秘密よりも親密さが知りたい

Chara
『Sympathy』
2017年

 12曲目。「Sweet Sunshine」。
 日本語でもない。英語でもない。チャンポンでもない。Chara語としか言いようのない発語と語彙の混ざり合いが極まっている。白濁しているのだが光の具合でそれが透明にも見える。
 血だらけの純情。地獄のようなロマンティシズム。天国のような焦燥。終わらない恋心を精神のはらわたまるごと投げ出しなおも超然としている。
 これのどこがSweetなのだ。どうすればSunshineになるのだ。プロコル・ハルムの名曲「青い影」を思わせるメロディがふと紛れこむことからもSunsetやBitterと言った表現のほうがしっくりくる。だが彼女にとってこれはSweet Sunshineに他らないのだという真実を噛みしめるとき音楽が孕む底知れなさがゆっくりと立ち上がる。
 「全部知りたいんだよ/秘密よりも/親密さが知りたい」。おそらく出し惜しみができない性質(たち)であろう彼女は序盤から決定的なフレーズを突きつける。欲しているのは相手の存在そのものではない。関係性を体感したい。つまり愛は支配することではなく共に作り上げることなのだという理想への情熱がある。だがそれがあまりにも苛烈であるがゆえに彼女の叫びは畏怖を呼び起こす。
 「私は私らしく/愛の真っ白に掴まれ」。もはや主観さえも棄て去った趣がある。能動なのか受動なのかの差異さえ消失しているから「掴まれ」という鼓舞のようでも告白のようでも命令のようでも呪詛のようでもある言葉が響きわたる。
 命をかける。なぜかその行為に媚びもなければ悲壮感も漂わない。「大好きに理由なんかいらないのよ」とすでに提出した自らの結論を追いかけるように生命を燃やしているからだ。もしそんなふうに生きられたらすべてはきっとSweetなSunshineとして輝くのかもしれない。呆然としながら思った。

#音楽
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