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音楽の魔法にかけられて前を向ける、健全に後ろ向きにもなれる

星野源「POP VIRUS」
今月末に久しぶりにライブに足を運ぶことになって、TSUTAYAでレンタルした。買わなくてごめんなさい。朝の通勤電車でイヤホンから流れ出す、無心で聞いた、彼の声が、バンドメンバーが奏でる音楽が、全部身体にはいってくる。朝の道が満たされる。

僕の好きな音楽の中にはポップ・ウイルスというものがあり、それは遥か昔、誰かが奏でた音階から始まり、いま現在世界で鳴っている音楽に受け継がれ、そして気の遠くなるような未来にまで生き残っていくでしょう。人類の文明が今後どうなっていくのかわからないし、もしかしたら一度終わってしまうかもしれないけど、さらにその先にだって出会うチャンスは何度だってあります。そこで音楽は、変わらぬ顔で「Hello」と語りかけてくると思うのです。「星野源 POP VIRUS アルバム中コメントより抜粋」

ウイルス、知らず知らずのうちに身体のなかに入り込んで、音楽家たちやそれを聴く者たちによって、未来にわたって感染し続ける。なんて最高。勝手に身体が踊りだすような、泣きたいときにそっと寄り添っていてくれるような、朝の始まりにも、どうしようもないときにも、空っぽだと思ってしまうときも、悔しいときも、恥ずかしいときも。音楽という魔法にかけられて前を向くことができたり、健全に後ろ向きになれたり、私は幸せ者だと思う。

アルバムを3周くらいして、いちばん好きなのは「サピエンス」だ。
”ああ あなたはいつの日も間違えたまま 泥水蹴って走り出す
ふざけた愛しさを抱えたまま 転んだ後に目が合って笑うだろう”
転んでばっかりで、間違えてばっかりで、それでもかまわなくて、自分で痛い目みて道を選びたいって思う背中を押してくれている気がする。

彼の言葉や、音楽を聴いていると、いい意味で数年前と全く別人になったように感じる。ギターを弾き語りしていた、暗い歌ばかり(本人も言っていたが)をたくさんつくっていた時代から、月日が流れて時が経って、見えるものが変わっていったのを感じる。偉そうに私が言えることではないのだけれど、でも、そう感じる。自ら進んでいった先に、見えるものが広がった世界を歌っているようだ。表現する人は、自分のなかに言葉が、考えが渦巻いている人。そのエッセンスを分けてもらっている。立場を手にして、少しずつ、伝えたいことも嫌味なく伝えられているように思っている。(本当に私が言うのはおこがましいのだけれど)

好きだ、彼のつくる世界が、音楽によって見せてもらえることが、すべて希望だ。これからも、踊るように生きたいと願う彼を見ていたい。私自身も、そうやって生きていきたい。

#星野源 #POPVIRUS #音楽

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