恭一、今度はきみが待つ番だよ。

大伴恭一の臀部が映し出されるファーストシーン。
もう何かが始まっている、と思った。
これから始まる、のではない。すでに始まっている、のだと。
臀部は、今ヶ瀬渉のまなざしが捉えたものだが、この視線の持ち主にとって、恋は再燃するものではなく、ずっと消えることのない小さくても確かな炎だった。
第三者からすれば、7年ぶりの再会となるのかもしれない。だが、その短くはない期間、今ヶ瀬のこころのライターがガス欠になることはなかった。それは不器用にも思える今ヶ瀬が実は地道に丹念に自分の気持ちのメンテナンスを欠かさなかったことに起因している。着火もオイルも準備はできていた。そのときを待っていた。
待つ時間がいくら長くても、いや、長いからこそ、ドキドキがおさまることはなかった。鎮める必要もない。とっくに始まっているのだ。その歌のイントロはずいぶん前から流れている。あとは歌い出すだけだった。
探偵として相対した今ヶ瀬が、調査相手としての恭一に取り引きを持ちかける際の、落ち着いた身のこなしと口調に、恋の本質を見た。そう、もっとドキドキしたいから、彼は落ち着いている。安定状態をキープするのは、そのほうが己の高揚を約束することを知っているからだ。自分で自分を焦らす、先のばしの術。7年、孤独にこころのライターと向き合ってきた今ヶ瀬は恋の有段者になっていた。
だけど、何段になろうと、恋の勝者になれる保証はない。


好きになった側と、好きになられた側とのあいだにはヒエラルキーがあるようで、ない。ほんとうの恋には、立場の格差など存在しない。好きになられた側が常に優位に立つ、なんてことはない。上下関係はない。両者は同じ土俵の上に立つ。
あるとき、恋は決闘だ。
あるとき、恋はレースだ。
お互い、手にしている剣のかたちが違う。生きる速度が違う。その一振りが相手に届かなかったり、いつの間にか追い抜かれていたり。

あなたと、わたしは、スピードが異なる。そのすれ違いこそが、恋を加速する。


恭一は、思い上がっていたわけではない。好きになってくれるひととだけ付き合ってきたのは、それが安定をもたらしていたからだ。受け身でいれば壊れることもない。愛するよりも、愛されるほうが平穏。ドキドキを欲していなかった。いや、知らなかった。臆病ですらなかった。傷つくことも知らなかった。こわがることさえできないほど、無知だった。
ただ、独りではいられなかった。孤独について考えたこともなかったが、彼はたぶん、独りでいる自分を想像したことがなかったのだと思う。

これは恋の初心者と、恋の玄人の物語だ。だが、玄人が素人に、手ほどきをするわけではない。師匠と弟子になったら、恋はできない。恋は、ひととひととを対等にする。キャリアは関係ない。経験値がものを言う世界ではない。そう、ヒエラルキーは存在しない。だれもが、同じコートに立って試合をしている。

ビギナー、恭一は、有段者、今ヶ瀬が去ったあと、恋を知る。受け身なだけでは恋はできなかったのだということを知る。自分には欠けているものがあったことを知る。自分には知らないものがあったことを知る。自分というものの本質を知る。

恋とは、相手を知ることではない。恋とは、自分を知ることなのだ。

ほんとうの恋を知らない者は、論理で関係性を判断しようとする。常識でひととひととのあいだを測ろうとする。恭一もそうだった。
だが、違うのだ。
だれかとだれかの関係性は、そのふたり固有のものだ。他のだれにも真似のできない唯一無二の関係性だ。
恭一と今ヶ瀬のあいだにあるものは、彼ら以外のひとには決してふれることのできない、地球で最初で最後のなにかだ。
今ヶ瀬は、それが見たかった。
恭一は、それがあることをまだ知らなかった。

あなたとわたしはスピードが異なる。そのすれ違いこそが恋を加速する。

時間差で気づくことがある。時間差でしか気づけないことがある。
逢いたいときに、あなたはいない。それが恋だ。
見つめられるだけじゃだめだ、見つめることができなければだめなんだ。それが恋だ。

おれは、恭一にシンパシーを抱く。恥ずかしいほど猛烈に。
周回遅れだっていいじゃないか。
これから気づけることが、たくさんある。それは素敵なことだよ。
もしも、これからたった独りでいるとしても、それは素晴らしい人生だよ。

去った者は勝者なのか。去られた者は敗者なのか。
そんなことはない。
恋にはそもそも勝ち負けがない。

まだ、恋は始まったばかりだ。
恭一、今度はきみが待つ番だよ。


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