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8%残った気持ちが白紙に変わる

先日、青山で用事があって、時間までTORAYA CAFEに入った。帰宅を急ぐ人たちが目の前を行き交う。

後ろの席で子供の声がして、
ふと、小学生の頃、学校を休んで、母と遊びに行っていたことを思い出した。
主導はおそらく母だったような気がしている。不思議と罪悪感のようなものがなかったから。

ジャズが静かにかかっているような喫茶店、フォトフレームをつくるワークショップ、鮮明に覚えているわけではないけれど、平日に学校に行かないで大人と一緒の時間を過ごす感覚が楽しかった。

わたしは、割と過保護な母と、放任主義な父を持つ。今でこそ、離れて暮らしているので、わたしたち家族は“それぞれ”といった具合になったが、一緒に家にいるときは窮屈に感じることも多かった。

それでも、地元のスタンダードな道以外もあると、思うようになっていったのは、少なからず両親の影響もあるのだろうな。

今のわたしには、結婚も出産も、どこか遠いもので、世間的には適齢期なのかもしれないが、全く焦ってすらいない。明日、気持ちが変わるかもしれないけれど、いまはそれでいい。
焦るよね、という友人の言葉に曖昧に笑って返す。人と人とのつながり、とか、一緒にいるとか。そういうものの境目もよく分からなくなることがある。彼氏彼女の枠に当てはめなくてもいいんじゃないのかな、なんて考えてしまう。

とりとめもないこと、くるくると考えてしまうのは、秋の始まりだからかな。夏、まだ終わらないでって思ったばっかりなのに。
大切にされた、という大事な記憶を、また取り出せる場所に置いておく。


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