暴言に対するバランス感覚

・嫌なことに対するバランス感覚がない人って変だなってずっと思ってたんだけど実はバランス感覚を持っている人が変なんだなと思った話

・想像しやすいように例えを出して話す
・ゲームで暴言を吐かれたとする、ツイッターのDMで悪口が来たでもいい

・当然嫌だと感じる。

「うわああああああああああああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だうわああああああああああああ辛い辛いツラいよー」

・これはバランス感覚がないよね、1つのことに対して過剰にネガティブになりすぎだし「自分のことを嫌いな人なんかどうしてもいる」とか「どんなに良い人だとしても悪いところはある」とか「どんなに誰からも好かれる人でも瞬間を切り取ったら悪い人に見える」とか、もっといっぱいいっぱいの(そりゃあこういう風に言う人もいるよな)って思える理由を考えてなさすぎるもん。

・一方で「インターネットの人だから現実じゃないし省みる必要も受け止める必要もないな」ってバランスの人もいる
・実はこっちはもっと怖くて究極煮詰めると自分以外を殺しながら身勝手に生きることになる、そんなヤツ危なすぎ
・そしてそこまで極論じゃなく身内(仲の良いインターネットフレンドを意味するスラングのほう)って単位で考えるとしてもじゃあこの人は身内に攻撃された時にバランスが取れないよね

・たぶん俺達は教えられたことを疑いながら学んでいたような特殊な人間以外はバランス悪く作られているんだと思う
・仕事だけの関係だったりインターネットで話すだけの関係の人達とみんなでご飯を食べているときに不味いものが出てきて「不味い」誰かがミスをして「お前のミスだ」
・これを言って空気が悪くなったり嫌われるような想像ができる人は誰かの犠牲者なんだと思う
・誰も悪くないよ、みんな価値があるよ、失敗したっていいじゃないか こんなこと言われて育ったはずだしそれが正解な社会的な場も確かにある、だけどそういう考えがバランス感覚を失わせているのかもね

・俺の思う最適のバランスは「俺が悪いなら言われて当然、反省しよう。」「俺が悪くないなら相手が間違ってる」
・凄く普通のこと言うじゃんって思うじゃん?だけど意外と出来ないよ

・利点として言われて当然の場合なら「なんでこんなこと言うんだよ💢」なんて思わないし、相手が間違っているならなんとも思わない。そして受け止めない省みない、人を見て反応を変えるってことがなくなる。

・ただし文字でみるより茨の道
・俺がちょっとしたミスをすると「カス」「ボケ」「アホ」「ホントお前は」って言われるわけだ、理屈とルールではムカつかなくていいし「まぁ悪かったなぁ治そ」なんて思えばいいわけだけど最初は出来ない、ムカつく。というか素養がない人は一生出来ないかも
・俺がまったく悪くないのに「死ねボケ」「アホカス」「ゴミコラ」言われる場合は理屈とルールで「うーーーん俺悪くないな、なんとも思わないな」なんて感じれば良いわけだけどこれも難しい。だってなにも悪くないのに色々言われてるからムカつく

・ただし俺はたまたま素質があったのか8割くらい出来る、出来ない時の内の5割くらいは理屈で出来たことにも出来る

・怒りを持ち越す人間はカスだ、自分を省みない人間はカスだ。
・みんな知ってる理屈なんだけどバランス感覚を持って生きてる人間は少ない、バランスがいいと怒らなくなるし自省もそこそこ出来る

・みんなもゲームで自分がやらかして負けた時はカスボケ雑魚言われても笑ってよう
・他人がやらかした時は散々罵って笑い合おう
・それが一番バランスのいい状態だ

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