幸せの形が違ってもいいって思うこと
愛がなんだ
好きってなんだ、そう繰り返すテルちゃんはかっこいい。ただ、マモちゃんのことが好き。それだけで突っ走ることができて、強いとさえ思ってしまう。健全なのか分からないけど、でも、普通とか正解がないこの世界では、まっすぐに生きている人こそキラキラ輝いてみえる気がする。33歳になったマモちゃんの人生に、自分が存在してると信じられるなんてすごい。私なんて、明日愛想を尽かされるかもしれないな、って心の底ではどこか覚悟しているっていうのに。
この作品に出てくる登場人物たち、テルちゃん、マモちゃん、ヨウちゃん、ナカハラ、スミレさん。みんなちゃんと孤独を抱えていて、誰かのそばにいることで満たそうとして、満たされなくて苦しくて、でも離れることのほうがもっと苦しくて。些細な生活のズレとか、すれ違いも描かれていて美しかった。テルちゃんとマモちゃんの幸せな時間は、些細なズレを無視した上に成り立っていた。それをお互いに見ないふりをして、利用し合う。好きとかじゃない、恋人じゃない。
正解なんてどこにもないと、改めて思った。誰かが自分の正解を決めているだけの世界。どんな世界で泳いでいくかは、自分で決められる。私が求める幸せの形と、テルちゃんが求める幸せの形は、全然違うんだなってことが思い知らされた。そして、それでいい。誰かの幸せの形に口出しすることなんて、その人の人生ぜんぶまるっと抱え込むくらいの覚悟がないとできない。その覚悟があったとしても尚畏れ多い。
どっちつかずの関係を引きずっていた時期に上映されていたら、きっとぐちゃぐちゃになっていただろうな、と今だから思える。愛がなんだ、って笑っただろうか。もう今となっては分からないままだ。
今泉力哉監督インタビューと チェリーというWEBマガジンで連載をされているこちらも映画と併せて読んでみると、より世界観に引き込まれた。ぜひ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?