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死と生の旅。心からの敬愛と感謝を、次なる道に歩まれた祝福を込めて。

親愛なるおじいちゃんへ。


91歳と七ヶ月の月日を過ごされた今世での最期を迎えられた今、どのような状態でいらっしゃいますか。内なる宇宙への意識の旅を終えられた今、どのような景色をご覧になっていますか。

おじいちゃんの魂が前世における死に達した瞬間、次の生をはじめる位置をご認識されたことかとおもいます。それまでのカルマ(業)を基に、「(今の清浄段階では)次の生をここで全うする。宇宙の法により、ここだと定められているんだ。」と。時空を超え、宇宙を一瞬で踊るように舞うように巡りながら、空間軸と時間軸の両方において導かれた位置に着き、まるで土の中に種を植えるかのように丸まって、地上に出て光を解き放つ瞬間を待っていらしたのではないでしょうか。

次の生が前世よりも良きものであるように、阿羅漢(解脱の状態)へと近づけるように。与えられた天命をもって一燈照隅と為り、公に献身的に奉仕する中でより清らかになるように。おじいちゃんの魂が、直感と確信を胸に、天命に即した機能が描かれた宿(身体)を、天命を為す素質を育む上で最も適した土壌(環境)であるお母さんとお父さんを、選択する瞬間からはじまったであろう現世。

宇宙、天の川銀河、太陽系、惑星『地球』、日本国と名付けられた地球最大の海洋に浮かぶ孤島上の、木々や川に囲まれた地域。地球歴46億年、西暦1929年初秋。おじいちゃんにとってのご両親。一寸の狂いもないその完璧な位置を、数多の中から、おじいちゃんの魂は選択されたのでしょうね。

その位置において、地球は、生物は、人は、どのような状況にあったのでしょう。SINIC理論(Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution)上では、1876年からの第二次産業革命社会(機械化社会)と1945年からはじまる生産効率優先社会(自動化社会)の間。機械が人の代替として活躍しはじめたであろう頃。日本では、大正時代から昭和時代への移行がはじまって四年。おじいちゃんが生まれる六年前の大正14年には、死者・不明者が10.5万人に上る日本最大規模の被害が出たとされる関東大震災が発生。産声を上げた翌月には、アメリカを起に世界中を巻き込んだ世界恐慌が存在感を示していたようですね。時差はあれど例外なく日本も渦に飲まれ、戦前で最も深刻な恐慌を経験。時代のうねりを体感されたことでしょう。人々は心身共に怯えていたのではないしょうか。

そのような苦境に際してもなお、生じては消え去る波のひとつだと信じよう、共に乗り越えようと、希望の光である微笑みを絶やさずに懸命に忍耐強く、智慧と決意、道徳律をもって精進してこられたひとりひとりの背中が、すこしだけ目に浮かびます。お互いの存在が、どれほどに誇らしく、励みや支えとなり、勇気づけられていたことでしょう。ひとりひとりの心の調和や健やかさ、社会の安寧や共生への願いをお祈りし、欲を張らず必要な分だけの糧をいただく、質素倹約な「知足」に基づいた暮らし。今日の物質主義の日本では想像もつかないような不安や危うさを肌身で感じざるを得ない状況下。そのような中でも、「生きているだけでしあわせなんだよ、感謝の賜物なんだよ。支え合いなんだよ。」と思える人の割合は現在よりも多かったように想像しています。二十歳未満で戦地に足を運ぶこととなったおじいちゃんやご家族も、今のみを観ている私たちにはわからない、苦労がおありだったことでしょう。

おじいちゃんの魂は、どこかにいるだれかの架け橋となる役割(天命)を担おうと、明確にこの位置を選び、舞い降りてこられたのだと確信しています。お母さんのおなかの中で、愛と安心安全を全身で繊細に受け取りながら、約十ヶ月の時間とエネルギーをかけて、借り物である心身の準備を整えた後に、光に包み込まれる奇跡の瞬間の幕を開けられたことでしょう。はじめての自発呼吸から、息を引き取る最期の呼吸まで、色鮮やかに巡る想いを胸に、丁寧に進んでこられたであろう 33,000余りとなる日の一歩一歩。

体重 3kg 前後、身長 45cm 前後の赤ん坊の姿での誕生を経て、いつしかお母さんの手を借りずに直立、摂取を自ら行える幼児の身体へと成長。家族や社会の中で、時間の流れと共に姿形や立場を変えながら、視座や視点、視野を高め広げ、慈悲喜捨を育みつつ、役割を果たしてこられたことでしょう。

ときに、息子として、長男として、弟として、男として、家族・親族の一員として、ご近所・地域の一員として、友達として、生徒として、国の一員・飛行隊の兵士として、公の一員・消防隊員として、同僚として、部下として、上司として、夫として、父親として、祖父として、消費者として、患者として。ときに、優しかったり、厳しかったり、穏やかであったり、嬉々としたり、情熱的であったり、あたたかさや慈愛にあふれたり、驚いたり、感心したり、活気づいたり、活気づいたり、愉快であったり、好奇心にあふれていたり、心が開いていたり。ときに、胸の痛みを感じたり、無念さを感じたり、哀しかったり、淋しかったり、疲労したり、悔しかったり、無力さを感じたり、がっかりしたり、落ち込んだり、ぞっとしたり、途方に暮れたり、不安になったり、憤然としたり、打ちのめされたり、疎外感を感じたり、退屈したり、もどかしさを感じたり、緊張したり、混乱したり、居心地の悪さを感じたり、惨めさを感じたり。様々な感情や気づきを心身の内に体感し、味わい、受けとめ、労い、慈しみ、赦してこられた旅であったことでしょう。

老若男女、多様な人との出逢いに導かれたことでしょう。彼ら彼女らの笑顔や愛に包まれ、心を育まれたことでしょう。中でも、愛おしいパートナーや自分に似たこどもたちという存在に然るべくして出逢った流れを受けて、おじいちゃんの心の中で、一層によろこびやしあわせ、誇り、感謝を感じる瞬間が増えたのではないでしょうか。私含め、おじいちゃんのまわりにいらした人たちも、おじいちゃんと巡り逢えたよろこびを、共に過ごした時間や共に育んだ豊かさを、おじいちゃんの存在そのものが与えてくれる心の支えを、噛みしめて大切に味わいながら、日々を過ごしています。

さて。おじいちゃんの魂は、次の旅に向かう準備が整ったお知らせを受け取られたんですね。最後の“手放し”となる扉へと近づいていくのを体感されている中、どのような情景が浮かびましたか。どのような想いが巡っていましたか。どのような想い出を味わっていましたか。どのような状態でありましたか。安らかでありましたか。痛みをも慈しんでいましたか。感謝と至福に満ちて微笑んでいましたか。

おじいちゃんが旅立つ前日、血圧を下げる調整を通して、私たちに予告してくれたんですね。細心の配慮を、あたたかさを、優しさを、交流を、共鳴を、誠実さを、正直さを、愛をお贈りしてくれてありがとう。「みな驚かないでな、わしは大丈夫だ。いよいよだ。」「ありがとう、ありがとう。」という声を、強く握りしめてくれた手を、大きな体での hug を、全身全霊で届けてくれたように感じています。聢りと受け取っているよ、安心してね。おかげ様で、意識を強く向けはじめることができました。「安らかにあれますように、おじいちゃん。」とお祈りをしたり、受け止める心の準備を整えはじめる状態でいられました。猶予という名の支えを与えてくれて、本当にありがとう。

それとね。アルバムと手紙を受け取るときを待っていてくれたんだよね、きっと。ありがとうね。丸三週間集中して作成し、二月頭に作成完了していたものの、必要な流れで四月下旬に郵送したから、「愛華よ〜、まだかねえ。」と待ちわびていたかもしれないね。うふふ。あふれんばかりの想いを添えていたので、受け取ってくれて本当にうれしいよ。これまで、おじいちゃんが今世にいらした間にできる限り精一杯、感謝と想いを表現し、共有し続けてきました。物理的に離れていようとも、心からの愛そのものが、おじいちゃんが家族の絆をより深く感じ、安心と慈悲深い愛に包まれる滋養となっていたら倖いです。受け取り続けてくれて本当にありがとう。

おじいちゃん。改めて、本当にお疲れさまでございました。生まれてから、これまで(Apr 30まで)、おじいちゃんの魂を文字通り支えてこられたおじいちゃんの心身が、必要な休息と労いを得られますように。土に還り、真に解き放たれ、真に安らかであれますように。合掌。

そして、新たな生の幕開けですね、おめでとうございます。大いなる命の祝福であると捉えています。次なるステージへ進まれることを選択された今、慈悲と平静さを纏い、仏様のような心安らかな表情で、胸の内で合掌されていることを心から願っています。既に、次の過程を歩まれていることでしょう。もしかすると、一番最初におばあちゃんに再会されているかもしれませんね、愛し合っていたお二人だから。ようやくだね、きっと長らく願っていたよね。地球時間で八年間だもんね。ご両親やお姉さま方、お友達にも、おひさしぶりにご挨拶しているかもしれませんね。みなで微笑み合っていることを願っています。

もしかすると、来世でも、私はおじいちゃんに巡り逢えるかもしれませんね、そうじゃないかもしれませんね。どのような形であろうとも、お互いに感謝と至福に満ちた瞬間を紡いでいますように。改めて、おじいちゃん、生まれてきてくれてありがとう。ぱぱやおじちゃんとの導きを私たちに与えてくれてありがとう。おじいちゃんの存在そのものや、おじいちゃんと共に過ごした瞬間は、私にとってかけがえのない宝物です。誇りにおもっています。大好き、愛してるよ。本当にありがとう、お疲れさまでした。

私が旅立つときは、これ以上ない感謝と慈悲、静寂に包み込まれたときなんだろうなあ、という絵が視えました。至福に満ちた表情で微笑んでいそうな気がします。おじいちゃんもきっとそうだったんじゃないかな。最期まで、導きを与えてくれてありがとう。

おじいちゃんの来世が、生成過程の短縮につながる旅でありますように。究極の目的地(真の解放、解脱)により早くたどり着ける旅でありますように。

心からの敬愛と感謝を、次なる道に歩まれた祝福を込めて。
愛華より。

May 2, 2021

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お気持ちを添えていただけたこと心よりうれしく想います。あなたの胸に想いが響いていたら幸いです。