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人生を堪能する

少し重めのテーマで書きます。

自分は何のために生きてるんだろう?
自分のやりたいことって何だろう?

そんな、日常に対して素敵な違和感を持つ方々の、
何かのきっかけになれば幸いです。

「将来の夢は何?」

子どもの頃によく聞かれる質問ですね。

子どもは答えてくれます。

「サッカー選手になりたい」
「歌手になりたい」
「お金持ちになりたい」

今では「Youtuberになりたい」も多いでしょうか。

「子どもの頃によく聞かれる質問」ということは、
裏を返せば、大人になってついつい子どもにしてしまう質問です。

そして、大人が自分に対して向けた時には、
”答え”が出ないまま流してしまう質問でもあります。

最近では「大人は”答え”を求めてしまっている」「他人から笑われることを恐れて素直な夢ややりたいことを口に出すことができなくなってしまう」と言われることも多いように感じます。

僕自身、「人生でやりたいこと」がわからなくて、様々な方法を実践してみて、周囲の方々にサポートいただきながら探してみました。

その上で、「人生」について、僕の考えを書きたいと思います。

少し長いかもしれませんので、お時間ある時にどうぞ。

”死”が怖い

突然ですが、みなさんは”死””について考えたことがあるでしょうか?

・死んだらどうなる?
・天国や地獄はあるの?
・魂って何?どこにあるの?

といったように、表現は違えど、
何かしら”死”について考えたことがある方は多いのではないでしょうか。

誰一人として正解を持っていないテーマであり、
どのような考え方を持っていても良いと思います。

率直に言います。

僕は”死”が怖いです。

今見えているもの、音、匂い、周りの人々との関係、
全てがなくなるなんて想像しただけで不安になります。

では、なぜ”死”が怖いのか。
僕は「本当は死にたくないけど、頭では”死”を理解しているから」
だと考えています。

ではなぜ「死にたくない」のか。
それは自分の存在がなくなるということが理解できないからだと思います。

少し僕の小学生の時の話をします。

当時幼かった僕は、”死んだ状態”が気になって、寝る前、部屋の電気も消してから、「全身の力を抜いて意識をなくし、その『意識をなくしている意識』すら意識しない」という何とも小学生らしいアホなことを試みていました。(首吊ったりしなくてよかった)

試行錯誤の末、「『意識をなくしている意識』すら意識しない」状態に
なることに成功した少年は、ハッと飛び起きて一言、

「今死んでた」

完全にアホです。

どう考えても一瞬寝てただけです。

さて、アホな少年は置いておいて、
人は”死んだ状態”を体験することができません。

だから、「死にたくない」のです。

では、「本当は死にたくないけど、頭では”死”を理解しているから」の
「頭では”死”を理解している」はなぜでしょう?

僕は、他人の”死”を経験するからだと思います。

成人されている方であれば、喜ぶべきことではありませんが、
何かしらの”死”を経験している方のほうが高いのではないでしょうか。

成人されていない方でもたくさんいらっしゃると思います。

僕も祖父、隣の家のおじいさん、ペット、親戚のおばちゃん等、
たくさん”死”を目の当たりにしてきました。

親戚のおばちゃんの話をさせてください。

おばちゃんは、元気で明るく、いつも笑顔なハツラツとした人でした。
僕はいつもお盆や正月に遊んでもらっていて、中学生の頃には僕の家の家事を手伝いに来てくれたこともあり、楽しくて優しいおばちゃんでした。

ある日、おばちゃんが入院しました。

正直、今となってはうろ覚えの部分も多いですし、病名もわかりませんが、
家族(両親と兄)でおばちゃんと夫であるおじちゃんがいる病院に
お見舞いに行った時のことはよく覚えています。

病室でベッドに横たわるおばちゃんの姿は本当に細く、
今にも息絶えてしまいそうな状態でした。

かろうじて顔や手を動かすことはできましたが、声がほとんど出せず、
何か言いたいことは伝わるけど、意図が伝わらない。そんな状態でした。

ハツラツとしたおばちゃんはそこにはいませんでした。

そんなおばちゃんの姿を見て、
僕は一言も発することができませんでした。

いつも遊んでくれていたおばちゃんの姿とのギャップが大きすぎて、
なんと声をかけたらいいのかわかりませんでした。

「おばちゃん」と声をかけてしまうと、目の前にいる人がおばちゃんであるということを認めることになってしまうと思っていたのかもしれません。

おばちゃんは何やら言いたげな様子で、冷蔵庫の方を指差していました。
僕にはおばちゃんが何を言いたかったのかわかりませんでした。

おじちゃんは「そうか、冷蔵庫に入っているヨーグルトを食べさせてあげたいんだね」と言ってヨーグルトを取り出して、僕と兄に渡してくれました。

すると、おばちゃんも手を動かそうとするのをやめて、
安心した様子に変わりました。

ヨーグルトを食べ終わって病室を出た僕は、父と一緒に歩いていました。

「なにもいえなかった」

そう父に言ったことを覚えています。

間もなくして、
おばちゃんは多くの人々に見守られながらこの世を去りました。

長くなってしまいましたが、
僕はこの時、強烈に”死”を感じた気がしています。

身近な人の”死”を体験したことがある方は少なくないはずです。
中にはご家族やご友人の死を経験されて、
僕以上に”死”を経験されている方もいらっしゃるでしょう。

繰り返します。

僕は”死”が怖いです。

今は大きな怪我や病気もなく健康に、友人と笑ったり泣いたり、
時には怒ったりしながら過ごしていますが、
それが当たり前でなくなった時を想像するだけで怖いです。

でもいつも”死”について考えているわけではなく、
小さいことで喜んだり悩んだりもします。

特別恵まれているわけではないかもしれませんが、
特別恵まれていないわけでもなく、
家族や多くの尊敬できる友人に恵まれていると感じながら、
多分”普通に生きて”います。

この世界の主人公は誰か

では、この世界はどのようにできているのでしょうか。

これも小学生の時に漠然と考えていたことでお恥ずかしいですが、
僕は2パターンの考え方があると考えています。

1.自分中心パターン
2.世界中心パターン

1.自分中心パターン

「自分が死んだら世界は終わる」考え方というとわかりやすいでしょうか。

自分が主人公で、自分以外の事象は、地球や宇宙、歴史含めて全てが設定でしかない、という考え方で、RPGのようなものです。

最近友人から教えてもらって知りましたが、哲学では「運命論」の考え方に近いそうです。広辞苑では、

世の中の出来事は、すべてあらかじめそうなるように定められていて、人間の力ではそれを変更できないとする考え方。

とされています。(ちなみに僕は哲学にあかるいわけではありません。哲学書なんて読んだら10分ともたずに眠る自信がありますのでご安心を)

自分が主人公である世界はめちゃくちゃ楽しそうですよね。
やっぱり、自分の人生は自分で決めたいですしね。

しかし、本当に楽しいのでしょうか?

全てがあらかじめ決まってしまっているとしたら、何も変えられません。

自分が努力して「変えてきた」「達成してきた」と思っていることは
「設定でしかなかった」ということになってしまいます。

また、「恋人も設定」なんてなかなかハードで冷たい世界ですよね。
(失恋時は積極的に使いましょう)

2.世界中心パターン

一方、こちらは、「自分が死んでも世界は残る」という考え方です。

地球や宇宙はただの入れ物でしかなく、
魂が別にあるというイメージでしょうか。

こちらは「地球(世界)が主人公」もしくは「全員が主人公」です。
(人類以外の生物もいますが、ここでは人類のみで考えています)

「地球が主人公」は自分も主人公にならないので、
少し面白くなさそうです。(自分も設定の一部です)

「全員が主人公」はどうでしょうか。
おそらくこの考え方を持っている方が多いと思います。

「他人の気持ちを考えて行動しよう」「お客様のために」。
これは、他人も主人公の1人であると考えているからこそ生まれる言葉
なのではないでしょうか。

「全員に意志がある」、そんな世界です。

生きた証を後世に残す

さて、長々となにやら小難しい話をしてきました。
眠気のある方はこちらをどうぞ。(効果は保証できません)


ここまでお読みいただいた方は
「なんとなく伝わったけど、何をすればいいの?」
と感じていらっしゃるかもしれません。

どうやら死ぬことは避けられないようなので、
僕は「生きた証」を残したいなと思っています。

(念の為お伝えしておきますが、
決してみなさんに押し付けるつもりはありません。
あくまで僕の考えです。)

「生きた証」を残すとは何か。

僕は今のところ、下記の2つが浮かんでいます。

1.「作品」を残す
2.人に託す

1.「作品」を残す

これは目に見えるものでも見えないものでも、どちらでも良いと思います。

目に見えるものはアーティストやクリエイター、文化人と呼ばれる方々を
イメージするとわかりやすいでしょうか。

彫刻や絵画はもちろんのこと、楽曲や舞台、映像やアニメ・漫画など、
様々な作品があると思います。
私たちも歴史上の偉人たちの作品を知っていますし、
世代を超えて愛される作品が数多く存在しますね。

また、ビジネスの世界でも同様だと思います。
企業やサービスも「作品」の一部だと僕は捉えています。
こちらも生まれる前から存在する企業を知っていたり、
サービスを使っていたりしますね。

2.人に託す

具体的には、

・人と過ごす
・他人(特に自分よりも年齢が若い人)に夢を託す
・教育

といったことが入るでしょうか。

人生をともに過ごした人は、自分が死んだ時に悲しんでくれるはずです。
その人の心の中には生き続けられることができるでしょう。

「誰と過ごすか」が人生で大事になるのは、
その場の居心地の良さもありますが、
一緒に過ごした人が自分の「生きた証」になるからだと僕は思います。
(自分も一緒に過ごした人の「生きた証」です。)

また、「夢を託す」は自分が叶えられなかった夢を託すわけですから、
託された人が夢を叶えた時には、自分が生きた証もなるという考え方です。

「教育」も、自分が生きた証を「次世代に残す」という形で残しています。教育に興味のある方は、自分だけが主人公でないこと、
人は必ず死んでしまう(1人で全てできるわけではない)ことを
どこかで理解されているのではないでしょうか。

少し脱線しますが(またかよ)、
僕がnoteを書こうと思ったのも、生きた証を残したいと思ったからです。

僕はSNSで自分の考えを発信することに少し臆病になっていました。
とっくに「個人が発信できる時代」が来ていることを
頭で理解してはいたものの、
発信してもたまにTwitterで少しつぶやくくらいでした。

「自分の考えを発信して否定されたら怖い」
という考えが強かったです。

でもそんな僕が「発信したい」と思えたのは、

「自分が生きた証を残したい」

と思ったからです。

noteだけでなく、また、作品だけでもなく、
様々な形で、生きた証を残していきたいなと、
そして自分の死後も多くの方々に、
「心の中で生き続けて欲しい」
と思っていただけるような人間になれたら幸せだなと思っています。

後悔したくない

ここまで拙い文章をお読みいただき、ありがとうございます。
最後です。

冒頭で、

自分は何のために生きてるんだろう?
自分のやりたいことって何だろう?

そんな、日常に対して素敵な違和感を持つ方々の、
何かのきっかけになれば幸いです。

と書きました。

人は何のために生きているのか、
ここまで長々と書いておいて、その問いに答えることはできません。

でも、「自分も”死”が怖いという根源的な感情を持っている」、
もしくは、「自分は違う感情を持っていると」いったように、
みなさんがご自身をもう一段深く知る助けになっていれば幸いです。

みなさんの自分の人生が変わる1つのきっかけになれば嬉しいです。

僕もまだまだ未熟者なので頑張ります。

わがままな性格なので、人生でやりたいことはたくさんあります。
死ぬまでにやりたいことは全て楽しみ尽くして、
生きた証も残したいと思っています。

それを「人生を堪能する」と呼んでいます。

一緒に、人生を堪能しましょう。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

それではまた!

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