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発達障がいは生成AIとのコラボで大化けするかも

この記事はChatGPT(GPT4)と音声会話によってコンテンツ内容を作成し、Claud3(Opus)で記事化しています。会話時間は約60分、記事作成と修正は45分、文字数は3,868文字です。

はじめに

近年、人工知能(AI)技術の急速な発展により、私たちの生活や仕事のあり方は大きく変わろうとしています。中でも、生成AIと呼ばれる技術は、文章作成やデザイン、プログラミングなど、さまざまな分野で人間の創造的な活動を支援する可能性を秘めています。

この生成AIが、発達障がいを持つ人たちにとって、特別な意味を持つ可能性があるのではないかと、最近考えるようになりました。

発達障がいは、コミュニケーションや対人関係、環境への適応などに困難を抱える一方で、特定の分野で驚くべき能力を発揮することがあります。しかし、従来の社会では、その強みよりも弱みが目立ち、なかなか才能を発揮する機会に恵まれません。それは私自身が当事者であり、いま雇用しているスタッフたちにもそういった存在がいることからくる実感です。

しかし、生成AIの登場によって、この状況が大きく変わるのではないかと私は考えています。

このブログでは、私自身の経験を交えながら、発達障がいと生成AIの関係性について探っていきたいと思います。そして、この新しい技術がもたらす可能性が、より多様性に富んだ包括的な社会の実現に向けた一歩となることを願っています。


私自身の経験

私自身、ADHDとASDという発達障がいを抱えています。正式な診断を受け、障害者手帳も所持しています。

発達障がいがあるということは、日常生活の中で様々な困難に直面することを意味します。例えば、自分の思いを言葉にすることの難しさ、感覚過敏、こだわりの強さなどです。周囲の人たちとのコミュニケーションがうまくいかず、誤解を招いてしまうこともあります。

社会生活を送る上で、他の人にとってはごく自然にこなせることが、私にとっては大きな壁になることがあります。振り返ってみると、私の人生は自身の発達特性に振り回され続けたものでした。できないことによる職業選択の制限、同じ環境で同じことができないことでの低い評価、コミュニケーションが取れないことによる私自身と周囲のストレスなど、例を挙げればきりがありません。

具体的な例を出すと、文章を作ることは私にとってとても困難です。

誰かにメールを送るとき、「これで伝わるだろうか」「自分の意図が正しく込められているだろうか」と何度も推敲し、文章を作っては消すということを繰り返します。簡単なメールひとつ作るのにも、1時間、2時間と時間がかかってしまうのです。

また、報告書や提案書など、より重要な文章になればなるほど、この傾向は顕著になります。文章の構成を考え、適切な言葉を選ぶために、何日もかかることもありました。

こうした文章を作る上での困難は、単に時間がかかるというだけではありません。自分の思いが相手に伝わらないのではないかという不安や、完璧を求めるあまりの強迫観念に苛まれることもあります。

2年前まで、私は自分のことを単なるできそこないだと思い込んでいました。しかし、発達障がいの検査を受けてみるとそれらの問題は、単に発達特性のせいということがわかりました。自分の「できない」に名前がつき、それまでの困難の理由が明確になったのです。

そこから自身のできることに目を向けてみると、興味を持ったものを異常なほど調べつくす知的欲求の側面があったり、他の人では気づかないような改善点の発見や、新しいアイデアの創出など、周りの人ができないことができる自分の強みにも気づくようになりました。

発達障がいとは?

私が発達障がいの特性をイメージにするとき、「裸で槍を持つ兵士」という画がしっくりきます。一般的にも「凸凹(でこぼこ)」と表現されるように発達障がいを抱える人は、特定の分野では優れた能力を発揮する一方で、他の分野では著しい困難も抱えます。

例えば、驚くべき記憶力、集中力、創造性、芸術的センスなど、発達障がいの人の中には、強力な武器となる「槍」を持つ人たちがいます。

  • 膨大な量の情報を正確に記憶し、必要なときにすぐに取り出すことができる人

  • 特定の分野に対する強い興味と集中力から、専門的な知識を深め、創造的なアイデアを生み出す人

  • 芸術的センスに長け、絵画、音楽、文芸など、様々な分野で独自の表現力を発揮し、人々を魅了するような作品を生み出す人

これらの能力は、周囲の人々を圧倒するほどの力を持っています。

しかし同時に、この兵士は「裸」なのです。普通の人が問題にもならない些細なことが、致命的なダメージとして食らってしまいます。

  • 報連相ができない

  • エアコンの音で集中できない

  • 指示された言葉の意味を字義通りに受け取ってしまう

  • ルーティーンが違ったらパニック

  • ディスプレイの明かりがまぶしくてきつい

など、え、そんなことで?という内容で、簡単にひん死になってしまいます。「裸で槍を持つ兵士」は、強大な力を秘めていながらも、同時に脆弱な存在でもあるのです。発達障がいの人は、その強みと弱みの両極端さゆえに、独特の存在として社会の中で生きるしかありません。

生成AIがもたらす変革

少し発達障がいから話は離れ、生成AIがもたらす社会への影響を考えてみます。

生成AIは、その高い能力によって作業の代行やタスクの自動化に寄与するように思われていますが、正確には機械による自動化は生成AI以前から多くの場面ですでに実現していました。

生成AIの本質は、タスクの自動化ではなく課題解決の自律化です。人がタスクを定義し、その実行プロセスを自動で行えるようにする自動化に対して、生成AIの自律化は自らが課題を定義し、その解決プロセスを作成し、実行することができます。誤解を恐れずに言うなら、より人が行うそれに近づいたと言えます。

これは自動化の進化のようで、異質なものです。自動化は人が認識しているタスクにしか対応できません。一方で生成AIによる課題解決の自律化は、操作するユーザーが認識できていない課題にまでアプローチができます。

例えば、文章作成の場面を考えてみましょう。従来の自動化技術では、定型的な文章のテンプレートを用意し、必要な情報を当てはめることで、効率的に文章を生成することができました。自動化を作成する人と、それを使う人、どちらもメールの返信で何をすべきか分かっていないと適切に自動化ができません。

一方、生成AIで自律的に課題を解決すると、メールの返信文にどのようなものが必要か分かっていなくても、正解に近いものを出すことができます。生成AIが適切にサポートするなら、極論、宇宙人が私たちとメールのやり取りをすることも可能です。

自律的な課題解決がもたらす、発達障がいの人たちの可能性

生成AIがもたらす自律的な課題解決は、個々人が抱える問題を、本人がそれを認識できない状態でも解決可能にします。つまり、多くの人々の弱点が、生成AIによって克服される可能性があるということです。

それぞれが抱える弱点を生成AIが補い、弱点とならなくなった世界では、どのようなことが起こるでしょうか。例えるならば、「生成AIによってすべての人たちが鎧をまとい盾を装備し、弱点がなくなった状態」といえます。

このとき、活躍するのはより強い槍を持った人です。

これまで、発達障がい者は「守られる存在」であり、その雇用は企業の社会的責任の一部として捉えられてきました。しかし、AIとのコラボレーションによって、発達障がい者は「獲得すべき優秀な人材」へと変貌を遂げるかもしれません。

膨大な情報を瞬時に処理し、革新的なアイデアを生み出す発達障がい者の能力は、AIとのコラボレーションによって、これまで以上の価値を生み出すことができるでしょう。また、独自の視点から問題の本質を見抜く発達障がい者の洞察力は、AIによる情報分析と組み合わさることで、より精度の高い意思決定を可能にします。人とのコミュニケーションの問題から能力を発揮する機会すら得ることができなかった人は、AIの力でその機会を獲得することができます。

特別な周囲の配慮やサポートがなくとも、AIの活用だけで自分の問題を解決しその特殊な個性を活用できるようになった発達障がい者は、もはや守られる対象ではなく、イノベーションを加速する重要な人的リソースとなり得ます。

発達障がい者とAIの協働は、多様な可能性を秘めた未来への扉を開く、大きなチャンスなのかもしれません。

ひとりごと

私自身発達障がい者であり、生成AIの可能性を肌で感じている私にとって、これからの人生には大きな使命があると感じています。それは、自分自身を実験台として、発達障がいと生成AIの可能性を徹底的に探求し、より包括的な社会の実現に貢献することです。

私自身、発達障がいゆえの困難を乗り越えるために、生成AIの力を借りてきました。文章を書くことが苦手な私にとって、このブログを書いているいまもAIによる執筆サポートが大きな助けとなっています。また、AIとの対話を通じて、自分の考えを整理し、新たなアイデアを生み出すこともできました。

実体験から、私は生成AIが発達障がい者の可能性を大きく広げるツールになり得ると確信しています。そして、自分自身をその実験台とすることで、AIの活用法を探り、発達障がい者の生きづらさを解消する方法を見出していきたいと考えています。


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