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山椒を食べる。


冬が折り返し、空気は春へと向かう。暖かい風が吹く渓流に釣りに出かけるのが、明るい日が差す山へ山菜を取りに行くのが、日に日に楽しみになっていく季節。

現在のSANU河口湖1stの拠点の下見に訪れた時、約2年前のこと。敷地を歩いているとふと足もとのどこからか山椒の香りがした。

同じように見える緑の低木を注意深く見ていくと、枝に棘がついた、左右対称にギザギザの葉が生える山椒の木を見つけた。
ぷちっと一枚枝を失敬し、鼻に近づける。香ばしく清廉でいて、しかし美味しそうなその香りをたっぷりと鼻の奥まで吸い込んだ。


うなぎ屋さんで出てくる山椒をそんなふうに鼻にくっつけて嗅ぐことなんてなかったら、この際思い切って何回も何回も、春を吸い込んでみる。食べていないのに体が少し元気に、そして心がどんどん晴れていくような気がした。

ゆっくり気が済むまで香りを嗅いだら、持っていたおにぎりに合わせて包んでおいた。1時間くらい待っただろうか。そろそろ香りが移った頃かと塩おにぎりを頬張ると、春の山椒おにぎりの美味しさが口いっぱいに広がった。

北軽井沢の拠点ではわらびを見つけた。生で食べても大丈夫という友人からのおぼろげなアドバイスを脳みその奥から引っ張り出し、口に入れてみる。にがくて、いがいがしていた。

白馬の候補地ではこしあぶらを採って塩茹でにし、八ヶ岳の渓流では岩魚を釣って食べた。



私たちは、地球を食べて生きている。地球という大きなエネルギーが形を変えて表層に現れたものの一部を、食べるという行為を通して自分の中に取り入れ、自身が動く糧として生きている。

サプライチェーンが巨大化した今、そしてスーパーの蛍光灯の下でほとんどの食べ物を買うようになった現代、最もシンプルな上記の事実を忘れがちなように思う。

小さい頃、春や秋になると山に食糧を採りに出かけるおばあちゃんを、両親を、不思議に思った。あんなに苦労しなくても、すぐそこのスーパーに行けば数百円でなんでも買えるのに、と。

しかし今ならわかる。

そうやって大地のものを自分の手で採って食することがどんなに美味しく、季節の楽しみを届けてくれ、そして何よりも、私たちがこの地球と共に生きていることを思い出させてくれるのだと。

春が来ますね。

全ての季節が尊いけれど、生命の香りが芽吹く春はなんだか少し特別な気がします。

ホテルの未来を考える。toco./Nui./Len/CITANを手がけるBackpackers' Japan代表、本間貴裕のノート。