解像度をあげたその先を見てみたい
3月が終わろうとしている。退職する人がいる、次に進もうとしている人がいる、平成が終わる。そんな世間の波はテレビをつけない日々でもSNSの文字たちから、会社の人から、電車の中で、感じ取る。今日で転職してから半年。
何かが終わればまた何かが始まるし、というフレーズの歌がある。
何かに気付けることは、ある意味ではプラスなのかもしれないけれど、それがマイナスになっていつか苦しくなるのかな、なんてぼんやり思う。
「自分を過小評価しすぎ」って、高校くらいのときから言われてきたなって思い出す。挑戦することを怖がっていて、自責だと思いつつそうじゃないのかもなぁ、なんて。
人の気持ちや求めているものに気付いてしまうから、それを少しだけ早いタイミングで差し出すことができたら嬉しい。それが、本当にその人のためになっているかは分からないけれど。
感受性が豊かで気付けるなら、それを不満じゃなくて提案に変えたらいいのにね、怖がってないでって言われた。すとんと落ちたというよりは、それを踏まえて話したいなって人が浮かんだ。誰がキーマンかって計算したりしない、まだ下手くそな自分がいて、それが伝わるように話せたらいいのかもなって少しだけ思った。
やりたいことの解像度を上げるには、どうしたらいいんだろう。いろんなやりたいことに手を伸ばしてみて、いろんな人の成功していく姿を間近で見て、私もそうやって楽しいなって思えるといいな。
サイボウズの藤村さんのファシリテーションとか、ほぼ日からの柔らかなメールとか、そういうことが浮かんだ。できるようになりたいこと、在りたい姿。まだまだぼやけている。
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