自己紹介

 初めまして、行政書士受験生の零(ゼロ)と申します。
 

 私は、福祉系専門学校卒業後、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設を中心とした施設系サービスで介護職として働いた後、支援相談員、生活相談員等の相談援助職に異動になり、現在は居宅の介護支援専門員として働いております。

 当時、勤務していた介護老人保健施設では、職員の退職が相次ぎ、現場経験3年目の私が介護主任になるという異例の事態でした。


 現場で最も過酷な時期は、50名の認知症フロアに常勤職員が8人(現場経験3年半位の私が一番の経験者)というありえない少なさで、早番と遅番は人数的に組めないので日勤2人(大体残業)、夜勤2人という感じで無理矢理シフトを回している感じでした。週2回行われる入浴日にあたろうものであれば、夜勤明けで入浴はデフォルトで海外ドラマ24のジャック・バウアーもびっくりな24時間勤務です。しかも、私はフロア主任だったので、きついところは主任が率先して行わなければいけないという思いがあり、月の休みは4~5日位だったのを覚えております。大晦日は年越し夜勤、でも元旦は帰れま10!
 

 そんな心身ともに限界を迎えつつある時に経営者の方から

 「貴方、喋るのが”そこそこ”上手いのだから相談員になりなさいよ」

 と声を掛けて頂いたのをきっかけ(もう夜勤やりたくないと言うのが本音)に介護職員から支援相談員にクラスチェンジをしました。

 そこそこって何??とも思いましたが…。

 この当時、特別養護老人ホームの生活相談員は、社会福祉主事や介護福祉士等の資格が必要(自治体によってローカルルールあり)でしたが、介護老人保健施設の支援相談員は資格要件が無く、当時、ホームヘルパー1級しか持っていなかった私でもクラスチェンジが可能でした(今も資格要件はないようです)。

 無知な私は、相談員ってデスクに座って適当に入所相談してるだけでしょ!殿様商売ワロタ!という感じでしたが、実際はベッドが空くと経営者から容赦なく罵倒メールが来るので、次第に利用者=ベッド=月40万円という感覚になっていきます。よく現場の職員に「零さんは相談員になって変わった」と言われましたが、支援相談員を経験したことがある人なら私の言葉は分かるはず。1ベッドで約40万円、10ベッドを1か月も空けていたら400万円の赤字になります。この感覚、経験は、後の仕事にも大きく影響しました。数年後、横浜市の介護老人保健施設研究発表大会では、

 ”ベッドを埋めるだけ安心していました~老健における支援相談員の役割とは?~

 というタイトルで研究発表を出したことを覚えております。会場には約300人ほどの観客、人生で一番緊張した瞬間でした。人は極度の緊張に達すると足が震えるのがよく分かりました。

 話は戻りますが、教えてくれるはずの先輩相談員は、早々に退職してしまい、ほぼ未経験で支援相談員の仕事を行うことになりました。もう、ソーシャルワークとは何かですよ。その後、多くの失敗をして、七転び八起きの精神で仕事をこなしていき、相談員になって3年目には事務主任(現場や看護師への根回し方法を大いに学びました)になり、資格に関しても介護支援専門員、社会福祉士、介護福祉士にも合格しました(受ける順番逆じゃない?という突っ込みはなしで)。

 当時は、(個人的に)福祉3資格と思っていた介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員があれば一生安定という夢を抱いておりましたが、現実はそう甘くなく、介護保険という財源が限られた中で提供するサービスにはどうしても収入には限界があると感じました。30歳を過ぎた辺りから将来のことを真面目に考えると、

  1. 施設系サービスでトップを目指す。
  2. 在宅ケアマネで独立

 私の中ではこの二択しか思い浮かばなかったのと施設系の相談員(ソーシャルワーカー)の仕事が長かったので、特養なら施設長、老健なら事務長(老健の施設長は医師が要件)を目指すというのが目標でした。しかし、それに近いポジションに辿り着いたのは良いのですが、実際の業務は、現場職員と経営者の板挟み、理不尽なモンスター家族に悩まされるというのがメインの仕事でした。慢性的に人手不足故に一部の無法者職員が利用者に虐待紛いの事件を起こすも上司や介護長がそれを庇ってしまい、穏便に済ませてしまうことが多々ありました。真っ当な職員は当然辞めます。もう最後の方には中の職員がお互いの職員の悪い所を横浜市に密告する等の阿鼻叫喚な施設になりました。

 この先、少子高齢化が進んで、ただでさえいない介護職員がますますいなくなると思った私は、施設系は正直厳しいと早々に見切りをつけ、居宅のケアマネにシフトチェンジしました。特養の事務職でも施設によっては当直があり、朝9時からの勤務で帰るのが次の日18時(施設に30時間以上います)、こんな日が月に10日、施設の方針で当直は男性のみというルールでシフトを作る私は一番多い回数の10回です。ちなみに当直の時間は18~9時で一律5000円、何かあると夜中に起こされて次の日普通に仕事は無理ゲーとしか言えませんでした。酷いと2泊3日です。給料が下がっても身体が大事だと思った私は、ご縁があって今の居宅介護支援事業所で勤務をさせて頂いております。

 

 在宅のケアマネは、施設ケアマネや相談員と違ってご利用者ごとにサービス事業所が変わったりするので、余程のことがない限りはある程度ケアマネがサービス事業所を調整出来てしまいます。その分、ゴミ屋敷や本人が暴力的、ご家族が宇宙などの困ったケースもありますが、それはそれでやりがいがあります。G位は慣れます。

 2年目くらいになるとお仕事を依頼して下さる包括支援センターや区役所の高齢支援課の職員とも顔見知りになってくるので、相性が良い方は指名でケアマネ依頼を下さったりします。ここ最近では、どんな感じの方が自分と相性が良いのかも考えるようにし、波長が合う方にはこちらからも積極的に営業をかけるようにしています。このまま経験を積めばケアマネとして独立も出来るのでは?と考えるようになりました。


 がしかし、ここにも頭が痛くなる問題がありました。


 在宅の介護支援専門員(通称:ケアマネ)のご利用者の担当者は件数が決められており、一定の件数を超えると減算されるシステムになっているのです。ケアマネ一人が担当できる件数は、

 要介護 35件
 要支援  8件

 上記がベースとなっており、要介護は地域単価の差もありますが、要介護1~2で1万円、3~5で1.3万円、要支援に至っては約4千円です。ソロのケアマネだと総収入が良いところ40~45万円が限界になります。


 ここから家賃や交通費、通信費等の必要経費を払ったら…?

 

 ソロでケアマネとして生きていくには、儲けよりも“自宅を事務所にして気ままに働きたい”位の覚悟が無いととてもではありませんが独立は厳しいと思いました。他にはケアマネの人数を増やし、特定事業所加算を算定するなどの方法もありますがケアマネを増やしてもすぐに新規の件数が埋まるわけではないのでとても現実的ではないと考えました。

 では、どうしたら在宅のケアマネで食べていけるの?

 という話になるかと思いますが、ケアマネが勤務するほとんどの居宅介護支援事業所では、自社の他のサービスを持っており、ご利用者やご家族に意向を確認しつつも自社サービスに誘導する営業職というのが暗黙の了解となっております(無論、完全独立型の事業所も少数ではありますが存在します)。

 併設サービスに訪問介護や通所介護(デイサービス)と言ったサービスが多くあり、ご利用者、ご家族の意向を確認しつつも(ほとんど方は事業所を知らないのでケアマネにお任せしますというケースが多いです)手の掛からない人は自社、大変なのは他社というのが暗……以下略。そうすると一番最初に紹介が来る包括支援センターの抱え込み問……以下略。

 以上のことを考えると独立するには、居宅介護支援事業所のケアマネだけでは厳しく、訪問介護等の事業所も経営しなければと思うようになりました。訪問介護は開設にあたって人員基準があり、開設時に常勤換算で2.5人以上が必要になり、介護業界全般が人手不足なので大手事業所以外だと余程の人脈やカリスマ性が無いと介護職員が集まりません。人件費も掛かるので初期の資金も必要…。

 

 そこまでして利益の薄い福祉で戦う覚悟はあるのか??


 現在、勤務している居宅介護支援事業所は、個人的にもうここ以上に条件が良いところがないだろうなと思う位に融通が利いて働きやすい職場です。

 

 「えっ、じゃあ、もうその職場でずっと働けば良くない?」

 

 管理者ではなく、一ケアマネとして働くのであれば文句なしの環境です。比較的若めの男性ケアマネは需要があるので今だけ考えれば問題ないのですが、少子高齢化がより深刻となる10年、20年先のことを考えた時、在宅ケアマネで収入を上げるには管理者になる以外の方法が思い浮かびませんでした。たまにケアマネ更新研修のファシリテーターのアルバイトがありますが多くて年に2回程度しかありませんのであてには出来ません。  

 そうなると今度は、後輩ケアマネの面倒を見るのが必須となります。自社の管理者も他社の先輩ケアマネの管理者とお話しをしていると総じて面倒見が良い方ということがよく分かります。介護支援専門員の上位資格である主任介護支援専門員も厚生労働省のガイドラインに明確に


 “主任介護支援専門員については、地域包括ケアシステムの構築に向けて、地域課題の把握から社会資 源の開発等の地域づくりや地域の介護支援専門員の人材育成等の役割を果たすことができる専門職の養成を図ることを目的とする。”

 と記載されています。
 

 去年、主任ケアマネ研修を受けた時に言っていた。研修中、もう何度も言っていたし、後輩を育てるのが主任ケアマネとして重要な役割の一つと…。

 

 一人仕事が好きな私が後輩ケアマネの面倒を見つつも管理者として働くのはどうなのかと思いました。そんな時、仕事で知り合った行政書士の先生が後見や遺言をメインにして一人で働けるということを教えて頂いたこととツイッターで介護職から勉強をして行政書士を中心に難関資格3つに合格した凄い方がおり、その方がリプをして下さったこともあって、このまま何もしないよりも自身の選択肢を増やすためにも行政書士の受験を決意しました。これが令和2年1月末の頃でした。

 補足、現在は管理者がパダワンを多く抱えているのが大変なので、一人だけパダワンを担当しております。


                 ⇒ 令和2年度行政書士受験編へ続く



 以下は、行政書士試験とは関係のない趣味のイラストの話です。

 受験を決意したこの時、令和2年1月後半で、自分の将来について試行錯誤していた私は、少し遡ること令和元年5月にTwitterで“晩御飯はありませんよ”さんの介護漫画に強い感銘を受けました。


 「現役ケアマネの漫画家っていなくない? 練習してケアマネのことを描いて、あわよくば副業を狙うのもありかっ?!」


 と学生時代に美術の成績は2以外取ったことがない私は乱心。ケアマネや介護業界の闇のことだったらいくらでもネタがあるよと思い、
 突然、絵を描き始めました。


 「利根川、貴様正気かっ?!」


 と自身でも思いましたが、幸いにして私の周りの友人は男女共にオタクがデフォルト。分からないところはスカイプで通話しながら教えてもらいました。女性の友人は、メインは有名な漫画家のアシスタント。がしかし、ドSな性格で全然教えてくれない(>_<)


 初日はびっくりするくらいに線が引けないことに絶望しました。
 2~3日目は特に書けなくて絶望。模写メインですが続けていくうちに少しずつ下手ではありますが描けるようになっていきます。

画像1

 初日…

三崎里奈01

 一か月でようやくこんな感じ。

イラスト7

 2か月…調子に乗って色も塗り始めました。

イラスト8

 3か月

りせち-02

ペルソナ4 久慈川りせ

画像8

 一時期、描けなくなって再び開始。賭けグルイの早乙女芽亜里。

イラストkaka

ここからケアマネ漫画を描きたいと思い、オリジナルに挑戦。

ケアマネ003

ケアマネ004

ケアマネ005

ケアマネ010

ケアマネ008


イラストz

ここから行政書士試験が始まりました。

イラスト20

勉強の合間に描いちゃう…

今期の目標は、オリキャラの加藤加奈子のカラー付けです。

マウアーファラオ2

機動戦士Zガンダムのマウアー・ファラオ。

イラスト4-12

 Re:ゼロのレムちゃん。この絵を先輩ケアマネに送ったら

 「君は何処を目指してるの?」

 と言われて真顔になりました(>_<)

 これが5月末、ちょうど1年位のレベルです。この後は、液タブも封印して、試験にオールインでほとんど絵を描くこともなく今に至っております。

 最後まで見て下さりましてありがとうございました(*^^*)

イラスト221

 約半年ぶりのイラスト、まだ途中です。

クリスマス

R02.12.12 オリジナルのクリスマスイラスト

同業に見てもらったところ、介護支援専門員という設定は200%無理と言われました。

お正月3001

R03.01.01 年賀イラスト

友人達に一気にレベルが上がったと言われ、ちょっと嬉しい気持ちになりました。






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