私の風の谷②
人類は恋愛を卒業できるのか
恋はするものではなく、落ちるもの。というのも昔のドラマの有名なセリフ?だったのかしら。まあ、そうゆうくらいだから、恋って、古来から人間の生物的な本能によるものもあるのではなかろうか。(一部、ステータスなどを求める恋などをのぞいては)言ってしまえば、子孫繁栄のためとうか、動物における発情期と申しましょうか。恋愛や情動などは本能的に備わっているものなら、それは卒業できなくても仕方なし。
なので、人間が卒業した方がいいのは、恋愛ではなく”嫉妬という感情”や、所有する婚姻関係関係ではないだろうか。現代の結婚は所有の概念に偏りすぎていて色々な縛りが生じ、結果、安心する部分もあるが、苦しくなる部分も多分にあると今の私は感じている。
帰属欲求からの卒業
結婚が満たしてくれたのは、私の承認欲求と帰属欲求だった。10年前の私は、全く縁もゆかりも無い地で暮らし始め、「どこの誰?」と問われることが多かった。自分が何者か明確な答えがなく、時に質問がめんどくさく(超めんどくさがり)、結婚したら手っ取り早く地域に馴染めると思って結婚した。結婚すれば「◯◯家の嫁」と名乗ることができて帰属意識が満たされるし、それで自分が生きていく地域社会から承認されると。
今から考えると、安易だったな。本当に、今から考えるとだけど。
風の谷をつくる
自分のやりたいこと、暮らしたい生活スタイルがうっすらと見えてきた今の私にとっては、以前は安心材料だった「結婚」を、重い足枷に感じてしまっている。(本当に残念ながら…)それまで結婚で得られてきたことも多分にあるけど、そこには多大なる感謝をして、一旦、リリースしたいというのが今の私の現状。
もちろん、不安はたくさん。経済的なこと、こども達がどう感じるか、地域社会からの視線(いわゆる世間体)などなど。
私があったらいいなと思うのは、自由に恋愛し、結果、子どもが生まれても、地域や社会でみんなと一緒に子どもも自分も育てられる場所。ものすごくOPENでは無いけど、適度な関係人口があって、風の人(旅の人)も、谷の人もお互いの提供できる価値を交換しながら適度な距離間で息苦しくなく暮らせる風通しのいい場所。そんな風の谷ができれば、今、私が抱えているような不安からは解放される。
そんな新しい時代の風の谷的な地域を作っていくのが、これからの私のやりたいことの一つだ。