見出し画像

嫉妬の旅

ここ2〜3日、嫉妬という感情について考えている(そろそろやめたい)。

Twitterで「同性同士の人の夢を応援しづらいもの。けど、自分を成長させたい人は嫉妬を認めて応援したほうがいいよ。」というつぶやきを読んだ。読んだ瞬間、私にはそんな感情ないな。と思ったけど、ほんとのほんとの本音はどうだろう。実はカッコつけでるだけかも? … そもそも、嫉妬ってなんだっけ?そこからめくるめく“嫉妬”についての思考の旅が始まってしまった…

1・ 自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。「他人の出世を嫉妬する」2・ 自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。やきもち。悋気 (りんき) 。              goo辞書          嫉妬(しっと)とは、自分より他人の方が優れている、あるいは自分より他人の方に愛情が向けられている、といった認識に伴って生じるネガティブな感情のことである。一般的には、羨望と憎悪が含まれる攻撃的な感情と捉えられる。嫉妬の「嫉」および「妬」の字は、どちらも「ねたみ」と「そねみ」という訓読みがあり、それぞれの字が単独で嫉妬の感情を指し示している。           辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

ながらく“嫉妬”に該当する感情が、私に沸き起こった記憶がない気がしていた。

twetterの呟きが示す”嫉妬”は辞書によると、「自分よりすぐれている人を羨み、妬むこと。」羨ましいと思うことはよくある。自分の“使命”みたいなもがあって、その道で輝き、周囲からの評価を得ている女性を見ると、「かっこいいなぁ。素敵だなぁ。あんな風になりたいなぁ。」羨望の気持ちはある。その羨望の気持ちの中に、辞書に書かれているような「憎悪が含まれる攻撃的な感情」はないと思っている。思いたいだけかもしれないけど。

憎悪が含まれる攻撃的な「ねたみ」や「そねみ」という感情。それが自分の中にあるかどうか、掘り起こしてみたくなった。

私の中の「妬み」や「嫉み」

以前、ボロボロでボコボコの車に乗っていた時のこと。新車でピカピカの”いい車”に乗っている人を、子どもの保育園のお迎えなんかで見かける時、「ッケ!車にお金かけるとか、私はそこにお金かける価値観ないわぁ~どうせ潮風ですぐ錆びるし。車なんて、乗れればいいやん。」って思っていた。これ、ちょっと嫉妬だったなと思い当たる。

もう1つあった。少し厄介な嫉妬。私には3つ下の妹がいる。妹は、結婚せずに子どもを出産し、実家で父と母と妹とこどもの4人で2年暮らしている。私も実家は大好きなので、1年に1度は自分の息子2人と長期で帰省する。そこで、帰省した時に最近感じている、そこはかとないアウェイ感。父と母だけの時には感じたことはなかった。本人たちは、全くそのつもりはないだろう。が、毎日の暮らしが生み出す4人の結束感みたいなものに、なんとなく余所者感を感じる私。ほんのちょっと、ほんとにちょっとだけ、なんか居心地が悪い。「早く、妹が自立して実家出ればいいのに。」と思っていた。私のいないところで、両親に大事にされている妹への嫉妬だな。

嫉妬の先に

ボロボロの車を大枚叩いて車検に通す気にもなれず、貧乏人の私がお金をかけずに新車に乗れる方法はないか。そんな上手い話なかなかないはずが、ちょうどそんなタイミングでレンタカー会社の社長さんからオファーがあった。「レンタカーの電話対応が大変だから、あなたの会社で受付代行やってくれない?」と。そこで、あわよくば新車のレンタカーを利用できないか…と思いついた。それから半年後の現在、私が働いている旅行会社でレンタカーの受付代行事業をしている。私は、レンタカーの予約をコントロールしながら、予約の合間にレンタカーの新車を使わせてもらっている。大きい意味でシェアカーみたいな感じ。レンタル代のノルマと清掃の手間はあるけど、憧れの電動スライドドア車はとっても快適。古い車の嫉妬、一件落着。

妹への嫉妬の件も、一見落着しそうにある。来月から、妹が私の暮らす島に引っ越してくることになった。たまたまこれも、私の勤める会社の新規事業で、島外から人を募集しなければならない案件が出てきたので「私の妹、家でプラプラしてますがどうですか?」とダメもとで社長に提案した。するとトントン拍子に話が進み、今のところ2年限定の予定だが、来月から採用されて同じ島で働くことになった。父と母は、妹と孫がちゃんと生活できるか不安なようだが、私は一緒に子育てしてくれる人ができてなんとも心強い。

嫉妬を昇華する

私の嫉妬は上手い具合に解消された。結果、どちらも私にとって心地良い方向へ進んでいる。車の件も、妹の件も、私の中に嫉妬という感情が生まれていなければ、現在も以前のままだったかもしれない。今でもボロボロの古い車に乗って、実家に帰るときに少し居心地の悪さを感じるままだったかも。嫉妬という少しのスパイス的感情が、新しい発想を私にもたらしてくれたような気がしている。ただ、嫉妬が行き過ぎると、自分もしんどいし、誰かや何かをヘイトしてしまうことにもなってしまう。そうなる前に、より良い方向に昇華できれば、嫉妬も悪くない。

Twitterの件もそう。「同性同士の人の夢を応援しづらいもの。けど、自分を成長させたい人は嫉妬を認めて応援したほうがいいよ。」誰かの夢を応援しづらい、夢を追いかけている人に嫉妬してしまうのは、きっと自分に夢中になれるものがないということも少なからずありそう。そして、自分も夢中になれるものを欲していると気づくサインかもしれない。嫉妬のサインに気がつけば、あとはどう上手く昇華させるか楽しんで考えることができたら、やっぱり嫉妬も悪くない気がする。

嫉妬の旅、これにておしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?