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青が好きな理由

こんばんは。藍色です。
今日は私が青い色を好きになった経緯とか、青の中でも何故「藍色」を名前にしているのかとか。深く浅く、語ります。
話をまとめるのが苦手であっちこっちな文だけど、よんでくれたら嬉しい。

〈青との出会い〉
こんなに青を好んで止まない藍色ですが、初めから青が好きだったという訳ではありません。小さい頃は、ピンクとムラサキに興味があって、幼稚園児のときにランドセルは絶対ラベンダー色がいい!と決めてました。(安いし装飾が可愛いという理由でブラウンのランドセルを最終的には選んだのですが。)それくらい持ち物に好きな色を取り入れるのが好きだったけど、何故か姉はピンク、私は水色という色違いが定着し始めて…私もピンクがいい!と頼んでも、おなじものだと分かりにくいでしょ、色違いにしなさい、と与えられていたのが青色のものだったんです。1番覚えてるのはたまごっちを買って貰った時ですね、すごく揉めました。同じ色じゃどっちがどっちか分かんなくなるという親の言いたいことも今ではわかりますが、当時はそんなに聞き分けのいい子供だったかは分かりません。少なくとも青との出会いは、消して良いものとは言えなかったと思います。

〈喪服と魔法と星空と〉

こっからは青、紺色、藍色との出会いを順に書いていこうとおもう。

小学生の時に、ずっと好きだったおばあちゃんが死んだ。夏にちょっと会うだけの関係だったけれど、好きな物を買ってくれて、温泉やカフェに連れ出してくれて。私の親は毒親で、あれ欲しいとか、行きたい所を話すとかできなかったから、おばあちゃんと過ごすそんな自由な時間が最高に楽しかったのを覚えてる。制服も、喪服も持っていなかった私に買ってもらった紺色のスカートは今も捨てられないまま。しばらくはずっと、紺色の服を身にまとって過ごしていました。

小4くらいから読書にハマって。特に魔女や魔法の本を手に取ることが多かった。小さい頃から、ファンタジーを信じていて、1人で居るはずの妖精さんや神様へ話しかけて遊んでいた。例えば月は神様だ。本棚には本棚の妖精がいたのだ。そう、毎晩毎晩はなしかけて。紺色の服で呪文を唱える。『黒魔女さんが通る!』という青い鳥文庫の子供向け小説をご存知ですか?その物語に出てくる「ルギウゲルギウゲ〜」から始まる呪文を一生懸命覚えました。

時は中学時代へ。スマホを貰ったとたん、空の写真を撮るのにハマりました。色の移り変わりに惚れて。そんなかでも一際、澄んだ秋の青い空が好きでした。青の素晴らしさに気づいて、青いものを集めて飾って。今も私物や部屋には青ばかり。

冬になって、次は夜空に惚れ込んで。星についての図鑑を集めて。星と空の名前を覚えて。星の王子さま、夜鷹の星を読んで。星になりたくなったのを覚えています。王子のように、夜鷹のように。でも私はきっと、星になれるような人間じゃない。死んだら星になるなんて、きっと、きっと詭弁だと思わずにはいられなかった。多分、私は、小学生の時のように魔法は信じられなくなっていた。人間関係のストレスで不登校になったのが中二だったからでしょうか。生きる希望を無くした私に指す光が星で、夜空だけが私を包んでくれた。

私の希望の青。深い深い澄んだ青。
黒じゃなくてきっとあれは青でした。

そういえば、小学生のときに、夜空を描くための色があったのを思い出した。深い青。紺色という表現じゃなかったはず。絵の具セットを引っ張り出して、1番減ってる絵の具がありました。それが藍色だったんです。

〈藍色という名前を使ったきっかけ〉

夜空と同時にラジオにハマった私は迷わずラジオネーム「藍色」に。
中学一年生の冬、私は藍色になりました。


配信者としての『藍色』は、
その名前である限り、できる限り、多くの夜を越えようと思います。夜空は誰かを救うためにある。私が救われたように。

私はそんな藍色としての役割を担いたい。
ヒーローじゃなくていい、ただ寄り添う。
雨でも昼でも私だけはみんなの夜を創るためにいたいね。毎日。


〈最後に〉

結局のところ美しい藍色のように在れない私です。それでも、藍色と一緒に青に溺れて、夜に住んで、いつか遠い遠い空の上に還りませんか。現世、何度夜を越えられるか、競っても、数えても、何を言ってるの?と追い抜いていっても構わない。藍色は。

私は青と出会えて嬉しいんです。
青い星に生まれて良かったんです。

ここまで読んでくれた人ありがとう。
藍色は、藍色らしく、ここにずっといる。いつまでも青と共に、生きる。皆も好きな色で居られること、願ってるよ。        

藍色

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