みを伴ってきて、ついには、まぶたあたりが痙攣するくらいに痛くなった。

痛みは生理痛のようなずーんという鈍痛(男性はよくわからないか)から、腸のあたりをぎゅーーーーーんっとつかまれているような激痛に変わっていた。

「お腹が痛い → トイレ」という単純な思考しか持ち合わせていなかったので、とりあえずベットから這い出るようにしてトイレに向かった。

当時はワンルームマンションに住んでいたので、ベッドからトイレまではそう遠い距離ではないはずなのに、これがまた目のくらむような遠さなのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、うっっっ、ふーーーーっ」

“あ、お腹が痛いときの演技はこうやってやったらいいんだな、ふむ”と、決して考える必要のない学びを得ながら、トイレの扉を目がけて這うように進む。現実逃避をしたいとき私の頭は、いつだって大抵くだらないことを考えさせるのだ。

その行路の途中でバファリンが目に入ったので「お、これはこれは私が愛してやまない痛み止めではないか!この痛みに効くかもしれない」と、過去あらゆる場面で私を生理痛やら頭痛やらから救ってくれた魔法の薬を、震える手で開封して、なんとか飲み込んだ。

ようやくトイレにたどり着き、着座したものの、特に便意はない。とはいえ“とりあえず何か身体の中の悪いものを出そうではないか、えいや!”と力むと、さーーーっと全身の血の気が引いていく。「あ、やばい」そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった。貧血だ。

そういうときは、甘いものを口に入れてじっとしておくのがいいのだが、うまく動けそうにないし、パンツはおろしたままだし、別に誰も見てないけどこのままは出ていけないと、失いたくない理性が働き、しばらくそのままにしていると、すぐに視界が戻ってきた。

すると同時に少しだけ便が出た。しかし、それが見たこともない真っ黒さで、しかもタール状だったのだ。

「やだ、なにこれ……」。

本気で怖くなった。“黒いタール状の便が出たら大腸がんの疑いあり”と、何かで読んだことがあったからだ。

バファリンも効いてきたのか、少し痛みも和らいできたので、病院に行くためパジャマにロングアウターだけ羽織って家を出た。

歩いて15分ほどの距離にある病院だったが、まだまだ痛みは元気に健在だったので、タクシーに乗り込んだ。運転手さんに向かって「〇〇病院まで、はぁ、はぁ」と息も絶え絶えに伝えた。すると運転手さんは何のリアクションもせず「はい」と行って向かう。

しかも、やたら遅い! 信号が変わりそうになると必ず減速するのだ。

“いけたよね、絶対今のいけたよね。この状況わかるよね?急いでくれたりしてもよくない!?”

痛みに耐えるしかない私は、その怒りの文句を「ふー、ふー」という荒い息に乗せて、伝えてみた。

やはり人には言葉にしないと伝わらないのだなと実感したころ、病院に到着した。

担当してくれた40代後半と思われるぼっちゃりバデーの女医先生は、とてもやさしくて、今までの経緯を話すと「大変だったですね。それは確かに心配なのですぐに検査しましょう」と、テキパキと準備を進めてくれた。その姿はまさに後光さす菩薩そのものだ。

この先生ならなんかとしてくれそうだと思っていると「はい、こちらに横になってくださーい」と促されるまま、気づいたら、さっとパンツまでおろされていた。

「あ」っと思ったのもつかの間、肛門に何か器具のようなものを入れられ検査が始まった。恥ずかしいと思っていると、検査が終わり、看護師さんがさっとパンツを上げてくれてた。

さっとおろされて、さっとあげられた私のパンツ、はて、今日どのパンツだったっけ?とぼんやり考えた。

検査結果を待つ間、問診が始まった。すると、なんだか痛みが引いてきたので、先生に感謝をするとともに、もうその菩薩様の福耳を思いっきり触りたいくらいだった。

「痛みがだんだん引いてきました!」と言うと、「それはよかったです。でも検査結果を見てみないとなんとも言えませんからね。黒いタール状の便というのは普通の状態でないですから。ちなみに念のために確認しますが、イカ墨は食べてないですよね?」

私「え、イカ墨。 …………………… 食べました」

菩薩先生「え!!??」

結果、お腹の痛みは腸炎で、黒い便は前日に食べたイカ墨によるものだったのだ。

恥ずかしい。パンツをおろしたままトイレから出るのが嫌だとか、パンツをおろされて肛門丸出しで恥ずかしいとか、そんな恥ずかしさなんか屁だ。

例のタクシーの運転手さんにも謝りたいと一瞬思ったが、それはしなくてもいいなと思いなおした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?