久しぶりに会っても、昨日の続きみたいに話せる人がいいな
今まで会った大切な人たちのこと、ぜんぶ全員のことをずっと大事にすることはできないんだって、大人になってから気付く。もう顔も思い出せない、会うこともない、すれ違ってもわからないかもしれない人たち。自分自身を非情だなって思うけれど、生きている限りは仕方がないことなのだと割り切るしかない。
社会人になって出会った大切な人たち、高校時代からの友人。一人ずつに毎月会おうと思えば、すぐに予定は真っ黒になってしまう。相手の時間を割くことが重みを増してきた、小学生時代は毎日遊んでも飽き足りなかったのに。会っていた人に会わなくなって、ちょっとずつ静かに疎遠になっていく。そのことに、日常生活に追われて気付けないこともある。おばあちゃんになるまでに、何度繰り返すんだろう。そう思うと、職場で会っている人たちや、わざわざ会ってくれる人、会いたいと連絡してくれる人、すごく貴重だし温かいなって思う。
頻度や回数じゃないってのは分かっているけど、もっと深く知りたい、好きになりたい、って人とはどうしても連絡を取って話したいし、SNSを追いかけてしまう。そうやって、また会える日のために芽を育てている。
*
帰り道、突然降り出した雨に、駅まで一緒だった同期が傘にいれてくれた。「この傘小さいんですよね」と投げやりに言った、嘘は一切言わない自分の気持ちを隠さない彼と話している自分は楽で居られるなって思った。変な気も遣ってなくて、嫌われたくないとか思ったこともないし。初めて会ったばかりの頃は、シュッとした奴だな、って怖かったけど。
変なの、余計な気を遣ってしまう自分が嫌になる。土砂降りの会社を出て、最寄駅についたら雨は上がっていて、片側だけ濡れた服も元通りになっていた。
会っても会わなくても、話しても話さなくても大丈夫な関係性の友人たちとは、今までも長続きしてきたし、久しぶりに会っても昨日からの続きみたいに話ができる。自分が自分で居られる人と一緒にいたいし、そういう人たちと生きていきたいなって、最近思う。それが全部いいことかは分からないけど。そうじゃなくても、お近付きになりたい、知りたいって人もたくさんいるんだけれど。ううん。ぐるぐるする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?