見出し画像

ハイテク産業スパイの実態(1)

『日本のサイバーセキュリティの危機的実態』シリーズをお読みいただいた皆様で、いまだに『日本のサイバーセキュリティが盤石だ』と考えている人はまずいないでしょう。そこで本日から、 #新企画 『ハイテク産業スパイの実態』シリーズを開始します。漫画やアニメではない、このような産業シリーズを歓迎する読者様は少数かもしれませんが、ゼロよりはましです。

産業の不可逆的な転換点について

 ところで、皆様は今世紀中にスペインやポルトガルが、大航海時代のように世界の覇権を争う列強になると想像できますか? ドイツ、フランス、イギリスが覇権を争う可能性を否定はできませんが、EUの加盟27カ国が団結しても、米国や中国を追い越すのは難しいでしょう。

 また、モンゴルが世界を制覇すると考えている人もほとんどいないと思います。このように、国家には必ず栄枯盛衰があり、覇権争いには不可逆的な転換点が存在します。これは産業においても同様です。国家や産業の転換点を理解するために、まずは比較的イメージしやすいテレビ産業の事例を見てみましょう。

テレビ産業の栄枯盛衰

 1950年頃までは、テレビ製造の世界中心地は米国でした。その後、日本がテレビ製造に乗り出し、1960年頃には米国が日本に対する競争優位を失ったことが明らかになりました。テレビ製造の拠点はその後、台湾、マレーシア、中国、韓国などアジア諸国へ移行しました。この転換点によって、世界のテレビ産業構造は完全に変わり、米国はテレビ製造から撤退し、アジアがその中心地となりました。この事例は、製品開発や技術競争の国際競争において、『 #不可逆的な転換点 』が存在することを示しています。

半導体業界の栄枯盛衰

 それでは、半導体産業はどうでしょうか? 私は『 #日米半導体摩擦 』が最も緊迫していた時期にCPUと組み込みOSの開発を行っていました。当時はNEC、日立製作所、東芝、三菱電機、富士通の5社が日本でCPUやメモリを製造していましたが、日本国内の情報工学者やエンジニアを合わせても、この分野で開発者と言えるレベルの技術者は20名以下でした。

 当時は各社が #産業スパイ を送り込むのが一般的で、前述の5社にはそれぞれ最大4名の技術者しかいないと各社が認識しており、20名以下という数字はかなり正確なものです。

#不正競争防止法 が施行された1994年以降、国内企業間の産業スパイはそれほど露骨ではなくなりましたが、現在も情報機器製造業同士では、ライバル企業が出願した特許の発明者や、企業論文の執筆者を調査して、それぞれの開発分野のキーパーソンを把握しています。

 私の経験に基づくと、情報通信産業に限らず、日本の自動車産業でも、中核となる3人の研究者や技術者をヘッドハンティングされれば、例えば、エンジン開発が立ち行かなくなります。この『技術のキーパーソン問題』は、私だけでなく、大手製造業のM&Aを手掛けている会計事務所や法律事務所、知的財産のデューデリジェンスを行う弁理士や技術士などもよく理解しているでしょう。

 半導体の話に戻りますが、1980年代の日米半導体摩擦時、これらの日本企業は独自にCPUを設計・製造し、自社のPCやワークステーションに搭載していました。しかし、米国の半導体メーカーとの競争、特にインテルやAMDとの競争は激しさを増していきました。

 当時、日本の半導体産業は世界でトップの位置にありましたが、その後、韓国や台湾、シンガポール、中国などアジア諸国に追い越されています。これは、日本の半導体産業が『不可逆的な転換点』を迎え、半導体産業の覇権の座を他国に譲ってしまったことを示しています。

 シンガポールや韓国の基礎開発力は、日本よりも遥かに劣りますが、シンガポールは米国の #アップライドマテリアル 、韓国は日本の #アルバック などの半導体装置メーカーから半導体製造装置を購入するだけなので、安定電力と資金調達さえできれば、どんな国でも半導体生産国になることができます。

 半導体産業の立上げがどれくらい簡単かというと、韓国のメーカーなどは、日本の半導体装置メーカーに発注する際に『 #フルターンキー契約 』や『 #ターン・キー契約 』という契約条件を付けておくだけで、装置のスイッチを押したら全自動で、できてしまうのが韓国の半導体産業です。

 シンガポールが半導体製品生産国というと以外かも知れませんが、意外とシンガポールは半導体生産国なのです。

(出典)経済産業省(2021.3.24)「第1回半導体・デジタル産業戦略検討会議」

つづく…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?