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生活

どうしたらいいかわからない気持ちのまま、この文章をただ打っている。もう、半日ほど経っているのに。自分のなかで処理しきれないまま。本当は向かうはずだった場所に行くこともままならない。

悲しみと戸惑いは、行き場をなくすと怒りになるのだろうか。怒りになれば、まだ、大丈夫なのだろうか。ぐちゃぐちゃになる心と、こんなにも自分は弱いのか、というやるせなさを抱えて、身体だけを動かして展示を見に行った。もしも、SNSがなかったら。

いま、私はこの気持ちをどう持て余したらいいのかわからず、SNSに頼らず、一人で勝手に落ち込むんだろう。SNSがなければ、ひとりですごすごと家に帰って、たぶん、早く寝るだろう。
SNSがあるから知った世界を、知った人を、好きになった作品や言葉たちが、脱力しきってあまり働いていない身体に吸収されていく。いまは、心地いいものだけを見る。やさしい世界をみる。SNSがあって、よかった。

きれいなものとか、やさしいだけの世界を、見続けていたいなんて、傲慢だって分かっているけれど、どうしようもできないことを前にしても尚、なにかが変われば違っていたんじゃないかって、人間はずっと考えてしまうのだろう。弱くなっている気持ちに、突然降ってきた、ほかの人はたぶん簡単に処理してしまえることが、わたしは今日できなくて、引っ張られている。ただ、それだけのいまのわたしを書き留めておく。わたしのためだけに。

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