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#05 Fernando Brant / Vendedor de Sonhos

2010年に初めてブラジルを訪れてからは、ボサノヴァだけでなくMPBやサンバ、更には日本であまり知られていない北東部の音楽や最新ヒット曲まで聴くようになりました。
日本で手に入るブラジル音楽に関する書籍や評論家たちのブログやコラム(すべて日本語)は読み漁っていたので、サンパウロで本格的に生活することになった頃には、本質を理解できていなくても、“知っている”という意味では詳しい方だと思っていました。

しかし、そこには落とし穴があったんです。
ポルトガル語を全く理解できなかったため、曲の良し悪しをリズムで判断していたんです。

忘れもしない2014年10月、当時サンパウロ在住であった音楽家の青木カナさんに声をかけてもらい、初めてブラジル人ミュージシャン達とツアーに出たときのこと。
長いバス移動の中で、隣に座ったドラマーが私のスマートフォンに入っている音楽プレイリストを見せてほしいと言ってきました。
私のプレイリストを見た彼は深く関心していて、私も思わず嬉しくなったんですが、続いて彼のプレイリストを見せてもらったら…
知らないアーティストの名前ばっかり!!

そして彼が自分のお気に入りとして聴かせてくれたのは、ブラジルロックの父と呼ばれるハウル・セイシャスだったんです。

その頃の私は、ポルトガル語がわからないことを理由に、ブラジルらしさ=ブラジルのリズムと勘違いしていたので、ロックなハウルを聴いて、「あまり私の好みではない」と正直に答えてしまったんです。
すると、
「君は歌詞がわからないからだよ。ハウル・セイシャスは歌詞がいいんだ!わかるようになれば絶対に気に入るよ!」
と言われてしまいました。泣

前置きが長くなってしまったんですが、ブラジル人は歌詞を非常に重要視していると思います。
最近のヒットチャートに並ぶ曲は、だいたいが男女の恋模様を描いていて、「ブラジル音楽は死んだ」なんて言う人がいるほどですが、今もに“Letristas”という言葉を耳にすることは多いです。

Letristaとは、歌詞(Letra)を書く人を示します。つまり作詞家。
ブラジルの代表的な作詞家と言えば、ヴィニシウス・ジ・モライス、パウロ・セーザル・ピニェイロ、アルジール・ブランキなど。素晴らしい作品を書いた作詞家が沢山います。

ちなみに、前述したハウル・セイシャスの作詞を手掛けていたのはパウロ・コエーリョ。あれ?この名前どこかで聞いたことありますか?
そう、あの世界的ベストセラー『アルケミスト』の著者ですよ!

ハウルとパウロ・コエーリョの話はまた次回書くとして、今日はミルトン・ナシメントの大親友であったフェルナンド・ブランチについて書くことにします。

フェルナンドは残念ながら日本ではあまり知られていないのですが、『Clube da Esuqina』の大成功に貢献した重要な人物です。

フェルナンド・ブランチ(1946/10/09 - 2015/06/12)写真/クレジット不明

フェルナンド・ブランチは1946年10月9日、ミナスジェライス州南部のカルダスに生まれました。
カルダスはミナスの首都のベロオリゾンチよりもサンパウロ市寄りに位置する小さな街です。
10歳の時に家族と共にベロオリゾンチへ。規律正しい小学校で勉強し、青年期は本に夢中になり、毎日のように図書館に通っていました(いくつかの本は暗記してしまう程、本が好きだったとか)。
同時に政治や映画に興味を持ち、法律を勉強しはじめます。

とある夜、彼らの運命、そしてのちにブラジル音楽の歴史を変えることになる出来事が起こります。
マルシオ・ボルジス(ロー・ボルジスの兄)、そしてミルトン・ナシメントとの出会いです。
彼らはすぐに意気投合し、バーをはしごして朝まで語り合う仲になりました(この頃、未成年だったローはバーに連れて行ってもらえなかったそう)。

既に音楽活動をしていたミルトンは、更なる活躍を求めて1965年にサンパウロを拠点に移しましたが、その後も15日ごとに8時間以上バスに揺られてはフェルナンドとマルシオと顔を合わせていました。

やがてミルトンは当時歌手として大成功していたエリス・レジーナのために曲を書くので、その曲に詩をつけてほしいとフェルナンドにお願いします。
フェルナンドは一度も歌詞を書いた経験がなく、一度は断りますが、ミルトンは引き下がりませんでした。
「それじゃあ、別れや旅立ち、新たな道をテーマにするのはどうか。」とお題を出し、フェルナンドはとうとう大親友の頼みを受け入れることにしました。

ミルトンとフェルナンド 

こうして、愛する人を失った悲しさの中、前を向いて歩いてゆく人間の強さを描いた「Travessia」(行路)が完成。
1967年10月リオデジャネイロに開催された国際歌謡フェスティバル(Festival Internacional da Canção)に応募されました。
惜しくも優勝は逃しましたが、見事2位に輝き、ミルトンは演奏部門で最高位を受賞しました。
何よりも、この曲は世界的に評価され、「Bridges」として英語でもカヴァーされたため、ミルトンはブラジルを越えて有名になったのです。

そして、フェルナンドは今まで気付かなかった自分の才能を信じて、作詞家として活動し始めます。

1960年の終わりには、ミルトン、フェルナンド、マルシオ、ロー、ベト・ゲジス、ト二―ニョ・オルタ、ワグネル・チゾらとクルビ・ダ・エスキーナの活動を開始。
1972年に同名のアルバムをリリースし、ブラジル音楽の歴史に名を残しました。

(前列)ロー、フェルナンド、クビシェッキ元大統領、ミルトン、(後列)マルシオ

フェルナンドは作詞/作曲家として、ミルトンとは約200曲の共作を残しました。
また、ジャーナリスト、コラムニストとしても活動しており、晩年はベロオリゾンチに戻り静かに暮らしていたそうです。

左からエラズモ・カルロス、マルコス・キルゼル、ジョイス、フェルナンド、ゴンザギーニャ、ホナルド・バストス、マルシオ・ボルジス、ホベルト・カルロス

2004年、フェルナンドの活動50周年を祝って、甥で音楽家であるホベルチ―ニョ・ブランチがトリビュート・アルバムを作成することを提案。
フェルナンド自身も当初はプロジェクトに参加していましたが、2015年に肝臓の移植手術による影響により68歳で帰らぬ人となりました。
お別れを告げるためにリオデジャネイロから駆け付けたミルトンは「フェルナンドとの友情がなければ、僕の人生はこんなにも美しくなかった。彼は今、特別な場所にいるに違いありません。」とコメントしました。
彼が埋葬される際には「Travessia」が歌われたそうです。

このトリビュート・アルバムは5年の歳月をかけて2019年に完成。
ホベルチ―ニョは普段ベロオリゾンチで活動しているため、録音を依頼するリオやサンパウロのアーティストたちの信用を得るのに苦労したそうですが、最終的に2枚組20曲というボリュームで、大変興味深い作品となりました。

参加ミュージシャンはクルビ・ダ・エスキーナのメンバーはもちろん、フェルナンドが生前にお願いしていた親友のジョイス、彼の憧れであったドリ・カイミ、そしてモニカ・サウマーゾ、ゼー・セナ―ト、ジャヴァン、セウ・ジョルジなど、ブラジルを代表する歌手をはじめ、知名度はなくてもプロデューサーであるホベルチ―ニョが心から信頼している素晴らしいアーティストばかり。

このアルバムのタイトルとなった「O vendedor de Sonhos」(夢の売り子)、実は「Travessia」に付けられるはずだったんです。
ですが、最終的にフェルナンドが自身の大好きな作家であるギマランエス・ローザの著書『Grande Sertão: Veredas』(大いなる奥地:小径)の最後の言葉である“Travessia”を引用することにしたそう。
ちなみにこの本、ブラジルのバイーアとミナス周辺の干ばつ地帯が舞台となったブラジルを代表する文学作品、超大作です!!

時が経ってから、フェルナンドはもちろんミルトンと共に改めて「O vendedor de Sonhos」を制作しています(アルバムの最後に収録)。

ホベルチ―ニョは「20曲に絞るのが非常に難しかったため、今後もトリビュート作品の制作を続けていきます。」とインタビューで約束。
確かに、「Canção da América」や「Maria, Maria」が入っていないので、ぜひ続けてほしいですね。

そして続けて、「傑作『Clube da Esquina』には1枚のアルバムを作り上げるという情熱がありました。選曲からアルバムのジャケット選びまで、非常に慎重に行っていたそうです。」と話していたんですが、その情熱がこのフェルナンドのアルバムにも見事に受け継がれ、曲順からジャケットまで非常に素晴らしいと感じました。
私の超お気に入りアルバムです!!

フェルナンドの歌詞は、友情や夢、別れや人生の岐路がテーマになっていることが多くて、小さい頃から文学に親しんできたからなのか、表現が美しい。
ちなみにクルビ・ダ・エスキーナを制作した頃は軍事政権時代だったので、先の見えない不安の中の葛藤や、若者がもつ希望のようなものも感じます。

長くなってしまったので、「Travessia」の歌詞については次回詳しく書きたいと思います。

【アルバム】VENDEDOR DE SONHOS (2019)
作詞 : Fernando Brant
作曲 : Milton Nascimento 他
プロデューサー : Robertinho Brant
【参考】https://www.em.com.br/app/noticia/gerais/2015/06/12/interna_gerais,657744/fernando-brant-morre-em-belo-horizonte.shtml

*この記事は現在は公開終了しているサイト『南米音楽365日』に2020年8月20日投稿したものを一部修正して掲載しました

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