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手帳地獄からの解脱

この季節になると、心がざわざわとし始める。
そう、手帳の季節だ。
手帳マニアの間では、すでに8月くらいから来年の手帳の検討が始まる。早いものだと9月早々には発売になり、人気のある手帳はすでにソールドアウト。出遅れは許されない戦いもあるようだ。

手帳に凝り始めたのは、もう十数年前くらいになるだろうか。「凝る」といっても僕の手帳マニアぶりなど本物の(?)手帳マニアからすれば子供の遊び程度。恐れ多くて手帳に凝っていますなどといえないようなディープな世界がそこにはあるのだ。

「7つの習慣」を読んだところあたりから僕の手帳遍歴は始まるわけだが、ほとんどの世の中の人と同じように、フランクリンプランナーは僕には荷が重すぎ、きちんと使い続けることはできなかった。(え、みんなそうでしょ?まさか僕だけ?)

「よし、やってやるぜ!」 みたいな感じでスタートするのだが、きちんと書き続けられるのはせいぜい二週間。そのあとはもう普通の手帳(?)と同じ使い方しかできず、一年間使い続けたことは事実上ない。

そう、あの「空白」(要するにちゃんと書けなかった日や、かけなかった項目)に毎日責めさいなまれ続け、それに耐えきれずにほかの手帳に乗り換えることになるのだ。
新しい手帳を探しにお店に行くときは、もう負け犬の気持ちでいっぱいである。そう、僕はフランクリンとの戦いに敗れたのだ。

それでも何年かに一度、「そろそろこれでもいけるんじゃないか?」などと血迷った考えにとらわれ、また手を出す。そしてまたしばらくして自分のふがいなさにさいなまれ、ほかの手帳を手に取ることになるのだ。

これまで使ってきた手帳は、「ほぼ日のレギュラーサイズ」「ほぼ日ウィークリー」「トラベラーズノート」「ほぼ日のカズンの半年分のやつ」「ジブン手帳」そしてもろもろのシステム手帳のリフィルといったところだ。

いっときは四冊の手帳を目的別に使い分け、何とか半年ほど頑張ったこともあったが、よくよく考えてみるとそれほど複雑な人生を送っているわけでもなく、自己満足を通り越してただの苦行になっていることに気づいたことがあった。

何しろ手帳というのは一度使い方を決めると、それよりも複雑な方向に向かうことは良しとされても、シンプル化するというのはどうも活動的には逆行しているような気がしてしまうもので、内容はどんどん膨らんでいくことになる。積み上げたものを削っていくのは、なんだか自分に負けているような気がしてなかなか実行できないものなのだ。(もしかしたら僕だけかもしれないが…)

そんな僕が今使っているのは「ジブン手帳Biz」。仕事もそれほど細かな内容を詰めていく必要がない役割になってきているし、最近はそもそも会社での仕事のスケジュールは会社のPCのoutlookのみで管理し、手帳には基本的には書かないことにしている。
仕事のスケジュールを書かないとなると、スケジュール欄も結構スカスカにならざるを得なくなり、デイリーは全く不要。ウィークリーのみで十分というのが現状である。

ここ二年ほどはジブン手帳で暮らしており、結構しっくり来ている。欲張らずに、必要最小限のシンプルな記入項目を定めて使っている。手帳に向き合う時間は、一日のうちで長くても10分くらいのものだ。(四冊使っていた時は、下手すると一時間くらい必要になってしまっていた)

いろいろと試行錯誤を繰り返し、面倒くさがりの自分の性格とも折り合いをつけ、気分的に楽な使い方に落ち着いているというところだろう。

何事も人それぞれ。
自分らしく使うことが重要で、ほかのだれかと比べるようなものでもない。

ということでそろそろジブン手帳を買いに行こうと考えている。
間違えてフランクリンに手を伸ばさないように注意を払いながら、どこかでハンズにでも行ってこよう。

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