あたしの体にある余熱が溶けてく
家に帰るのが面倒だから、なんて分かりやすい言い訳で、温かいご飯と整ったネット環境のあるお家へお邪魔する。それがだんだんと当たり前になってきて、久しぶりに帰る自分の部屋のほうが何だか他人行儀に出迎えられている気がしてしまう。
わざと照明をしぼった部屋でMacを打っていると、眠気が追いかけてくる。やりたいこと、やらなければいけないこと、山積みに思うけれど、本当はそんなことない。ただ一歩足を出すのが怖いだけ。ただちょっとだけ、会話が通じない人との毎日に疲れてしまっただけ。同じ日本語を話しているはずなのに、伝わらないのはなぜだろう。自分の言葉の使い方なのだと思うけれど、前提条件がある人との会話が心地よくて甘えてしまった休日を越えてちょっとしんどい。早く、しんどいって言える環境には自分でしたいなって思うからやってみる。
自分の家にちゃんと帰って、好きな人と一緒に眠らない夜は、過去の記憶を取り出して眺める。私だったら考えつかない行動がぽんぽん飛び出してきて、そんな毎日を見ているのが楽しい。だんだん彼を知って、ちょっと行動が読めてくると、愛おしい行動を起こすのを待ってしまう。パターンを読まないでって怒られるのも織り込み済み。日常が、そこに隠れている些細な幸せが、私は大好きだ。特別な日も記念日もいらない、ただ毎日波に揺られている人を見ていたい、一緒に揺れていたい。それが贅沢だって分かっているけど、そんなふうに思う気持ちが一緒にいると強くなる。不思議だ。
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