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いつか見た夕焼け 龍野の誰もいない寂しい漁港を、時々思い出す

世間様ではゴールデンウイークに突入したようであるが、おれは今日もPCを叩いて仕事をしていた。インスタグラムを見ると、既に行楽へと出かけた友人たちの投稿が次々と目に入る。そんなとき思い出す風景が、おれにはある。今日はそんなおれの宝物みたいな日の話がしたい。

あれは2018年のことだったか、初めての関西出張に行ったときのことだ。梅田の駅前にある大きな商業施設でのPOP UPイベントの案件に際して、おれはとても疲れていた。新卒で入社した広告代理店で働き始めて一年。半年以上かけて獲得した案件で、また初めての関西出張ということもあり、たいそう力を入れて取り組んでいたので、毎日の帰りは深夜を回っていた。東京とは違って、土地勘がないので万が一のことがあってもリカバリーが効きにくい現場だったので、細心の注意を払って数か月間に及ぶ進行に取り組んでいたおれは、無事大きなトラブルもなく2日間のPOP UPイベントを終えるころには、神経をすり減らしてへとへとになっていた。そんな時先輩から、きみはとても疲れているだろうから、一日ほど休むと良い、と言われたおれは、ありがたくお言葉に甘えることにした。

大阪や京都といったメジャー観光地で暇を過ごすのもよかったが、ずいぶん疲れていたおれは、なるべく人がいないところに行きたい、と思った。そんな時、一本の映画を思い出した。

「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」である。

話は1年前に遡る。入社して数か月間の研修期間を与えられたおれは、毎日キッチリ定時に帰されていた。毎日18時には家に辿りついていたので、とにかく夜が暇だった。3か月あまりの研修期間中、日々暇を持て余していたおれは、映画を少なくても1本は観ることを自分に課した。そんな折に見ていたのが、「男はつらいよ」だ。1日に1~2本、多い時は3本観る生活を、研修期間中毎日続けていた。研修期間中のお供にこの作品を選んだ理由はなんてことない、日本の映画であること、また、1本が2時間未満と、堪え性のないおれにはちょうどよいボリューム感であったこと、全48作もあるので、研修期間中にすべて観通すことができるからだろう、と思ったからであった。

全48作の中で、最も印象に残ったのが上記の作品だ。兵庫県たつの市(龍野)を舞台に展開される本作は、通算で17作目に位置付けられ、大枠物語のリズムが確立し、山田洋二監督も、演じるキャストもたいそう脂の乗った時期であり、戦前から活躍していた俳優であるところの池内青観演じる宇野重吉や、志乃さん演じる岡田嘉子等、大ベテランのかけあいもまた超一級品だった。なによりも舞台となった龍野のまちがたいへん魅力的に映り、聖地巡礼などあまり興味のないおれであったが、いつか龍野のような風光明媚な日本の風景をこの目に収めておきたい、と思ったことを、関西出張を終えて疲労困憊の中で思い出したのだった。思い出したということは、あの風景に逢いに行きたいということだ。だからおれは、龍野に行くことを決め、大阪から姫路行きの電車に飛び乗ったのだった。

確か姫路駅前のスターバックスだったと思う。コーヒーを飲みながら龍野までの道のりを調べていると、電車で行くには少し面倒な経路であることを知ったおれは、レンタカーを借りて車で行くことにした。時刻は14時を少し回ったくらいだったかと思う。車で行けば、夕方前には着くだろう。日が暮れるまでは龍野をぶらぶらして、そしてなにかうまいものでも食って晩の新幹線で東京に帰ろうという行程を組んだおれは、すぐに駅前でレンタカーを手配した。初めて行くまちの、初めての車での一人旅である。当然気分は高揚し、コンビニでコーラを買い、柄にもなくインスタグラムなど更新しちゃったりして、小旅行が始まった。

慣れない道で不安もあったがどっこい、約半年間にもおよぶ激務を終えた解放感も手伝って、そのときは興奮のほうが勝っていた。窓を開けると初夏の訪れを感じる午後の風が気持ちよかった。あの風を浴びながら飲んだコーラよりもうまいコーラを、ついにおれは今日に至るまで味わったことがない。オーディオからは、スタバで急いで作ったお気に入りの曲ばかりを集めたプレイリストが流れている。なんと素敵な時間だっただろう。龍野に着くまでの小一時間ほどは、永遠のようにも感じられた。

車を降りて歩く。古めかしい街並みをただ目的地もなくぶらぶらと歩く。なんとなく映画で観たような風景が広がる。ヒガシマルの醬油の醸造所を抜け、揖保川にかかる橋からは鶏籠山が見えた。この場所で映画を撮ろうと思った山田洋二監督の気持ちが、分かったような気がした。

歩き疲れた頃、まちの防災無線から「赤とんぼ」のメロディーが流れてきた。この曲の作詞をした三木露風にちなんで、このまちではこの曲が夕方のチャイムとして採用されているのだとか。防災無線に聞き入ることなんて初めての体験だった。そろそろ帰ろうと思った時に、一軒の古本屋さんが見えた。特に理由はないのだが、古本屋さんに入って、一冊の文庫本を購入した。その文庫本は、いまでもおれの宝物である。

龍野のまちを出て、日が暮れるまで時間があったので、なんとなく海の方に出てみることにした。地図を見るとまっすぐに行けば海に出られそうだったのでまたしばらく車を走らせると、やがて小さな漁港にたどりついた。確か、御津という漁港だったと思う。

来てみればなんてことのない、いくつかの船が停泊しているだけの、人の誰もいない小さな漁港だった。野良猫さえもいない、誰もいない小さな港。おれは、草むらに座り込んでただボーッと海を眺めていた。西陽を受けて水面がキラキラと光るばかりの、寂しい海だった。一本だけ煙草を吸う。半年間、激務に追われた果てに辿り着いたこの場所。あの瞬間だけは、おれはいっさいの責任を負っていなかった。気ままな一人旅である。なんだか空が高く見える。小さな波の音だけが聞こえる。あのときおれは誰よりも自由であった。

あれから5年が経つ。その間、おれはまた幾度も長い夜を越えてきた。今でも時々、龍野で過ごしたあの静かで自由なひと時のことを思い出す。仕事に追われているとき、人間関係に疲れたときなど、またあの風景に逢いに行きたいな、などと考えるが、なんだか惜しいような気がして、ついに今日に至るまで行かないままでいる。

それでも、瞼を閉じると、遠い思い出の中に、西陽を受けて水面がきらきらと光る御津の港の寂しい情景が浮かぶ。そのとき、おれはあの頃の丸腰の気持ちにいつでも戻ることができるのだ。そんな感じです。

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