見出し画像

夜への愛と夢を語るだけ

私は夜が好きです。不眠は苦しいものですから、夜行性というわけではないのですが。
夜だけは平等に私たちに訪れます。何があっても朝と夜は時間と一緒に回って。
知らん顔をしてやってきます。それが卑怯だと思ったこともあります。
太陽がそうでした。青空がそうでした。私の暗い気持ちに寄り添ってくれないといった傲慢に付き合わされる世界が不憫です。それでも好きになれないものなど溢れてやまないのが現状です。

夜だけは違います。暗いです。当たり前です。
当たり前ですが、一番壊れにくい当たり前だと私は思っています。少なくとも私が生きてる限り宇宙侵略の時代は来ないと信じています。宇宙人よりも今は人間が怖いです。同じ星に生きている癖に、きっと多過ぎて広過ぎて大変なんです。私はまだこの世界の一ミリも理解できてないけれど夜空を見たら遠く遠くが見えて安心する。遠く遠くの星から見たら私の心の悩みなどちっぽけどころじゃありません。そういえばどこから見ても悩みなんて見えません。透明でした、すみません脱線です。

幼稚園児の頃、私はすでに虐待を受けて育ってしまっていましたが、世界を憎んだりはしませんでした。毎晩窓から見える月に家族の幸せを願うことが日課でした。神様の代わりが月でした。神自体が救いだと思えなったんです。この時期は神に縋るべき身なのによくない発言かもしれないけれど。貴方は悪い子だからと言われ続けたせいか、いけないことをしたら神様に全部見られているんだと思うと辛かったし、仲良くなりたくなかったのかもしれない。そんなこと純粋な心ではきっと何も考えていません。きっと。私は悪い子なりにこっそりと平穏が欲しかっただけなんです。

はじめて『星の王子さま』を読んだのが小学低学年の時。王子さまの空っぽになった身体のことはよくわからなかったけど、一番後ろに描かれてる「この世で一番美しくって一番悲しい景色」を夜空を眺めてよく探しました。推しは今でも孤独な薔薇です。星に一人ぼっちなんでしょうか、王子さまはかえれたんでしょうか。そもそもあの星はどこなんだろう。星と空に興味が湧いて離れない。本を沢山読みました。どんどん夜から離れていって魔法にどハマりしていってしまうのですが。

中学生になってから、私は写真を撮るのが好きになった。空とカラスと花を撮りました。星も撮りたい、けれど私のスマホもカメラも性能が終わっていたから暗い星は撮れませんでした。逆に写らないエモさか何か知らないけど、一層私は図鑑を買い足し、星座を学び神話を学び写真集を見漁って夜に夢中でした。丁度鬱発症のタイミングで不眠になり、不登校になったのも中学時代です。夜は私によりそってくれている。勝手にそう思うしかありません。ヨルシカが当時大ヒットしていたので藍色もよく聴いていたのですが、靴の花火という曲の歌詞に「よだかにさえなれやしない」という一節があります。その曲のコメント欄で宮沢賢治の『よだかの星』に出会いました。私は自己犠牲を美しく描かれたその作品は好きではありません。なぜ星になれたのかわかりません。ただ自己嫌悪に溺れてただ憧れて上へ上へ飛んだだけで。それだけですけれど、私には、よだかのようにご飯を食べるのをやめたり、大事な人へ最後の挨拶をしたりなんてできません。私は、確かに、醜くても夜鷹のようにはなれない。王子さまのように清く美しくもない。人は死んだら星になると思っていましたが。私に限ってはそうではないかもしれないと思いました。今もそう思っています。私は星にはなれない。無の夜空にならなれるかもしれない。と、淡い期待を抱くことしかできません。

それくらい夜が好きでした。
燃え続ける星の光が好きでした。
私の特別はいつだって月でした。
それはずっと書き続けています。
高校生になっても夜に溺れて楽しんで、闇を好んで笑った時期もあって、それは本当に葬っておきたいことも多いのだけど。

何が言いたいのかというと、私は、そういう存在自体になれやしないかと常日頃思っているのです。流石に今から夜のように静かになるのは無理です。藍色の心が死んじゃうから。でも、ずっとなぜかずっとそんな不明瞭な目標を掲げて生きてるんです。夜に住んで、夜に溺れて、夜に還りたい。現世でも来世でもいいんです。そういうことがしたいんです。具体性がないのが欠点です。もっとやれること探して、夜の擬人になりたい。モデルさんを見て、綺麗になりたい。可愛くなりたい。と思うような感情と同じような感情で、どうにか私も近づきたい。approachしても一方通行の愛だけど。いつか夜の一部になりたい。そのために努力していきます。生きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?