見出し画像

Vol.38 私の『べき思考』

「べき思考」とは、「〜すべき」や「〜してはならない」といった義務感に取りつかれて自分を追い詰めたり、「〜すべきでなかった」と過去のことをあれこれ悔やんだりする考え方をいう


母として
娘として
看護師として

『べき思考』で自分をがんじがらめに
縛りつけて苦しくなっていることに
気づかなかった。

その振り返りをしていきます。

母としての『べき思考

フルタイムで仕事しながらの子育てだったので、子どもに対していつも心に罪悪感を抱いていた。

『小さいのに家でゆっくり一緒にいられなくてごめんね』

この罪悪感が、母としてのべき思考を作りあげていった。

常に子どもを優先すべき
少ない子どもとの時間は子どもと向き合うべき
優しくするべき
子どもが安心できるように笑顔でいるべき
元気でいるべき 
頼りになる母でいるべき
心配させないようにするべき
子どもが話しかけてきたらどんなときでも優先すべき

保育園では、
親が休みの時は子どもは休ませてください
と言われる。
(今は違うかもしれません)

仕事で子どもと一緒にいる時間が短いので、休みの日は子どもと過ごすように言われる。

仕事をする親のフォローの言葉で
『子どもと過ごす時間は長さではなく、濃さだ』
と言われる。

もちろん間違っていない。
その通りだと思う。

けれど、まじめに受け止めた私には、荷が重かったかも知れない。

仕事以外の時間は子ども最優先にするべき』

という、べき思考になり、罪悪感も重なって自分の休息はとらず、休みの日は子ども優先で過ごした。

その思いは子どもたちが小学生になったとき、更に強くなった。

保育園はほとんどみな両親が働いている同じ環境なので、子どもたち同士、違和感なく楽しんでいた。

小学生になってからは、

学校が終わったあと、すぐに帰れるお友だちがいる横で、自分は学童にいかなければならない。

親が家にいる家庭があることを知ってしまう。

運悪く、子どもたちは保育園からのお友だちがひとりも同じ小学校にならなかったので

慣れない学校
慣れない学童

子どもは必死だったみたい。

息子は小学校3年生になる前まで
「学校に行きたくない」
と言い続けた。

友達がいない学童では、ひとりでドラゴンボールの漫画を何周も読んで過ごした。

娘は学校より学童を嫌がり、そのストレスを私にぶつけてきた。
毎日不機嫌。イライラ。ぐずる。

学童の帰り
歩かない、荷物をもたない、不機嫌。
そんな娘をなだめながら、手をひいて毎日帰った。

土日の休みは1日中、朝から晩まで不機嫌、イライラをぶつけられ
娘が寝たあと、私は夜中に泣いた。

でも経済的に仕事を辞めるわけにはいかず
子どもたちにはかなり我慢を強いた。

仕事は続けるべき
子どもは学校に行くべき

ここにもべき思考が作動した。

私が家にいてあげられたら…

子どもと一緒に私まで
専業主婦のお母さんをうらやましく思った。

今は高校生と中学生になり
思い出になったけれど、
今も私の心の片隅には、罪悪感が残っている。

娘としてのべき思考

私の両親は毎日ケンカが絶えなかった。
母は地方から中学卒業とともに東京へ来て
看護師になった。

父は高校を卒業後、東京にでてきて母と知り合い
結婚するが、
母以外の女性とも関係を持っていた。

そのせいで夫婦仲は悪く、毎日ケンカしていた。

実家は遠く、ストレスのはけ口がない母は
娘の私に父の愚痴を話してきた。

「他の人に言ってもさぁ、
お父さんのこと一番わかってるのは
あいちゃんだから、わかるよね!」

と言われ、
「うん。わかるよ」

ひたすら愚痴を聞いていた。

私が大人になると、母として娘を心配したのだろうけれど
結婚、出産、子育て
全てにおいて口出ししてきた。

頭に来る反面、
親孝行するべきだという世間の常識が
私を苦しめた。

結婚して、子どもを生んで
両親を喜ばせてあげたい。

親を安心させてあげるべき

私の結婚は、親孝行するべきの影響もあった。

そして、父も母も大病し、歳を重ねるうちに
娘の私を頼るようになった。

親孝行するべき
愚痴は聞いてあげるべき
安心させるべき
やさしくしてあげるべき
助けてあげるべき
めんどうみてあげるべき

病院通いの付き添い
買い出しなど

両親の体調が悪いときは
最低限ではあったけど助けた。

ヘルパーさんを頼んだ頃もあったけれど、
「よその人が家に入ってくるのが
嫌なんだよねー!」

と言われ、毎週実家に通った時期があった。

行くと私にお礼のおこづかいをくれるのだが、
私がほしいのはお金ではなく時間。

この事では
後に少々両親とケンカし
現在はおこづかいを断っている。


看護師のべき思考


看護師1年目の私が先輩から言われた言葉。

「学生じゃないんだから、こっちからは教えないよ!
勉強して、わからなかったら聞いてきて!」

「まずは1人でやってきて!
それでできなかったら言って!」

「それ、言いましたよね!」

「マニュアル読んできた?
読んできたならやって!」

「泣いてる暇があるなら検温してきて!」

三つ子の魂百までというのは
社会人になってからも同じように
最初に言われたことは忘れずに守ってしまう。

一度聞いたことはメモなどして2度聞かなくてもいいようにすべき
まずはやるべき
ナースコールや電話は先輩より先にとるべき
自分から気づいてやりますというべき
聞く前に自分で考えるべき
勉強するべきがんばるべき
自分から仕事をさがすべき

どれも社会人としては基本的には必要かも。
かなり昭和の色が濃いかもしれないが。

けれど、柔軟に受け止めないと

わからないことを聞きづらい。
一呼吸も置かずに仕事し続ける。
常にかんばりつづける。
家では勉強しなければならない。


疲れはててしまう。
誰にも頼れなくなってしまう。

私が最初に勤めた時は
新人はひたすら重症患者を担当させられていた。

深夜勤で、レスピレータ使っている
意識のない患者さんの部屋の窓から外を見て

早く夜が明けますように!
緊急、急変ありませんように!

祈ってた笑


母、娘、看護師

これらのべき思考が積み重なり
知らず知らず自分を追い詰めていた。

そして助けを求めることができなかった。

助けてくれる人なんていないと思っていた。
我慢するしかないと思っていた。

すべては仕方ないんだと諦めていた。

こうしてできあがった
私のモンスター『べき思考』

常にがんばるべき

強く、たくましくあるべき

この2つのべき思考ができあがり

私は弱音を吐かずに
がんばり続けなければならないと
自分を追い込んでしまった。


でも、べき思考のおかけで
がんばれたことも確か。

これからどうすればいいのか?

まずはべき思考を緩めて
柔軟に
がんばりすぎず
自分に優しく
つらかったら助けを求めて
無理をしない。

他人を助けてばかりいないで
自分を助けてあげよう。

べき思考はやめるべき
という
極端な思考にならないように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?