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【早期リタイア】なぜそう思うに至ったか|退職理由

ごきげんよう。AIKEです。

早期リタイアについて。
本日のnoteでは、いわゆる理由の部分、「なぜそう思うに至ったか」というところをお話したいと思います。
なお、金銭的側面上は「なにをもって可能と判断したか」も含みます。

根本としては先日も述べた通り、

「何もしないをする」

という考えが主体となります。

とはいえ、決してそれだけが理由だったわけではありません。
取り巻く環境や、そこに至るまでの葛藤、不満などの理由などが複雑に絡み合い、実行に至っています。
今回は、そういったところを整理分類してみたいと思います。


なぜ早期リタイアに至ったか|退職理由

理由1:周囲と仕事の価値観・スピード感が合わなくなった

まずはこれです。
自分は数年前から、自己啓発の一環で、色々本を読んではその仕事術を実践し、業務改善を図ってきました。
その成果は、いっときは40時間/月もザラだった時間外労働時間に顕著に現れていました。

(月平均時間外労働時間)
2020年 9.0h
2021年 14.0h
2022年 15.4h
2023年 8.4h

気が付けば、いつしか担当の中でぶっちぎりに低い数字となっていました。
コロナ禍で始まったテレワークによる働き方が、極めて性に合っていたというのも大きかったように思います。
(実はその実現にもひと悶着あったんですが…それはまた別の話)
ノイズレスで快適な仕事環境、徹底した無駄削減と効率化によって、自らの業務スキルとスピードは、どんどん洗練されていきました。

そうして自分が高まる一方で、周りの人たちとの「差」みたいなものを強く感じるようになりました。

端的に言えば、無駄だらけで遅い、と。

自分がどれだけかっ飛ばしたところで、そうした部分がボトルネックになり、言ってしまえば足を引っ張られるような状態が散見されるようになりました。

そこに、とても大きなストレスを感じました。

当然、仕事はチームで行うものであり、自分一人が突出したところでどうにもならないこともあるというのは理解していましたし、そのためのサポートや改善は惜しみませんでした。

しかし、あまりにも、あまりにも学ばない。
2度や3度といった頻度ではなく、2年、3年とまるで変わらない。
なおかつ、職場の文化として旧態依然の気質がコンクリートのように固着しており、異常なまでに変化を嫌う。
自分も変化は苦手な方ですが、それにしたって、変えなさすぎも甚だしい。

手掛けていたシステムが、ミス=社会影響を及ぼすような代物であったということもあるでしょう。
ゆえに、一度上手くいったやり方でやり続けることこそが正義でした。
そしてそれが他の様々な仕事に波及し、文化として根付いてしまったのだと思います。
理由も考えず、ひたすら過去踏襲する文化が。

「これ、なんのためにやってるんですか?」
「え?昔からやってるから」

そんな仕事が横行していました。

そして、部下や同僚がそうならまだ納得もできるのです。
指導するなり、共有を図っていけばいいし、教えるのは楽しいですし。

ただ、本来我々に指示をするはずである親会社(名前は伏せますが大体の人が知ってる名前)や、彼らが相手をする(はずの)お客様がそうした気質であり、我々現場がいくら声を上げたところで、動かすことができませんでした。
ぶっちゃけズブズブの偽装請負でしたし、それも心の中で大きな引っ掛かりとなっていた部分です。

そうしたところから、もっと価値観やスピード感の合う人たち、あるいはクリーンでスマートな環境で働きたいと思うようになりました。
周りに合わせることも大事ではありますが、自分の力をより発揮するためには、そんな環境に身をおいた方がよいのではなかろうかと思いました。

そこでまずは、異動を考えたわけですが…
理由2に続きます。

理由2:金銭的な意味での働く必要性がないと見切れた

ここで金銭的な側面が顔をのぞかせます。
自分はなぜ働いているか?を考えた場合、「生活費のため」というのが率直な答えになります。

「やりたいこと」
「やるべきこと」
「できること」

この3つが重なっていれば、それはその人にとって天職でしょう。
しかし、残念ながら自分には一番大事な「やりたいこと」が欠けていました。
あくまで今の仕事は、「やるべきこと(会社から求められていること)」であり、「できること(経験知見が最も活かせる)」であるだけでした。
またその目的は、大層に生きがいや社会への貢献といった気持ちはなく、
ただただ、「生活費のため」というドライなものでした。

そうした心持ちで働いている折に、自分の資産をあらためて見直してみたところ、果たして、今のレベルの稼ぎは本当に必要か?と思うようになりました。
むしろ、フルで働かなくても暮らしていけるのではないか?と。

さすがに、2,000~3,000万なら躊躇しましたが、5,500万を超えており、ちょうど資産運用も開始し、それなりに方向性が見えてきているところでもありました。
※資産内訳に関しては前回note参照

資産5,500万+持ち家相続+遺産+年金+運用。

自己流ではありましたが、血眼になって何度も何度もシミュレーションし、かなり厳しめの条件下であっても、現時点で現職を退職したところで暮らしていけそうだという算段が付きました。

で、あるならば。

  • わざわざストレスを抱えて今の現場で働き続ける必要はない

  • 異動して環境を変えてリスタートするくらいなら、いっそ自分の「やりたいこと」に直結する仕事が良い

このような考え方に至った次第です。
ではその自分の「やりたいこと」とはなんなのか。
理由3に続きます。

理由3:家族の老いと介護

両親ともに70台後半。
徐々に日常生活に不便が出てきています。


 心臓弁膜症(治癒)
 中咽頭癌(治癒)
 急性胆嚢炎(治癒)
 腰椎すべり症
 腰椎圧迫骨折


 著しい側弯症(歩行困難)
 痩せ
 視野狭窄


 心筋症
 慢性的な咳
 嘔吐からの呼吸困難
 関節炎
 かかと禿げ(出血)

こうした中で、一緒に暮らす自分が一番健常に動けるわけです。
家事全般、特に力仕事から、買い出し等々。
まず今「やりたい」と思ったのは、そうしたことでした。
これまでの恩返しという気持ちも多分にあります。

元々家の用事は好きな方で、なんなら掃除などはこだわりすぎてしまうところもあるくらいです。
それが家族の役に立つのであれば、なおさら活かしたいと思いました。

理由4:人生半分、やりたいことをやりたい

お金のためではなく、自分が何をやりたいか。
人生も折り返し地点に至りつつあると思いますし、あらためてそうした視点で見つめてみたいと思いました。

まずは、何もしないをしてみたい。
その中で、何か見つかればいいし、見つからなかったら見つからなかったで、今はやりたいことがないんだなと思えます。

また、もし働くとしたら。
純粋に何をやってみたいかと考えて、現時点で思い付いた仕事は、以下のようなものでした。

  • 清掃に関する仕事(マンション、商業施設、オフィス)

  • 本に関する仕事(書店、出版)

  • 猫に関する仕事(保護活動、グッズ)

  • 仕分け/パッキングに関する仕事(オタクグッズ、梱包、発送)

  • データ入力に関する仕事(個人プレー)

  • 執筆に関する仕事(20年以上の物書き経験を活かせれば)

どれも自分の「好き」に繋がっている仕事です。
収入的には、月5万程度になれば十分です。
時間的には、週3~4日で午前中のみ、とかでしょうか。
今は老若男女でスキマバイトという働き方も多くなってきています。
あれはまさに、自分が求める働き方だなと思っています。

よほど暇を持て余したり、社会との繋がりが恋しくなったら、こうしたことをやってみようかなと、今は漠然と考えています。

理由5:すべてのタイミングが噛み合った

最後の理由です。
細かいところで、いろんなタイミングが噛み合いました。
具体的には以下のとおりです。

  • 勤続ジャスト20年(失業保険や退職金の段階がひとつ上がる)

  • 社会人そして人生としてもほぼ折り返し

  • 長期プロジェクトの狭間(ここを逃すとまた5年ほど拘束される)

  • 9月に抜けた部下の後任が想像以上に優秀だった(任せられると思えた)

  • 二度と一緒に仕事したくないという人が戻ってきた
    ※この人が戻ってきたら自分はここを去りますと宣言していた

  • 世の働き方の構造自体が変化しつつあった(テレワーク、スキマバイト)

これだけ重なると、もはや、今しかないと思えました。


以上、いわゆる理由の部分、「なぜそう思うに至ったか」というところをお話しました。

次回は少し趣向を変えて、「退職宣言への反応や状況」を語ってみたいと思います。

またお付き合いいただければ幸いです。

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