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からだの記録が、こころの記憶になる。

Cornelius
『Mellow Waves』
2017年  

冒頭曲。「あなたがいるなら」。もう何回聴いただろう。コーネリアス=小山田圭吾、最良の楽曲であるのは間違いない。音像、音色、世界観、精神性、すべてが奇跡のように融合している。彼のキャリアは、ただひとつのベストトラックを生み出すために存在していたのかもしれない。音楽家のみならず、もの作りに一度でも手を染めた経験がある者なら、これほどまでの純度でマスターピースが舞い降りてくれたら……とため息をつかずにはいられないはずだ。
 真の芸術は、対峙する者に理解を求めない。わたしたちもその作品を前にして、理解しようとはしない。ただ、その経験が人生の一部になり、その体験が身体の一部となる。からだの記録が、こころの記憶になる。その直結力が、ここではきわめて優しいかたちと柔らかい感触で現出している。
 小山田ならではのベイビーボイスが聴く者に安堵と集中を呼び起こす。音世界は求心と拡散を同時におこなう。バラバラに砕け散っても、浮遊したそれぞれの先端に無数の主観が辿り着き、ふたたび安堵と集中がもたらされる。リラックスの中に覚醒があり、覚醒の中にリラックスがある。泡のような自己が生まれては消え、消えては生まれる。愛撫するエコー。ループする営み。
 捉え方によってはとてもデンジャラスな音楽かもしれない。「あなたがいるなら この世はまだましだな/あなたがいなけりゃ この世は色あせてく」というフレーズはまさに生成と消滅をあらわしているが、安堵と集中が繰り返されることによって付与される、ほとんど理屈を超えた多幸感によって、ともすればこの世界から自身の生命が消えてしまっても構わない、と思わせもする。
 失恋も、絶望も、無常も。わたしたちの内部に横たわる闇すべてを愛撫し何処かに連れ去っていく楽曲である。 

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