少しずつでも、心が動くものに目を向ける
久しぶりに自炊をした。賞味期限が怪しかった手羽元を焼いて、アスパラを切って、スープにした。塩と胡椒とオリーブオイル。食欲がないなぁ、と半ば食べられるものを考えることが億劫になっていたけど、自分の手を動かすと、きちんと食べられた。よかった、まだ大丈夫だと思う。
毎日といっていいほど何かを撮っていたiPhoneの写真フォルダは、ぴたっと増えなくなった。ちょっとそれが悲しかったから、自炊したスープを撮った、全然写真映えしないけどそれでもいいや。
窓を開けて、入ってくる風が気持ちいい。9月の暑さは少しだけさわやかになる。忙しくしていると、忘れてしまいそうなことを、いちいち思い出す。無理やりにでも、心を動かしたいな、って思ってしまう。
最近、楽しみにしているのがこの連載。平野レミさんと和田誠さん。このおふたりの関係性は、とても素敵だと、心から思う。じわじわと、でも強く、つかまれる。こんなふうに、人間同士、いっしょに居られることが素晴らしい。一緒にいるって、いったいなんだろう。すぐに他人に期待をして、許せなくなってしまう私は、この連載をきっと何度も読み返すことになるだろう。近くにいる人と影響しあって、人のかたちが変わっていく。まわりの人も、本人たちも、その子どもたちも。そういうことが、読んでいるだけでもう、びしばし伝わってくる。
神様は靴の踵(かかと)に棲(す)みたもう。
結婚したらいろんなことがあって、いつか悲しいことがあるかもしれない。
もしもそんなときが来たら、「風強ければ」と思い出せ、と。
風が強ければ、神様が靴のかかとにいて、君を支えて
倒れないようにしてくれているよ、ってね。
私はそんなふうに解釈したの。
(平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。第4回 この部屋に置かないでね。)
パートナーは、今日で私より一足先に歳をとる。わたしは、一緒に歳を重ねたいと思う人がいることを、うれしく思う。知りたい表情が、話してくれる言葉が、増えることはきっとおもしろい。
離れて暮らし始めて、ひとりの時間も増えたから、ふたりで暮らしていたよりも、手元に置いておきたい本やエッセイの文章が増えていくことの喜びも、自分が動いた分だけきれいになったり汚れる部屋と付き合う心地よさとも、仲良くなれそうな気がしてきた。
そうは言っても、簡単に低気圧や体調に振り回されて、すぐに泣き言を言っては眠って諦めて、でも諦め切れないものを追いかけていくんだろうなぁ、と思っている。変わることは、変わりたくない部分を変えないためにも、必要だ。しなやかな、大人になりたい。ずっと、青臭くても、自分のことは諦めたくない。出会えてよかったなぁ、と思える人に会えて幸せだ。
おめでとう、ありがとう。
休日は、小杉湯でゆったりしたいな。文喫も、オラファーも、行きたいところも見たいものも会いたい人も、まだまだたくさん。すぐに欲張ってしまう。食べることにも体力がいる、バテている場合じゃないね。
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