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人を好きになるというより人の言葉を好きになる

人は見た目だの中身が大事だの結局顔だのいろいろ言うけれど、わたしは人が使う言葉で人を好きになるなあと思った。
はじめに断っておくと、好きというのは恋愛的な意味ではなくて、人間として尊敬できると思うか否かに近い。

語彙には過去が、話し方には性格が、言葉の選び方には好みが表れる。と思う。今までどんな経験をしてきたのか、どんなことを考えて生きている人なのか、この人の中で何が大事で何がどうでもいいのか。その人が知れる瞬間がわたしはたまらなく好きで、裏とか表だとか関係なく、その人を知れたかもしれないことが嬉しくなる。

語彙力はそのまますなわち教養の差だとは思っていなくて、例えばわたしより断然頭のいい大学にいる人でも、言葉の使い方が雑だったり話の組み立て方がおかしかったりする人もいる。反対に、学校の成績はわたしより悪くても、人を魅了する言葉の並べ方を知っている人、丁寧に伝えることを知っている人にも今までたくさん出会った。これが本当の頭のよさなのだろうと思う。わたしなんか到底及ばない。とても尊敬したい。

活字中毒気味のわたしにとってありがたいことに、身の回りは活字に溢れている。
まず言葉を書く職業がたくさんあって、また仕事でなくてもこういうnoteだったりtwitterだったりいろんな媒体で言葉を発信する人たちがいて。その中から好きな言葉遣いの人を偶然見つけた時の嬉しさと言ったらない、本当に。
会ったこともない、本名も顔も何も知らないその人の話し方や言葉の選び方だけにここまで惹かれるものかと驚くぐらい好きになる。それが同い年だったり年下の方だったりすると三割増くらいで驚くし尊敬する。自分が生きてきたのと同じかそれより少ない時間でもってこんな表現力が身につくんだと体現されているようで、どんな経験をしてきたのかすごく気になるし、前世でどんな徳を積めばそうなるのか教えてほしい。

言葉の使い方というと、たまに間違った日本語がどうとか言い始める人がいる。実はどちらかというとわたしもそういうタイプで、(口語は別にして)ら抜き言葉とか未だに許せないし、「ふいんき」って言うやつは1回漢字ちゃんと書いてみろやと喧嘩ふっかけたくなる。が、全てが「古き良き」で済まされる世界でもない、とも思う。

その時その場その人によって流動的に使いこなされるからこその美しさや魅力があるし、ものによってはあえて雑に思える表現を使った方が印象に残る、人をぐっと惹き込める。広告のコピーとか、主人公の決め台詞とか。
昔からある「倒置」だって、本来の言葉の順序をあえて変える、当初は掟破りの言葉遣いだったはずなのだ。専門家じゃないので詳しくはわからないけど。

話し言葉でも書き言葉でも、要は伝えたいことに適した言い方を選べるかだと思う。それが上手い人にとてつもない魅力を感じる。わたしもそうなりたい。

写真に関することに使います。フィルム代、撮影時の諸費用等。