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管と循環


「食べるは、生きる」

以前、noteで投稿した。

食べるということは、生きるということである。

千と千尋の神隠しの、塩おにぎりのように。
もののけ姫の、干し肉のように。

人は生きるために、食べる。
食べようとすることは、生きようとすることだ。

だから、勿体無い食べ方をしたら、勿体無い人生になるし、
汚い食べ方をしたら、醜い人生になる
寂しい食べ方をしたら、寂しい人生になる
感謝をせずに食べたら、感謝のない人生になる

まるで、千と千尋の、カオナシや、両親の暴食のように。

別にとんちでもなんでもなく、ごく、当たり前だ。
だから、食べ方は大事にしないといけない。


そして同時に、ここ数年よく思う。
出すことも、やはり生きることだな、と。


あ、汚い話をしたい訳ではないんだけど、
苦手な方やお食事中の方がいたらお気をつけください。

ってか、お食事中の方はPCやスマホは閉じて、食に集中してください。


食べることには、楽しみがある。
何を食べるか、どこで食べるか、誰と食べるか。
楽しいから、考える。

でも、出すことは、楽しみとかではなく、出さなきゃいけないから出す。
なので、正直あまり拘ったり意識したことがなかった。
そういう人って、意外と多いんじゃないだろうか。
そして、きっと食べることより、
出すことに難を抱えている人の方が多い気がする。
食べ方が大事なように、本当は出し方も大事なはずなのに。


私は、子どもの頃からお通じは頑固な方で、
いまだにかなり悩まされる。
ようやく、大人になって、改善せねばと思うようになったけど、
まだまだ研究中である。

調子が悪い時ほど、実感する。



「ああ、動物って、管なんだな」と。

口から入って、出す。

この動きを一生続ける。

どちらかがなくなっても、死んでしまう。

まるで一本の管。

あとの四肢や機能はただのおまけ。
管についた、かざり。

そんなことを妄想する。

でも実際、あながち間違いではないらしい。

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美しい生物学講義

という本がある。
動物は、受精卵が細胞分裂を始める時、最初に一本の管ができるらしい。
その管のことを「原腸」というらしい。

原腸の入り口はもちろん口で、出口が肛門である。

やっぱり動物は、管なのだ。

何かをいただいて、排出する、ただの管。

なんだかそう思うと、次は、「世界って本当に"輪"なんだな」と思う。

管を通して起こる循環は、
管の周りの肉体でも巡り、
そしてその体ごと土に還り、誰かの命の肥やしになる。

地球上で、生物が誕生してから、もうずっとこの循環が続いている。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「地球は生物である」と考えたらしい。
なぜか。循環しているから。

山から川に流れ、海に辿り着き、雲になって雨が降り、山に草木が芽生える。
人間と同じように、地球がまるで一つの生命体のように循環している。

面白い考えだなぁと思う。


動物は管だ。
そして、その管についた贅沢なかざりで暇つぶしをしながら、
「循環」というルールを守って生きている。
自身も循環しながら、バトンパスするように、オールを一緒に漕ぐように、
循環をさらに巡らせていく。
どの命も、大きな循環という流れの中に流されて生きている。

なんとも、面白い。
よくできた、変な仕組みである。

このまま、流れ、流されて生きていたい。
抗うことも詰まることもなく、
スムーズに流れていけばいいのに。

重いお腹を抱えながら、そんなことを、妄想する。

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