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幸福について。

「幸せってなんだろう?」というちょっと心を病んだ人たちの発言をよく見かける。

それに対して「人それぞれだよ!」と返事をしている人もよく見かける。

言い方は悪いがはっきり言ってその返答ができる人間は馬鹿だ。

人それぞれだからこそ思考の余地があるのではないだろうか?

だから答えが出ずに頭を抱えているのではないだろうか?

僕の幸福の定義は「他者からの受容」と「他者への許容」だと思う。

これはあくまで僕の中の、極めて狭い価値観の中での答えなのだけれど。

僕がそれを幸福だと思っているのは実現されていないからだということでいいのだろうが、僕は人から許されたり、逆に僕が人を許したりすることがない。

子供の頃は一人でも生きていけると思い込んでいたけれど、僕はそんなに強い人間でもなかったようだ。

幼い頃からずっと人が憎くて憎くて仕方がなかった。

でもそれは他者から受け入れられている人が羨ましくて羨ましくて仕方がなくて、自分には終ぞできなかったことを実現させられている人間が妬ましくてこんなことを言っているのだろう。

要は、童話の「酸っぱい葡萄」みたいなものだ。

なんて浅ましい生き方だろう。

でもこの生き方が一番僕に合っているのだろう。

多くを望まないで済む。

自分の足りなさに失望しないで済む。

僕は今、間違いなく幸福に生きることができている。

僕のこの幸福は他者にも、自分自身ですらも侵害することはできないから。

人を愛して愛されることを放棄したと捉えてもらっても構わないけれど、僕の生き方が不幸だと決めつけるのは誰にもできない。

僕の今現在の幸福論は「諦念」だけれど、これも多数ある中でのひとつの結論なのだろう。

これでいい。

これでいいのだ。

こんな幸福が

存在していてもいいのだ。

どう生きたとしても

間違いだなんてことはないのだから。

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