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国境も期間も関係ない。まるで「家族」のような仲間たちとの、インドネシアでの日々 -海外インターンシップ体験記-

初めまして。東京大学 理科二類 2年の森健人です。

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「ん、アイセックの海外インターンシップってどんなもんやろ」と思っているあなたに、ある一例を紹介します。

それは、人生を変えてくれるような経験でした。そして僕がこれから過ごす人生の中で、何度も戻ってくるであろう経験でもあります。

どこで何をしてきたか

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インドネシアのカリマンタン島の西の端、赤道直下にあるPontianakという町に6週間渡航しました。人口は60万人程度でそれなりに発展した町です。町で一番大きいモールには、映画館もスタバもあります。決してど田舎というわけではなく、発展の途上にある東南アジアの都市を思い浮かべてもらえれば、と思います。

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まず、実際にどんなことをしていたのか、概観で紹介します。
今回参加したプログラムは、パッと「インターンシップ」言われて思い浮かぶものとは少し違ったものでした。1,2個の企業/団体で6週間働くのではなく、多くの企業/団体と関わりながら、受け入れ側のアイセックが進めるプロジェクトのお手伝いをする、というプログラムに参加してきました。

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▲ゴミ処理場、登ってみたけど風があってそんなに臭くなかったです


実際に、滞在していた6週間の間に15を超える企業/団体と関わりました。それらの団体の活動に加わったり彼らの抱えている課題について聞いたりする中で、このPontianakという町の抱える環境に関する問題を実感を持って把握しました。

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また、町中を走り回って水道局の施設を見学したり、ゴミ山を登ったりと自ら現場に赴いていく中で、話に聞いたり写真を見るだけではないリアルな問題意識が芽生えると同時に、論理や建前ではない、最前線の人々が捉える環境問題の姿を垣間見れました。

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それらを踏まえて、最後の2週間で地元の高校で環境問題についての授業をしました。


灰と煙と休校日

この町は何もしていなくても日々日本とは段違いの環境問題、大気汚染を体感させられる場所です。夕方から夜にかけて煙がどんどん濃くなっていきます。ひどい日では視界が10mくらいしかない日もありました。煙だけではありません。少し外にヘルメットをおいてカフェに入れば、帰るときにはその上にうっすらと灰が降り積もっていたりもします。煙に覆われ灰が舞う町でもありました。
当然そんな空気が体に良いはずがありません。外に出る時はマスクをできるだけしていましたし、インフルエンザ対策を必死にしていた受験期よりもマスクが手放せなかったくらいの感覚です。また、赤道直下の日差しも強いのでみんなほぼ長袖長ズボンで過ごしていました。長袖長ズボンでマスク着用だったので本当に南国にきたのかなって思うような格好をしていました。

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▲マスクが多いのは風邪の予防じゃないんです

特に帰国直前の大気の状態は悪く、自分が搭乗する便の一つ前のものまでは全て運休、自分の便も1時間以上も遅延しました。乗り継ぎもギリギリで滑り込むような感じでかなり危なかったです。
休みになるのは飛行機だけじゃありません。学校も大気の状態が悪いために休校になった日もありました。

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▲朝の風景なのですが、霧ではなく、煙で曇っている状態です。

帰国した日、こんなことを言われました。「タケトが昨日帰って良かった、今日は大気の状態がひどいから」と。でもそれを言ってくれている子はその日も、今も、同じ大気の中で生活をしています。向こうの家は開放的で外の空気がそのまま室内にも入ってくるのでその空気を完全に避けることも難しいでしょう。帰国して以来ずっと変わらず心に引っかかっています。

ひりつくシャワーとカップ入りの水

一方でもちろん晴れる日もありましたし、そんな終末世界みたいなところでは決してないです。そこに住む人たちにも、現状をどうにか変えようとする人たちにも会って話してきました。

この町は港町なんですが、河口にあることによって困っていることがありました。それは水道の供給についてです。取水塔があるのは町からすぐで海に程近い場所です。乾季だと降水量が減り、当然川の流量も減ります。その結果海水が川を逆流し取水塔のところまで来てしまうのです。僕が滞在していた期間も乾季。毎日浴びるシャワー(と言っても桶で浴びてるだけなんですけど)には口にすれば塩味もするし、浴びれば若干ひりつきを感じるような塩水を使っていました。もちろん給湯器なんてないので冷水です。暑いので冷水であることは全然問題はなかったのですが塩水はいただけません。歯を磨くたびに微妙な気分になっていました。

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▲浄水場の外観、色が鮮やか
当然それに対して文句を垂れていたのですが、中盤に水道局に伺って設備を見学し、職員の方からお話を聞く機会があり、それ以降文句をいう気にはなりませんでした。


会って話をしてくれたのは水道局の中でもかなり高いポジションにいる人でした。「海外からきた君たちの気づいたことや、自分の国の水道のシステムで参考にすべきものがあれば教えてほしい」と問われ、話の流れで塩水の話が出てきました。その時の彼の顔に心が軋みました。大の大人があれほどの情けなさと悔しさを垣間見せた瞬間に、初めて出会った気がします。

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▲浄水システムの見学

彼曰く、塩分を含んだ水を供給したいわけじゃない。でも我々が水道の供給を止めたら街の人たちはどこから水を持ってきて掃除や洗濯に使えば良いのか、もし供給を止めたら、また川の中で家事をする状態に戻ってしまう。だから仕方なく基準値をこえた水を提供しているんだ、と。塩分を除去する設備にもお金がかかりますし、そんな余裕は今の彼らにはないそうです。これを話してくれた彼らの口調から、でもどうにかしたい、という思いを感じたし、海外からフラッとやってきた若造にはそれに対してその場でできることは見つけられませんでした。

ここまで読んで、日頃の飲料水はどうしていたんだろう、と気になりますよね、ね?
日頃の水はウォーターサーバーとカップ入りの水で賄っています。水道水が飲む用としては相応しくない中で、ウォーターサーバーの普及率は日本以上なのではないでしょうか。訪れた家のうち半分くらいはウォーターサーバーがありましたし、街中で入れ替えるボトルを積んだバイクを何台も見かけました。コンビニでも入れ替え用のでかいボトルが売られているくらいです。

また、ウォーターサーバーがない家も500mlくらいのカップ入りの水を箱入りの状態でどさっと出してくれて、自由に飲ませてくれました。

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▲ある日のタダ飯、イスラム教の祭日ということでメンバーの家にお邪魔してご飯を御馳走してもらいました。左の子の足元にカップ入りの水がありますね。

前述した水道局に行った時も、これを配ってくれました。川や道端のゴミを見るとやっぱりこのゴミが多いんですよね。だから本当は水道水を飲める状態で安定的に供給できるようになることがゴミを減らす上でめちゃめちゃ大事になるはずです。

仲間と家族

いろいろ書きつつ、僕を捉えて離さない記憶はこれら全てを一緒に過ごしてきた他のインターン生や現地アイセックのメンバーと過ごした時間です。

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もちろんインドネシアの聞いたこともなかった町が直面してる環境問題に触れ、得たものも大きかったのは間違いありません。

ただ、僕にとっては、それもまた今隣にいる友達と過ごす大事な時間の一部でした。思えば本当に朝から晩まで、6週間のうち3日と絶えることなく現地のメンバーや他のインターン生と一緒に過ごしていました。朝7時半くらいにホームステイ先まで迎えにきて、バイクの後ろに乗せてもらって出かけ、プロジェクトの活動自体も昼ごはんも午後のカフェでの一休みも夕ご飯もいつも一緒にいました。果てには朝目が覚めたら、途端に部屋に入ってきて朝からインドネシア語講座を開いてくれたり、昼の活動が終わったあとメンバーの家に立ち寄ったらただ飯を食べさせてくれたり、一緒にバトミントンしたり泳いだり、って流石に長いので切り上げますが、信じられないくらい僕たちインターン生の面倒を見てくれました。

僕らは少し、家族になれたんじゃないかなって思います。帰国して何ヶ月も経ってから寝顔の写真を送りつけてくるような、しょうもなくて愛嬌のある大切な家族です。

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何だか変に良いことを言おうとしてるように思われてしまうかもしれませんが、僕にとってこれはとても衝撃的なことで、自分を変えてくれたものだと思います。見ず知らずのインドネシア人たちと中国、ベトナム、台湾、エジプトからのインターン生たちとたった6週間でこれだけの関係性を作れたこと。それは僕にとってとても嬉しい驚きでした。

正直、一緒に過ごした期間が長くないと人と深い信頼関係を築けないと思っていたんですよね。そんな自分にとっては、他人と、しかも全然違うバックグラウンドをもつ海外の人たちとこんな深い関係性を作ることができるって自体が一番大きな経験だったし、今後自分が生きていく中で人と関係構築することを大事にし続けられる原点になると思います。

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人それぞれ得る経験や感じることは違うと思います。ただ、もし参加していなかったら、絶対にこれだけ心を動かされ一生守りたいと思える経験を得ることは叶わなかったんじゃないかなって思います。



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