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祖父との思い出

昨日、家族とお墓参りに行ってきました。丁度が私が受験勉強に専念していたときと祖父の闘病の期間が被ってしまい、お通夜には参加しましたが、それ以外の行事については参加を見送っていたので、良い機会だったように思います。

私から見た祖父はとても穏やかで、知性があってだけども祖父からは昭和らしい芯の強さのようなものを感じていました。

父親の話を聞くに、昔はかなり厳格で怒りっぽい人だったそうですが、本人から滲み出る賢さは当時から健在であったらしいです。

私が生まれた頃には随分と丸くなっていたようで私自身も祖父に怒られた記憶はありません。むしろ、祖父は新しいものをどんどん自分から学びたいという意欲が強く、ネットのことについても私や父によく聞いていたのも良い思い出です。

ここ最近で一番記憶に残っているのは、去年のお正月に父の実家に帰ったときです。

私は当時高校2年生で、倫理の課題で提出したレポートで最高評価を貰ったことを報告しに行きました。(レポートの内容については後日深掘りしようとおもっています。)

簡単に言えば、時間の概念の在り方や時間とはそもそも自明のことなのかということを検証していく内容で提出したのですが、私の中ではこれ以上ないくらい高校生にしては良いものを書けたと自負していました。

しかし、祖父は私のレポート内にあった論理の飛躍をすぐに見出し、指摘しました。その時、私は改めて祖父の凄さを実感しました。私は思わず楽しくなってしまって小一時間ぐらい議論しました。その上で良い所もしっかり言語化して伝えてくれました。

その数日後に祖父が倒れたという連絡を貰ったときは信じられない気持ちが私の中を駆け巡りました。あんなにも賢い人でもやはり身体の衰えや病気には抗えないのかと愕然としました。

病状を聞いた時に、私は正直長くは無いだろうと覚悟を決めていました。おそらくは夏休み直前ぐらいまでもったら御の字だろうと。

しかし、祖父の根性というべきか、底力というべきか、身体中に疾患を抱えていながらも、ほぼ寝たきりの状態で10ヶ月以上も頑張ったという事実を目の当たりにした時には、この人には敵わないと本気で思いました。

それと同時に、丁度受験期でしたので絶対に良い報告をしたいと思いました。ここで第一志望に受からないのがノンフィクションという感じでしたが、私の学びたいことを思う存分に学べる環境に入れたという良い報告がこの度できました。

今回は今は亡き祖父との思い出を語ってみました。祖父は理系畑の人で学問に生きてきた人だそうです。それゆえに聞きたい話がまだ沢山ありました。これを機にありきたりではありますが、後悔しないことは大切だと感じました。

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